COSMOS たましいの楽園 大天使ミカエルとの10年間の記録 1992年~2002年 14歳~24歳 ④
自然に求めた安らぎ
私が無条件に安らぎを感じることのできる唯一の時間は、自然に浸っている自分を想像している時だった。
心が痛くてどんなに体が疲れていても、一面に咲き乱れる花々、森の奥深くから流れ込む清浄な空気、海の広々とした景色、どこまでも続く草原に大の字になって寝転んだりする自分の姿を心に描くだけで救われたような気がした。
高校1年生から2年生にかけて、私の自然に対する憧れと思い入れは日に日に強くなっていった。
私は今すぐに実際に「自然に囲まれ、自然に浸り、自然を味わえる暮らし」がしたいと熱望した。
しかしその夢はどう考えても無理な話だった。
経済的にも自分で生活できるようになるまでには時間がかかるし、現実にある学校や家庭を無視することはできなかった。
私はそんな生活をするまでには、いつまで待てばいいのかと考えた。
高校を卒業して、いくらか自由になって、アルバイトでお金を貯めて、北海道にでも旅行すれば、少しはこの気持ちが満たされるのだろうか。
私の望んだ「自然の生活」とは「誰も足を踏み入れたことのないような鬱蒼とした森の中に小さな丸太小屋を建てて、澄み切った川の流れや鳥たちの鳴き声や動物たちのくつろげる泉と共に生きる、太陽と月に守られた穏やかな日々の生活」というようなイメージのものだった。
もし本当にそのような生活を今すぐに送れるのなら、私は自分の持ち得るすべての荷物を投げ出して、その幸せに満たされた毎日を満喫するだろうと考えていた。
それは現実逃避のあらわれでもあったが、今まで忘れていた地球への果てしない想いを呼び起こすきっかけにもなった。
私は自然を身近に感じたいと願うあまり「エコロジーライフ」にのめり込んでいった。
大切なのは自然。自分では十分気をつけてきたつもりだった。自然を大切にするということは、自分を大切にするという意味でもあった。少しずつ身近なところから実行していくべきだった。
水を食物を洋服を家具を大切にしよう。もう欲張りは捨てよう。なぜそれが必要なのかしっかりと見極めよう。
「心の幸せ」を求めていた私にとって、自然こそ心を元気にし、また落ち着かせてくれるものだった。
ただそれが自分にとってどのくらい大切で、どのように関わっていかなくてはいけないのか、はっきりしていなかった。
なぜ「心の幸せ」が自然を感じることによって得られるのか、今の私にはそれが痛いほどよく分かる。
その幸せは本物だった。
高校生の自分探しを始めたばかりの私にとって、この問題に取り組むことは深く広い海にひとり投げ出されたようなものだった。
この頃の私は、自然を愛するということが、自分自身のどこへつながっていくのかということさえ見当もつかなかったのだから。
2020年42歳の今、この文章を読み返すと感じることがある。
この時から私は「ナチュラルライフ」や「オーガニックライフ」にとても憧れていた。だから自分の生活を理想のライフスタイルにしていきたかった。
しかしまだ高校生。親からおこづかいをもらって何かを買っていたので、そのような商品をすべて自分で選ぶのは難しいことだった。
それでもその自然への想いから、地球への想い、そして自分の魂の発見、生まれてきた理由へとつながっていった。