出版不況になったのはWebのせいじゃなくて、本を縛ったからだと思う
私には7つ上に私より出来がいい姉がいて、子どもの頃、勉強がわからないと教えてもらう…ことはなかった。
わからないと言うと「バカじゃない!?」と言われ、マッハの早さで「こうでこうでこうなるからこうなの!わかった!?」と説明されるので、もちろん分かるわけがない。するとまたひとしきり罵倒される。だから、姉に勉強や分からないことを質問することは避けていた。
そこにいくと本はいい。分からなくても、黙って優しく何度でも教えてくれる。自分の脳の回転に合わせて、いつまでもつきあってくれる。
私は体も弱かったので、外でみんなと遊べないことも多かった。
そんなときも本のページを開けば、いつでもそこに楽しい仲間たちがいて、優しく迎え入れてくれた。
私は本というのは、この世で一番優しくて楽しいものだと思っていた。もちろん本が大好きになり、いつかは本を作って、この世のどこかにいる自分みたいな不器用な人を楽しませたいと思っていた。
それが、いつの頃だろうか。コンビニの本が縛られ始めた。続いて、本屋でも紐で縛られ中身が見られなくなった。本が人を拒絶する態度を取り出したのだ。
「お金を払ったら見せてやるよ」そういう、冷たい態度になった。
本当にビックリした。私の子どものころは、まんがコーナーは立ち読みの子どもでいっぱい。雑誌コーナーは大人たちが鈴なりになっているものだった。(もちろん「立ち読み、お断り!」って店に怒られながらやるんだけど。)
本はいつでも誰でもわけへだけてなく、知や娯楽をいつでも提供してくれる一番身近な存在だったのに。
「開きたいなら金を払えよ」というスタイルになった。
開いていた扉が、閉じられた。
それは人が離れるに決まっている。本屋に行ったって、中身が見れないから、楽しいことがないから、人は本屋に行かなくなった。
洋服とか野菜と違って、商品である中身が見られないのに、いきなりお金を払う博打を打つのは難しい。食堂も食べてみないと分からないのは一緒だが、食事ほどせっぱつまった必要性がないし、危険な博打を打つくらいなら買わない方を選ぶのは、ごく自然なことと思う。
そうこうして20年以上が過ぎた。
子ども時代に本屋でまんがを1日立ち読みして楽しく過ごした記憶がある人は、20〜30代にはいなくなったと思う。本が身近な友だちだった記憶がない。それよりネットやゲームの方が身近に、自由に、いつでも遊んでくれる仲間だったろう。だから、今の人が本よりネットを身近に感じるのは最もだ。
出版が負けたのは、Webが無料だから、情報が早いから、時代が変わったから……だけではないと思う。最初に人を拒絶したのは、本の方なんだ。
本の魅力そのものは、今もあまり変わっていないと思う。Webのコンテンツの雑さは相変わらずだから、本が生き残る方法もあると思う。
webのコンテンツが本のレベルまでいってくれてもいいんだけど。
どっちでもいいから、あの「芳醇な文化が身近にある毎日」を再びくれたら嬉しいなあ。