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もう泣かないで。勇気の連鎖を・音楽業界でわたしが見たもの
ここのところ立て続けにX(Twitter)で性被害の事件についての投稿を見てしんどかったりしてました。オススメでバズってるの出してくるの、ほんと辞めて欲しいね。強めのやつ、見たくないのに見ちゃうもんね。
今日はですね…昨年末から書こう書こうと思ってたのですが、考え出すとなにをどこから書けばいいのか行き詰まるので、もう色々差し置いて、雑ですがダーッと書きます。
こちらの動画をたまたま見ました。
これ、気持ちすごくよくわかる内容でした。こんなに整理してちゃんと話せるってすごいことです。背中を押されました。
逆らえないパワハラとセットで洗脳されていく状態だということ、心が崩壊していくのも、報復が怖くて洗いざらい話せないことも、とてもとてもよく分かります。もう泣きながら4回見ました。本当にそう、そうなんだよ。
わたしもエッセイに書ききれなかったのは、暴露本にしたくなかったのもありますが、怖くて書けなかった部分も大きいです。
力(上下)関係があるところは皆似た構造かもしれない
わたしがいたのは音楽業界で、テレビではありません(少しは出ました)。たった2年でしたが、契約をしてしまうと「人」が「商品(モノ)」になります。人権や尊重は守られるべきものだけれど、どこかで間違った成功体験を得た、権力のある人たちが「いうこと聞くよね?」とやってくるのです。
もちろん、いい人たちもたくさん沢山、います。
デビューしたばかりの子がいると聞きつけて「何かお力になれると思いますよ、お食事でもどうですか?」といきなりメールを送ってくる広告代理店の人なんては序の口なのかもしれません。え、誰ですか?って心の中で突っ込んだ記憶があります。とにかく新人は狙われやすいようです。
デビュー時は、中年男性がライブに来て「間違ったらわかるからね?僕は詳しいんだからさあ」とわざと緊張させるような事をいうのも多くありました。今ならハイハイってなるところですが、当時はとっても怖かった。一体どこから湧いて出るのか、「まだ傷ついていなさそうな若い女の子」を傷つけたいの、なんなんでしょう。これ、ミュージシャンだけじゃなくて画家さんなどもそうらしいです。個展にやってきて、面倒くさいことを言って困らせて泣かせたりして、最後は食事に誘うオヤジ。
結局、どんな業界でも、上下関係のような状態で逆らえないと分かると、こういう人が出てくるのかもしれません。芸能界は特に、使う使われるの先に眩しく魅力的な世界があるので、そうなりやすいのだろうと思います。
以下は昔の話ですが、わたしのできごとについて書いています。無理して読まず、つらくなったら閉じてくださいね。
消えない記憶・わたしの場合
打ち合わせだとメジャーレコード会社のA氏に呼び出されていくと、また2人きり。いままでは誰かしら居たのに、ある時から2人に。話題も段々卑猥になり、暗いバーにつれて行かれ「何人と経験したことがあるの」「生理の時は何を使うの」「タンポンってさ、入れるんでしょ?気持ちいいのかなあ〜?ねえ?どうなんだろうね?」と、気持ちの悪い話ばかり…。「アーティストのことはなんでも知っておかなきゃいけない。そうじゃないと仕事できないからねえ」と言うのを、「挨拶のハグだ」と言うのを、最初のうちは笑って適当に流していましたが段々出来なくなっていきました。もうそんな時代じゃないはずと思いたかった。まだセクハラという言葉も、一般的ではなかったように思います。
レコーディングが終わった日は、終電がもうなくなっていました。
数日がかりの作業だったので帰れなくなった時のためにウィークリーマンションをとっておいていました。注意はしていましたが付いてこられてしまい、何度「ここまでで」と言っても引き下がりません。
「アーティストのことは知っていないと。信頼関係がないと」としつこいので、「このままだと押しいられる」と危機感を発動して強めに「ここまでで本当にいいので!」と伝えました。それでも「挨拶だから」「もっと知らないといけない、仕事だよ」と抱きしめようとしてくる彼を押しのけ
