黄金のレガシーにおけるグ・ラハについての違和感


前置き


  FF14黄金のレガシーを経て筆者は石川夏子信者であることを確信してしまった。FF14のテンパ(信者)である自信は無いが、石川夏子氏に関しては間違いなくテンパである。

 彼女の書くシナリオの大体は所謂モブに厳しい世界な分、NPCはやけにこちらの感情を気遣うセリフが多くて優しい。NPCの自分語りが多くて本人の心情も理解しやすい。外伝含めた歴代FFシリーズのネタ(ブレイク、バニシュやアルファの持ってたカードで塩水とか)が多くて嬉しい。盛り上がりどころでの言い回しもいちいちグッとくる。イケメン成分も豊富でいい意味であざとい(イケメン関係ある???)。
 ギムリトダークでの戦いで倒れて目覚めた時、アイメリクが「君は1人ではない(私たちがついている)」というなんとも心強い言葉をかけてくれたのに思わずジーンと来た記憶がある。こういう思わず読みたいと思わせる台詞で構築されたシナリオが、メインクエストを進める原動力の一つであったと思う。確認してないがここらへんも多分石川氏のシナリオだろう。本人のキャリアの為とは言え、実に惜しい人材が最前線から退いてしまったもんだ。

グ・ラハのキャラ造形

 さて、本題はタイトル通りグ・ラハ・ティアのことである。ヒカセンが推しのオールラウンダー。彼、開発から間違いなくコンサポの便利枠として認識されてるだろ。
 外部で彼を指して「ナヨナヨしている」とか「腐女子受けを狙ったようなキャラがキモい」という声をたまに目にする。
 筆者自身は「黄金に入ってから、なんかキャラが薄味になったな」程度の認識だったが、よくある安易な腐女子ウケを狙ったキャラ付けではないんじゃないか?という認識だ。
 結論だけ先に言う。黄金のレガシーでシナリオを書いた人間は、グ・ラハというキャラの扱い方を少し間違えている。

「カッコよさ」と「緩み」の両輪

 根拠となるのが下記の記事。

 リンク先で石川氏(グ・ラハの生みの親)は、「人間っぽさ」を出すための描写について興味深い一言を残している。

カッコつけと、カッコつかないところのバランスでしょうか。カッコよくキメるべき時は、思いっきり、なんならちょっと出来すぎなくらいカッコをつけるんです。
(中略)緩んでいるところもしっかり作る。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/231102f/3

 要は「カッコいい所と緩んでいるところの落差を大きくする」ということか?
 例えばエメトセルクはひょうきんな演技の裏に隠れた真剣さや責任感というギャップ、つまり緩み⇒カッコよさの落差で多くのプレイヤーの胸を打った。
 一方ヒカセン側もエメトセルクを倒した後、感動的な雰囲気から落差を作るかのように暁の面々が必死の形相で海岸に這い上がるギャグシーンを描写し、カッコよさ⇒緩みの落差で我々の笑いを誘った。
 他のゲームでも普段は抜けてるけどシリアスな場面ではきっちりキメる、的なキャラクターはプレイヤーから好感を得ている。「肝心な時にしか役に立たない奴」って表現なら一度は目にしたことがあるだろう。某ブルアカのアウトローな社長とか。
 石川シナリオのグ・ラハにもこのルールが適用されていたとしたら……彼の「カッコいいところ」と「緩んでいるところ」の両方を書かなければ、グ・ラハの魅力は石川氏の意図とは外れてしまうと見るべきだろう。

 カッコいいところと言えばやはり水晶公時代全般、終末で混乱に陥るラザハンで民衆を奮い立たせるところ、後はゾットの塔で動けなくなるほど頑張ってレビテトを使っていた場面か。ここは間違いなくカッコいいと思う。

 対して緩んでいる所は……もしかしたら先述の「ナヨナヨしている」と感じるシーンなのではないか?後は推しの前でモジモジしてしまう場面とか。これも見る人次第では↑とのギャップで可愛げに映るのだと思う。筆者も彼がそういう緩み一辺倒の人間ではないと理解していたからこそ、不快に感じはしなかった。

 じゃあ黄金のレガシーでの彼の活躍はどうだったかというと……。
 途中まで出番が無くて活躍しようが無いのは当然だが、終盤の数少ない出番もヒカセンとの船上デート、クルルの両親の前でアイスを食べてなぜか気まずい空気が無くなった……これくらいか?どう見ても「緩み」しかない。「カッコよさ」を示すシーンの不足も相まって大事な落差が作れていない。
 
デートはどうせサービスシーンだから論外。クルルの両親との対面の時もあまりに拙すぎる。もっと年の功を感じさせるような、スマートに雰囲気を変えてクルルに話をさせる……とかしてもよかったと思うんだよなあ。彼、一応子供(ライナ)1人を育て上げた親としての記憶も持ってるんですよ……。

まとめ

 黄金のレガシーからのシナリオチームは、グ・ラハというキャラの活かし方については理解不足だと思う。
 一見頼りなさそうな若者……と見せかけてここ一番で体を張ってカッコいいところを見せる。そのギャップこそが石川氏の意図するグ・ラハの魅力なのだろう。
 もし彼の描写に割く尺が足りないのなら、未熟さや青臭さを感じさせる描写を抑える、あるいはサンクレッドなどの年長組のように落ち着き、頼り甲斐のある雰囲気を気持ち盛る方がいいのではないかと思った。でもそれはきっと純度100%のグ・ラハじゃないんだろうなあ。

以上。


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