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芸大受験~4度目の正直③
11.3次審査に落ちた理由とは
当時まだ携帯すらない時代、インターネットも未発達だったから、情報がない。
論文については、師事していた先生にも何も言われたこともなかったので、文章を書けばいいんでしょ、くらいに思っていた。
過去問とかも全く調べず、ノーマークだった。
課題は「一人の作曲家を挙げ、それについて述べよ」だったかな。
私は浪人中、ドラクエにはまり散らかしたこともあり、すぎやまこういち先生について述べた。
亡くなられた今でこそレジェンドと言われるが、当時は単なるゲーム音楽と軽んじられている風潮もあったため、もっと評価されてしかるべきという信念のもと、熱く自論を展開したのだ。
何もそれを受験の時に、藝大の教授相手にしなくても良かったのではないだろうか。
芸大に合格したかったら、クラシック音楽史をしっかり勉強し、それなりに学識をアピールする必要があったのだと思う。
結果、3次審査通過者の7人中一人だけ落ちるという残念な結末となってしまった。
後年、あの時すぎやまこういち先生の論文を書いたことを同期の芸大合格者に打ち明けると大笑いされて、自分がやらかしたことを知った次第である。
迷惑なのは、私のために大恥をかかされたであろうエラい先生。
本当に申し訳なく思っている。
12.藝大大学院をダメ元で受験
さて、私立の莫大な学費を親が渋々出してくれて、私は念願の音大生になることができたわけだ。
ところが、まえがきにも書いた通り、音大を出たところで、道はないのだ。
大学4年生の夏、当時付き合っていた彼氏につられて、藝大の大学院を受験してみることになった。
フルート科は、例年2名の枠しかない難関だ。
ダメ元受験でしかなかったのだが、あっさり合格してしまった。
要因はいくつかあり、一つはこの年、定員が4名に増枠したこと。
芸大生の間では、誰が2名の枠に合格するのかすでに予想ができていたので、本気を出して受験する子がいなかった。まさか4名になるなんて、誰も思っていなかったのだ。
さらに、これは想像だが、現役ドラフト会議ではないけど、大学野球でがんばってきた選手?を採用しよう、となったのかもしれない。
審査する先生方は、私が現役で3回失敗したことを知っていたからだ。
芸大院一次審査の実技は自由曲。一番難しい部分を指定されたが、一瞬しか吹かせてもらえなかった。
論文や英語の試験もあったがあまり覚えてない。
英語のテストは難しすぎて、半分審査対象から外されたと聞いた。
二次審査は、現役受験と同じように一通りソルフェージュやピアノ、新曲視唱などがあった。
それらは大学在学中に勉強していたこともあり、まったく問題を感じなかった。
そして論文も書いたが、過去の失敗をいかして、クラシックの作曲家について述べたと記憶している。
「あっ、私ってもしかして音大受験ベテラン?」と感じたのは、この時である。
13.芸大受験まとめ~4度目の正直だっていいじゃないか
「あっさり合格した」では、乗り越えたい人の参考にも何もならないだろう。
しかし受験とはそんなものかもしれない。
頑張っても落ちるときは落ちる。
頑張らなくても、受かるときには受かる。
でも声を大にしていいたいことは、人生を長い目で見た時に、受験の失敗が、ダメなことだとは限らない。
私にとって、現役受験失敗、地獄の浪人生活、私立大学での沢山の経験、彼氏との出会い(アベック入学したけど、のちにふられた)全てが繋がっていた。
それに、二つの大学にまたがっての経験や人脈があったことは、フリーランスとして食いつないでいくうえで、非常に大きかったのだ。
スラスラとスマートに藝大に合格し、エリート街道をひた走るのもすごいけど、武勇伝だらけの人生を語れる自分もカッコいいなあと思っている。
受験生の皆さん。
大失敗したって面白い人生が待ってるだけだから、大丈夫だよ。
思う存分やっちゃいな。