「あなたのいう”信頼"はそう言うことなんですか?」
と言ってウイークリーへ逃げ帰りました。本当に怖かった。ここまでの期間、何度もストレスを感じる場面があり限界を感じていました。これでお話がダメになっても仕方ない。
しかしそこから、パワハラに転じました。
「いうこと聞かない子は可愛くないんだよねえ」と耳元で囁いて通り過ぎていくA。
「カレンの仕事とると、あの人から馬鹿にされるからやらないよ」と言う宣伝部門の担当者。
2時間電話口で怒鳴られ続けたり(当時はその電話を切ることができませんでした)、イベントのリハーサルを「今日なんの日か知ってる?みんな待ってるんだけど?」と遅刻させられたり。
でももう契約してしまった。事務所もレコード会社も。イベントとなると企業も加わりますから、当時は怖くて、どうしたらいいかわからなかった。
弁護士さんをつけたり、やりようがあったかもしれないけれど発想がなかった。どんどん追い詰められていました。
母はわたしが死んでしまうのではないかと危惧していたようです。
事務所の人にも相談しましたが、わたしは事務所は後から決まった身でした。レコード会社から決められたところでしたから、A氏から「かれんはやる気がない」と伝えられており、「おはようございます」と事務所に顔を出しても全員に無視されるような状態に。それまで、「あなたは次のスターだ」と集まっていた人たちが、一気に背中を向けたのです。「あ、わたしいま誰も味方がいないんだ」と感じた、あの日の心が凍るような気持ちは鮮明な記憶です。
あるとき事務所の方がライブ会場に、「スポンサーになってくれるかもしれない人なので挨拶するように」と中国人の事業家を連れてきたことがありました。「今日はありがとうございます、ゆっくりしていってください」と普通に挨拶してその場を離れたので何事もありませんでしたが、
売れそうにないわたしに投資したところで‥‥どうするつもりだったのでしょう。無理強いはされなかったので、本当に資金だけ出すつもりだったか、真相はわかりません。でも、売れない、期待外れだった、と思われた時の処遇はこういう風になるんだなと、それが普通なのかと感じました。
最初はお給料が10万でていましたが、数ヶ月で払われなくなりました(半年ももらっていないと思います)。歌の仕事は自分では取ってきてはいけない契約になっていましたから、飼い殺しです。デビューの際に体を売ることやホステスのようなことをしなくてはならないなら辞める、と決めていたわたしですが、お酌が必要なレストランを紹介されるなどもあり、なるべく早い段階でそうしたお店での演奏は辞めていました。余計にやる気がないと思われていたでしょうけれど、それはむしろ良かったのかもしれません。
2年目の頃に事務所には交渉して「自分でとってきた仕事は自由にやって良い」という形に契約変更してもらい、これは本当にホッとしました。
これらは私が26〜27歳の頃のことです。
業界的には若くはなかったけど、それでも病みました。誰も味方が居なかった。
心、尊厳を、潰されるような感覚……。もっと若い頃だったら、耐えられたか分かりません。2年の所属を終えたあとPTSDを発症し歌えなくなり、しばらく休業したことはエッセイにも書いています。
事務所とは5年後に誤解が解け、「やる気がないと聞かされていた、申し訳なかった」と部長さんから謝罪と共に、他のアーティストからも話が出ている、Aを訴えるつもりなので手伝って欲しいと連絡をもらいました。でももう疲れきっていたわたしには、とても協力するエネルギーが出なかった。関わりたくないと断ってしまいました。それを後悔していましたが、その後レコード会社内にはアーティスト用のセクハラ相談窓口ができたと聞いています。そのことは、わたしにとっても救いになりました。
事務所はいまはもう無く、レコード会社も移転し、かなり年数も経ちましたから、当時の方は全員いらっしゃらないと思います。
当時、最初は会議の場にいた、優しかった頼りにしていた方々は途中から居なくなりました。のちに「ある時から会議に呼ばれなくなって、気づいたらアルバムももう出ていた、何もできなくて申し訳ない」と話してくださった方もいて、状況を知らなかったのだと少しホッとしたのと同時に
