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誰かを救うためには、自立しなきゃ始まらない。

『自転しながら公転する』山本文緒 著:新潮社

 先月の8月25日の朝日新聞にて、翻訳家の鴻巣友季子氏が「ケア労働と個人」というタイトルで文芸時評を寄せていた。そのなかで、あのサン=テグジュペリの『星の王子さま』について触れている。要するにそこで鴻巣氏はこの小説の王子さまは、今で言うところのヤングケアラーだったのではないかと。彼がひとり切り盛りする星で、注文の多い花の面倒を見たりするのだが、それはまるで寝たきりの者の介護のようだ、と述べている。その大変な介護のなかで、それを放棄し遠くへ行きたくなるなる気持ちも(実際王子は地球へ来るのだが)わかる、と。そして、その放棄したことへの後悔というか、心残りが、王子の闇なのではないかと。

私はこの小説の読後、その時評のことを思い出した。

三十過ぎの主人公都は都内でバリバリ働いていたのだが、母親の看病のため急遽、実家茨城へ戻ることとなる。母親桃枝は重い更年期障害で、現在はほぼ引きこもり状態。家のローンの返済もあるため、父は会社をあまり休むことも出来ず、都に母親の看病がのしかかる。地元のアウトレットで働くことになった都は、そのモール内でひょんなことから、貫一という元ヤンキーの青年と出会い恋に落ちるのだが…。

 結婚を意識する都と、そうでもない貫一との温度差が読みながらやるせなかったりもする。そこには、現代の男と女の結婚観の相違も垣間見ることが出来る。結婚をめぐる(その結婚における夫婦とか)書かせたらおそらく右に出るものはいないであろう山本文緒の筆が、今作品でも冴える。

 さておき、この都の看病なのだが、貫一と出会ったことにより、結果的に彼女は、あまり家に帰らなくなってしまう。つまり、あの王子さまのようにケアを放棄して逃げ出す。結局、これでは何のために実家へ帰ってきたのかわからないという本末転倒さに、父親にもなかば匙を投げられる始末。しかも貫一は、学歴が中卒の元ヤンキーで、あまり仕事にも恵まれていない。にもかかわらず、情が深く、困っている人のためにボランティアに勤しんでいたようだ。周りからは、ボランティアはありがたいが、無職者が人助けしてる場合か、などと諭されたりもする。

この小説でテーマとなっているのは自立についてだと思う。

 昔、村上龍の『最後の家族』という家族小説があった。引きこもりの青年が自立へ向かうまでの家族の話。隣の家でDV被害にあっている若い妻に恋した青年が、彼女を助けたいがために奮闘し、誰かを助けたり支えたりするためには、なにより自身が自立しなくてはならない、ということに気づく。そして勇気を出して社会と向かい合うことを決意し、やがて弁護士を目指すという話だった。

 話が飛んだが、この山本氏のこの小説にも同じような、自立についての問いかけがあるように感じる。結果、都の父母は子供に頼らない生き方を模索しだすし、都も結婚ということを通し、現実的な生活が目前に突きつけられるなかで、仕事を通しての自立に目覚めていく。さて、貫一はどうか。ボランティアという行為もおそらく、こういった自立というテーマにリンクしていると思われるが。(また、貫一は自身の父親が高齢で現在は老人ホームに入っておりその世話もしている)そういう意味では、この貫一青年はものすごくケア意識やホスピタリティ能力が高い人物だ。しかし、甲斐性のない男に未来はあるのだろうか。ふたりの将来に暗雲が立ち込める。

 先ほどもいったように、互いが自立した存在でなければ、誰かを救うことは出来ないし、支えることもできない、それは真理だと思う。

 ならば、都と貫一はどうなるのか。その結末も大きな読みどころだ。

結末近く、ある人物が言う言葉がまた深い。「別にそんなに幸せになろうとしなくてもいいのよ。幸せにならなきゃって思い詰めると、ちょっとの不幸が許せなくなる。少しくらい不幸でいい。思い通りにはならないものよ」





 

 

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