夕暮れをまとう
寝坊した日の草むしりは背中が熱くて、引き抜いた草と一緒に転がった2.5頭のコオロギが突きつける晩秋には現実味がない。
市立図書館の児童書コーナーで「秋に鳴く虫」の本を借りてから一週間と少ししか経たないのに、読むのを後回しにしているうちに置いていかれた気分だ。
あんなに焦って追いつこうとした。秋に生きられないと思ったからだ。今でも青いマニキュアを手にとっては棚に戻す、私は夏にしがみついている。
友人が私の生存を思いながらシャッターを切ってくれた。秋になれなくても秋は来て私は生きていた。ぼうっとしていても同じだけ時間が過ぎて行く。
柳散る前に抱く、いとし、春も夏も過ぎた。ただ生きていたら過ぎた。
なんとか、なんとか生き延びようと。生きることそのものには意味はないけれど
ちゃんと踏みしめて来た道だと唱えるごとに、生きてよかった今日になる。
なんとなく生きられるほど、生存は楽じゃない。だから私は秋に秋をすることとか秋に秋でいることのために日常から意味を探した。そんな風に身構えていたんだけど、息苦しくて、息苦しくて
余計に道がないように思えたりして。
(「秋の生き方がわからない」)
https://note.mu/karin_obuchi/n/nf278e3741125
道を開いてみせてくれるのは、案外、自分以外の人だったりする。いや、塞がっていると思い込む呪いを解いてくれた。初めて歌を贈られた。
夏過ぎて秋来たるらし 君に落つ光は君の形に光る
張り詰めていたものが溶けて涙になった。ただ待っていただけだけれど、秋の陽を纏える。なにもせずとも光は私に沿って。生きた、生きられた、あなたに生かされた。
写真 山口可鈴 https://www.instagram.com/angsana_tea/
短歌 海老原愛 https://twitter.com/abab0609tnk
文字 たつだれな https://www.instagram.com/rena_ttd/ (イラストも是非)
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