そんなにいい加減な状態でも仕事として成り立つ構造なんだなと、驚き呆れたことを思いだします。
この頃のことは細かく書こうと思えばまだ書けますが、これくらいにしておきます。とても追い詰められた2年間でした。
※サウンドプロデュースをしてくださったわたしの師匠は所属会社が違っていたのにデビューを手伝ってくださいました。苦しんでいる時も、会社が違い手が出せず、本当にごめんと一緒に苦しんでくださいました。誤解しないでくださいね。わたしをプロの世界に引き上げてくれた恩人です。
その頃のことで、他のレコード会社に所属するのは難しかった。デビュー時の売り上げを調べられてしまうので、「やりたいけれど企画が通らない」と言われることが続きました。
5年してインディーズレーベルの話があり、2枚目のアルバム発売につながりました。そこの会社は1年で倒産してしまい、またもや売れなかったのでありますが‥‥。
自分でCDを作り、ネットショップを自分で持ち売れる時代に、そして配信時代になってやっと自由になれたのです。自由だけど制作資金がイマイチないのが玉に瑕ですが、今はとても穏やかで幸せ。一緒に仕事をするのは優しく頼もしい人ばかりです。
そして、皆さんがわたしの活動を支えてくださっています。ありがとうございます。
書くとまだまだ動悸が出ますね。動画の彼女が「バクバクする」って言っていますが、よくわかります。今でも怖いですもの。
そういえばこの話は以前、有料noteで書いたかもしれない……心の壁になっているものを取り除きたくて、少しずつ開く練習をしてきました。やっとこうしてオープンにする決心がつきました。有料記事を買ってくれた方、応援チップくださった方、ありがとう。
20年以上も苦しみ傷つくほどのことをしたとは、向こうは思ってもないのだろうと思います。それが悔しい。今でも許せてはいません。でももう謝ってもらいたいわけでもない。無かったことにはならない、過ぎた人生は戻らないから。この文章を甘んじて受け止めて反省してくださっていたら、そして本当に芸術のために生きてくださればと思います。
ここからは、それとはまた別の話です。
1度目の性被害は幼い頃。2度目の性被害は20歳頃で、加害者はテレビカメラマンを名乗っていました。
初対面で、知人ミュージシャンの友人という認識しかなく、知らない人でしたが、向こうは知人から話を聞いてわたしに興味を持っていたと言っていました。最初から狙われていたのです。
血族には殺人者や犯罪者がいる、自分もいつそういうことをするかわからないよと脅されたあの時間の記憶は、何年もフラッシュバックしました。自分が粉々になり闇の中で、もう価値のない人間だと自傷行為のような行動を繰り返し、それでも光に向かいもがき続けました。
脅して、「殺されるかもしれない」「これ以上の暴力を振るわれるかもしれない」と思うような状況で、生きて帰るために耐えるしかないと諦める事が、どれほど苦しいか。悲しみと怒りと恐怖でどうにかなりそうでした。
それは身を守るためそうするしかなかっただけで、「同意」ではないのです。どうも「無理強いすることは同意ではない」ということが分からない人が一定数いる気がします。
Xを見てて悲しくなるのは
男はみんなそういうものだ
女はみな嘘つきだ
という、男女の罵り合いのような投稿の応酬……
いさかいになるのがとても辛い気持ちです。
「みんな」ではないのは頭では分かっていても、わたしも一時期はまとめて「男性」が信じられなかった。でも何度でも信じたいと願ってここまできました。いつか誰かをちゃんと愛したかったから。何度も何年もカウンセリングを受けてやっと、ひとまとめになっていたものを解くことが出来ました。
売名だなんだと言われるけれど、こんなこと晒して、責められて、辛いのになんの得があるんだと思います。どんなに真剣に話しても、単なるエロ話としか消化しない人たちの多さ。
みんなそれをわかっているから言い出せない。わたしが過去のことを公表したいと言った15年前、友人たちが止めた気持ちも分かります。でも変えたい、少しでも。やっとこうしてオープンに書けたのは、誰かの勇気が、誰かの勇気を呼び起こしてくれている今だから。
