奈良に戻ったらやりたいこと~鹿に思う~
今日、思いついたこと。いつか日本に、奈良に戻ったらやりたいこと。私の勝手な妄想だし、現時点ではなんの現実味も具体性もないけれど、とりあえず思いついてしまったから、思いついたまま書いておく。
奈良に住んでいた時に、よく通っていた銭湯がある。その銭湯は、入口には「ゆ」と書かれた暖簾がかかっていて、男湯と女湯の間に番頭さんがいて、入浴料は確か440円だったかな。脱衣場のロッカーは木製で数字は漢数字。浴場はタイル張りで、お湯はちょっと熱め。小さいけれどサウナもあって、ジャグジーもある。石けんやシャンプー、タオルは持参するスタイル(購入もできる)の、いわゆる昔ながらの銭湯。
私の実家(大阪府吹田市)の周りには、そんな銭湯はなかったし、銭湯に行くと言えばスーパー銭湯にしか行ったことがなかった。けれど、その銭湯に行くと懐かしさを感じたのだ。ノスタルジーってやつを。自分の記憶の中にはないはずなのに、懐かしさを感じるのはなぜなんだろう。でもきっと、あの場所を訪れてそう感じるのは、私だけではないはずだ。
昔ながらの銭湯なので、設備は古くて、使い勝手が良いとは言えない。トイレは和式だし、シャワーは水とお湯の蛇口が分かれていて温度調節も慣れていないと難しい。湯船に浸かりながら見上げる高い天井は、お世辞にも美しくはない。しかし、浴場は綺麗に手入れが行き届いているので、不潔な感じは全くしない。温泉ではないので、特別な薬効はないけれど、広い湯船でゆっくり浸かるお風呂は、やはりとても気持ちが良いものだった。
観光地にあるけれど、基本的には近所の常連のお年寄りがメインのお客さんだ。私たちが家族で行くと、いつも見かけるおじさんやおばあちゃんがいる。息子に必ず話しかけてくれるおじさんがいた。どうやらそのおじさんのお孫さんが息子と歳が近いらしく、息子が好きそうな話のネタをたくさん持っていたのだ。たまにそのおじさんがいない日があると息子は「今日はいつものおじさんおらんかった」と言っていた。老いも若きも問わず交流できる銭湯という場所が、好きだった。
そしてその銭湯の2階で、うちの子たちは英語のレッスンを受けていた。銭湯の奥さんがECCジュニアの先生をされていたのだ。今、私たちはイギリスで英語の環境に身を置いていて、こどもたちは現地校に通い、英語スキルをぐんぐん向上させているが、その基礎は奈良の銭湯の2階で培われたものなのだ。戸惑いつつも現地校での生活に馴染めたのは、先生のご指導があったお陰だと本当に感謝している。そして先生は、英語の先生としてだけでなく、ひとりの人としてわが子たちに、特に娘に向き合ってくださっていた。時には厳しいお言葉をかけてくださっていた。親以外のそういう大人の存在は、こどもにとってとても有難いものだ。
いろんな意味で、その銭湯が大好きだった。しかし、設備も古いし、経営も楽ではないだろうと推察する。もしかすると近い将来、廃業という可能性がないとも言えない。でも、あの場所は、あの銭湯は、なくしてはいけないものだと、強く感じているのだ。だから、もし、万が一そんな日が来てしまったらどうする?というところから、今日の私の"いつか奈良に戻ったらやりたいこと"が生まれてきたのだ。なんて長過ぎる前置き!!!
もし、いつかあの銭湯が廃業するということになったら、私はあそこを買い取りたい。そして、老朽化しているところは修繕費しつつ、今の佇まいはできる限り残したい。そして、ただの銭湯としてだけではなく、あそこを老若男女、国内外問わず、いろんな人が出会い交流する場所にしたい。戦国時代の武将が、茶室に入るときには刀を置いて入り、武士としてではなく人として向き合ったように、浴場という場で何にも飾らず、裸で人と向き合う場所にしたい。お風呂の掃除は、近所のこどもたちを招いて一緒にやって、一緒にお風呂に入りたい。お風呂をやっていない時間には、地域の人の社交場にしたいし、地域の人と観光客の人が気軽に出会える場にしたい。本好きのわが子が好きな本をたくさん並べたい。漫画好きの外国人のための英語の漫画も並べたい。あの銭湯を、海無し県である"奈良の港"にしたい。うちの子たちが、英語という外国に触れるスタート地点があそこであったように、奈良のこどもたちが外国に触れるスタート地点にしたいし、海外から訪れるお客さんが奈良に触れるスタート地点にしたい。
奈良には、私の大好きな場所がたくさんある。そしてそこには、大好きな人がたくさんいる。銭湯を訪れた人には大好きな場所をたくさん伝えたい。そしてその場所を訪れて、私の大好きな人に出会ってほしい。そしてその出会いから新しい何かが生まれたらさらに楽しいし、嬉しい。
そんなことを、ふと思ったのだ。
でもまず、廃業しないかもしれないし、というかそれが一番なのだけど。廃業するなんて勝手に想像するなんて、余計なお世話でしかない。ごめんなさい。それでももし、廃業するとなったとしても、それを買い取るだけの資金力が今の私には全くない。本当にない。いつかその日が来たときのために、資金力を高めておく必要がある、という当たり前の現実に、気づいてしまった。のほほん無職の金食い駐妻の私、さぁこれからどうする。
急にそんなことを思ったのはきっと、今日、ブッシーパークでたくさんの鹿を見たからだと思う。奈良公園の鹿より体も角も大きかったけれど、草を食む姿を見ていたら、なんとも言えない懐かしさを感じたのだ。そう、初めてあの銭湯に入ったときに感じたのと同じ、ノスタルジーってやつを。