「協働的な学び」、ガチで分からん。タスケテ・・・。

 皆様どうも。山本夏蓮です。

 教育の話になるんですけれど、「協働的な学び」がガチで分からなくて困っています。

 実は僕、2月15日(明後日)に行われる↓の勉強会に参加させていただくのですけれど。

 公益財団法人電通育英会さんから研究委託を受けているということで、電通といえばMリーグのTEAM雷電のオーナー企業。麻雀研究者としては、奇妙な縁を感じます

 それはさておき「協働的な学び」の概念がガチで分からなくてヤバいです。大事なことなので2回言いました。
 いや??? 別に知らなくても??? まだ学部3年だし??? 教育学部ですらないし?????

 いやしかし、学生だからと賢い参加者の方々の前で無知を晒したくない。だが、分からないものは分からない。明後日で新幹線も取ってある。
 申し込む時に、我ながら勇気を出しすぎた気もします。が、今更ジタバタしたって仕方ないんです。でもっ。

 ということで、これを読んでいる方々に詳しく僕の焦りを伝えたい。以下のことでものすごく悩んでいる。

 「協働的な学び」は、令和3年答申教育課程部会における審議まとめで以下のように記されている。

探究的な学習や体験活動などを通じ、子供同士で、あるいは地域の方々をはじめ多様な他者と協働しながら、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、様々な社会的な変化を乗り越え、持続可能な社会の創り手となることができるよう、必要な資質・能力を育成する「協働的な学び」を充実することも重要である。

令和3年答申p.18,教育課程部会における審議のまとめp.4

 オーケーオーケー。探究的な学習ね。安彦忠彦先生「習得・活用・探究」が背景にあるな。体験活動ということは、ゆとり教育の時代の話も背景にあるな。よし分かった、完全に理解した。

 いやちょっと待て。

 これは「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」の中で出てくるんだ。「個別最適な学び」と関わってくるのは1989年版学習指導要領の「個に応じた指導」。そして、「指導の個別化」「学習の個性化」だ。

 「指導の個別化」「学習の個性化」といえば、1980年~1990年の「個別化・個性化教育」。上智大学の加藤幸次先生の本なら読んだぞ。そこでは「一人学び」が提起されているから、それだけじゃダメだぞってことで「協働的な学び」だな。完全に理解した。

 いやちょっと待て。

 じゃあ、加藤先生の「個別化・個性化教育」と、安彦先生の「習得・活用・探究」ってどう接続して解釈したらいいんだ???

 よし、よく分からないから置いといて、「協働」という漢字から理解してみようか。

 そう! 僕は溝上先生の本で、「協調(collaboration)」と「協同(cooperation)」は違うと勉強したんだ! 「共同」「協働」についても、学術的に見ると違いがあるに違いない!!

 そう思って、上智大学の奈須正裕先生の本をチラ……。

なお,本書では,まずはできるだけ多様な実践や研究が一堂に会することを最優先としたので,用語の統一が十分に図れてはいない。典型は「協働的な学び」をめぐるもので,執筆者により,共同,協同,協働,協調などさまざまな表現が用いられている。いずれも,それぞれの実践や研究の背景,経緯,依って立つ立場などから,その表現でなければならない十分な必然性がある。

奈須正裕ほか  2023 p.ⅲ

 アッ……。どの用語でも「協働的な学び」なのね。そうですか。ソウデスカ……。

 いやちょっと待てい! つまり、「協働的な学び」はとりあえず学術的な議論は横に置いた施策用語で、全ての概念を包含する傘概念(umbrella terms)なのでは!?

 でもでも、そもそも施策用語と決まったわけではなく、本来「協働」の意味しかなかったものを、他の立場の研究者が勝手に自分の立場に都合よく置き換えてるだけかもしれないもんね。
 「協働的な学び」って、学術的にどう位置付けられるの???

 あ、でも僕、そもそも「共同」「協同」「協働」「協調」の学術的な議論とかそれらの差異とか、よく分かってないや。

 オワッタ……。

 キラクニッテイワレテルシ……。不安しかないけど、とりあえず、当たって砕ければよい??


【さんこーぶんけん(瀕死)】
・加藤幸次・安藤慧(1985)『個別化・個性化教育の理論』黎明書房
・加藤幸次(1985)『「一斉画一授業」改革の提案』明治図書
・奈須正裕・伏木久始編(2023)『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』北大路書房
・溝上慎一(2014)『アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換』東信堂
・溝上慎一(2017)『高等学校におけるアクティブラーニング:理論編(改訂版)』東信堂

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