好意があるのだとちゃんと伝えてコミニュケーションをとって、尊重し合った上で深い関係になったのなら、このようなことにはならないのじゃないかと思います。
モノのように扱うから、力があると思いたいから、一方通行にするから、こういうことになる。
屈服させたい支配欲の大きな人間もいれば
何をやってもいいと選民志向の人間もいれば
妄想の世界に生きている人もいれば
同じ世界に生きていても、見えているものはみんな違う。
でも、わたしたちは自分が見えている世界しか分からない。あとは想像でしかない。
多くの人はまともだから「そんな事をする人がいるわけがない」って、「ほんとかな」って思うんじゃないかな。近くにそんな人がいたら怖い、考えたくないですよね。でもね、いるんですよね‥。
もしも近しい人が性被害にあったらして欲しいこと
Xで「娘がこんなことになったら、まず最初になんでそんな所にいったのかと叱る。それが親の役目だ」と書いてた方がいらっしゃったのですが、どうかそれは絶対にやめてください。さらに深く傷つきます。ただでさえ傷ついているのです、悪いのは娘じゃない。
生きて帰ってきてくれたことを労ってあげてください。
話してくれたことを、話してくれてありがとうと受け止めてください。
男性に生まれてないから男性のことは分かりませんが、
女性の多くは、小さい頃から危ない目にたくさん遭いながら生きています。
公園で遊んでいれば連れ去られそうになり、学校の通学路で露出狂にあい、電車に乗れば痴漢にあい、社会に出ればセクハラに遭い……。
ただ歩いてるだけですれ違いざま、知らない男性にいきなり胸を掴まれる痛みとショック、わかるでしょうか。ロングコート着てても遭うのです。
なんで女性に生まれただけでこんな目に合わなきゃならないのかと、何度思ったことでしょう。人混みも、人気のないところも、警戒して歩いています。
警戒がゼロになることはあまりありません。
それでも、犯罪だとわかっていながらやるような人は、どれだけ警戒しようがそれを上回る形で踏み込んでくるのです。
「もう怖くないよ、大丈夫だよ」と言ってあげてください。
病院へ行き、弁護士さんを伴って警察に行ってください。カウンセリングも必要です。一人では、動くのはとても辛いです。心、内側は、ぼろぼろですから、どうか支えてあげてください。理解ある人に力を借りてください。
日本はタブー感が強く性教育が遅れてきました。家庭でも学校でも当たり障りなく話して、でもスマホを開けば、洪水のように性的なコンテンツが出てきます。スマホの時代になってから特にひどいですよね。
性暴力、冤罪も含めて、大切な人を守るためにも冷静に、男は、女は、とただ責め合うのではなく男女ともに、どうしたらこうした悲しみが減るのかを、みんなが向き合い考えていかないとならないと思います。
わたしには力はないけれど、これだってたいした意味は持たないかもしれないけれど
どうか、誰かの涙が少しでも減りますように。前に進む一歩を、踏み出せますように。
もう、屈するのはやめよう。
望んでいない、拒否を受け入れてもらえない、あるいは出来ない状況の中で
傷ついたほうが自分を責め、怯え、生きることが困難になるのは何故なのでしょう。その必要はないはずなのに。
もう、自分を責めるのはやめよう。
深く傷つく衝撃をくぐりぬけて生き、背負わされたものと戦ってきたのだから。
わたしたちには、生きる価値も幸せになる権利もある。そんな人たちのせいで潰されたままでなくていい。
もう一度、信じられる世界を取り戻そう。
どこにでも悪い人はいるけれど
それ以上に、優しいひとたちがたくさん居るから。
それを見つけるために、進もう。
少しずつ、ゆっくりと。
誰にも脅かされない場所を選び、作っていこう。
光の届くところへ出よう。
大丈夫、もう一度、心から笑えるから。
※男性も被害に遭うことも承知していますが、私の体験で記しています。本当はもう終わりにしたい話です。こういうことがなくなって欲しい。この手記が、傷ついた誰かの勇気に少しでもなったら嬉しいです。
※この投稿は弁護士さんにチェックしていただいています。
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