ゼロイチ思考をやめてみた
うわー人生おしまいだ!
学生の頃、
ひとつのきっかけがこの世の終わりと思うくらい悩んでしむ時があった。
何かの本やネットの記事で調べると、ああ、どうやら私は完璧主義な所があったらしい。
いつから身についてしまったのかはわからないが
他人の前ではしっかりしなくては。
いい人に見られなくては。
と自分を偽って本当の自分からかけ離れて
どんどんと自分の首を絞めていることにあるとき気づいたのだった。
身近な例で言うと
日記を書き始める、と決めたとして
3日後にサボってしまい罪悪感に苛まれ
あーもうまた続かなかった。辞めよう。
と勝手に終わりを決めてしまう
そんなような小さい積み重ねが自分の自己肯定感をどんどんなくし、
自信を失っていってしまう時があった。
また、人生を左右するような決め事も簡単に諦める癖がいつしかついてしまっていた。
中学生の時、美大を目指していたが、高校に上がるタイミングで自分の才能のなさに気づいてしまい、辞めることを先生に伝えると
と言ってくれた先生がいた。
でも未熟な自分はそれよりも現状が辛くて、自分の無能さを辱められているような感覚に陥って結局絵を描くことをやめてしまったのだ。
何年かはとても後悔した。なんてったって自分は芸術に道をいくはずだったのに、特に勉学に才能があるわけでもなくFラン大学にいき、周りの華々しい美大に行く人たちを遠くから眺めていただけだったのだ.
社会人に出てからも、ああ、美大を出ていたら。。。憧れの職につけていたかもしれない。そんな悪夢に晒されていた時もあった。
しかし自分の思い通りにならない人生はなぜ起きてしまっているのか。
と立ち止まって考えてみると、
私はいつも高い理想と自分を並べて自分を卑下する癖がついてしまっていたのだった。
つまり、遠い先にいる理想を見ていたら自分の足元にある落とし穴に気づかず勝手に落ちて嘆いたのだ。
本末転倒だったのだ。
同い年であろうと経験値も違うし、生まれた環境も違う。
そんなことに気づくのに約30年近くも要した。
いつも誰かと比べてしまい、自分は劣っていると感じてしまっていたがそれはいつしか不毛なことであると気づいた。
落とし穴は気づいていれば何も怖くない
ただ跨げばいいだけである。
わたしのゼロイチ思考が生まれる原因は自分の能力を過信して
自分はもっとできるはず
と思ってしまい、理想の自分とかけ離れて自分自身に幻滅してしまう。
そのため、冷静に自分の能力を観察して、今の自分はこの訓練が必要なんだな、と自分にあった改善方法を見出せば何にも怖いことはない。
ゼロイチ思考に気づいて少しずつ訓練をしていくことにした。
例えば、始めたばかりの非力な人に30キロのバーベルを渡すパーソナルトレーナーがいるだろうか??
否。
自分のことは本当は自分が一番よくわかっているはずなのだ。
自分が自分の心のパーソナルトレーナーになればいい。
できないのは当たり前、ではどうしたらできるようになるのか?自分の足元をみてしっかり一歩一歩前に進むことが大切であることに気づいたのだ。
それからは
日記昨日忘れちゃった、まあ明日書けばいいさ、と思うようにしたり。
わー今日部屋の掃除しようと思ったのにできなかった。。。けどベッドのシーツだけでも変えよう!と小さなことから始めたり。
料理めんどくさい。。。いままでは全部作らなきゃと思ってたけど、一品はお惣菜買って帰ろう。など
全てを一気にやる気力がないときは何かに頼ることを覚え、全くやらない。
ということを回避できるようになっていったのだ。
このゼロイチ思考はADHD的な思考なのでしょうか。
一個出来なかったら全部できない!になってしまいがち。
でもその弱点が自分で分かったのでもう怖くない。
すこしずつ、できることを増やせるよう
今も日々成長中な(仮)子なのでした。
みなさんも最近出来るようになったこと、ありますか?
日々成長一緒に頑張りましょう!
今日も最後まで見てくださりありがとうございました。