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COSMOS たましいの楽園  大天使ミカエルとの10年間の記録 1992年~2002年 14歳~24歳 ①

この物語は、まだHSPやエンパスという言葉に出会っていなかった頃の私が、自分の敏感で繊細な性質や生きづらさの原因を追究していった記録、

自分自身の魂に目覚め、インディゴチルドレンやスターシード、ライトワーカーという言葉を知らなくても、そう生きようと歩み始めた記録、

大天使ミカエルの存在、その名前さえ知らなかった私が、いつか出会える唯一無二の存在として憧れ追い求めた、14歳~24歳までの10年間の記録です。

photo by macoto.n


不安定な日常生活 

1994年 中学3年生 15歳 

毎日を規則正しく、完璧な生活パターン通りに過ごしたい。これが私のかねてからの願いだった。

起床から就寝まで自分で決めた計画を守り、目標に向かって成長していく、そんな毎日をどうしても送りたかった。

自分が心の底から満足し、よくやったと納得できる日々。でも、そんな想いを成就させる日は3日も続かなかった。

まだ高校生になる前の15歳の私は、高校3年間を自分の思いどおりに過ごしたいと考えていた。すべてが順調に進むことを望んでいた。

中学生の頃の私の心の支えは、雑誌の毎日占いやタロット占い、バイオリズムのついたデジタル腕時計、何でも願いを叶えるというラピスラズリのペンダントだった。

それほど私は、今の自分に満足できずにいた。

このままでは自分がだめになっていくような気がして怖かった。

いつも何かにすがりたくて仕方なかった。

どうして私はこんなにも不安定な状態を味わっていかなくてはいかなかったのだろうか。


1995年 中学3年生 16歳 

厳しい高校受験勉強の中、年が明けた。ちょうど家の引っ越しとも重なって精神的にも不安定だった。

私は精神的にショックを受けると、肉体的にもダメージを受けるらしい。

例えば夏から通い始めた塾での孤独感は強い打撃だった。また母から、経済的な事情で私立特訓の講座を受けることを猛反対され、次の日は体調を崩してしまう。

本命の私立高校の受験日の4日前くらいから日記も書けなくなってしまった。期末テストも1日休んでしまっている。

それでも私は占い雑誌に載っていた「2月中にかっこいい男子との運命の出会いがある」という言葉を信じて、未来に微かな希望を抱いていた。

2月最後の日まで望みを捨てなかったが、結局何も起こらなかった。

私は今までの生活を変えてくれる何かを求めていた。

本命の私立高校に落ち、公立高校にも落ちた。春休みは何も手がつけられないまま過ぎていった。

あっという間にすべり止めに受けた女子校に入学。不安なまま授業を受け、ESS部(英語劇)で活動した。

色々なことにやる気はあったが、どう行動に移せばいい分からず戸惑っていた。それでも「私は幸せなんだ」と言い聞かせるしかなかった。


私は今、何でもいいからすがりたいと必死に何かを求めていた過去の日々を、切なくなるほど懐かしい気持ちで思い出している。

漠然とした果てしない不安に襲われて、どうにも動けなくなるたびに、何とか前を向いて進んでいこうとしていたあの日々。

もし、今の私から過去の私に一言メッセージを伝えるとしたらこう言うだろう。

「今のあなたの苦しみや不安や切なさや空虚感のすべてが、必ず意味のあるものとして未来の自分の糧になってつながっていくから、その不安定な日々を味わってください」と。



 


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