大正時代の妓楼~旧中村遊郭を歩く
大正時代に栄えたという、名古屋の旧中村遊郭(中村大門)見学ツアーがあったので、久しぶりに行ってきました。
中村大門に残る遊郭建築物の跡。
中村大門とは、大正時代にできた遊郭一帯の地域です。
しかし江戸の吉原・深川等とは違ってガイドさん曰く「大正時代にできた」そうで。
それまでは明確な「遊郭」と言われる場所が名古屋にはなかったそう。宿場町や門前町があるので、女郎屋はあってもエリア一体が、という意味としてだと思います。
また中村大門は現在暗渠になってますが、吉原のお歯黒どぶの様な用水路で囲まれています。
これも「土地が低く、水はけが悪いため排水用に作った」という非常に現実的な地理的環境の産物だそうで。
そもそも遊郭が中村大門に出来た理由が「駅が出来たから」という、こちらも現実的な理由です。
土地が低く、水はけが悪いとこへ町を作って繁華街にするっていうのは、遊郭らしい理由ですね。
旧松風旅館見学
さてメインの旧松風旅館見学です。
こちらは普段、デイケアサービスセンターとして利用されてるため、有料ツアー申込以外では見学できません。
また今のご時世ということもあり、感染対策も兼ねて2階のみを静かに15分だけの見学でしたから、ササッと見て回るのが前提です。
中村遊郭内でも最も格式の高い妓楼だったそうで、今も意匠がそれを伝えます。
自由見学だったので、あちこちの部屋を覗いたり。部屋によって少しずつ意匠が違うので、格も違ったんだろうなーと。
部屋の中に明り取りのスライド窓がある部屋もあったり、一番違うのは客が待つ部屋と上がり框なんだけど、どうにも写真では伝わらない。
いくつか見て回ると、格がそこですぐわかるんですよね。
遊郭建築と中庭
どんなに小さくても「中庭」が妓楼には作られてる、と聞いてましたが、実際にどこからでも中庭が見られます。
人工の滝の跡もあるからどんだけ金かけてたか解りますねえ。
今じゃほとんど見ない擦りガラス1つとっても、当時は物珍しく豪華さを表す物だったんだろうなと、思うところです。
妓楼の構造を上から見てみよう。
遊郭内の見学の後は最後に、「上から遊郭の構造」を見てみよう、ということで隣の屋内アピタの駐車場へ。
左端の赤茶の壁の建物含めて、旧遊郭なので中庭>屋根>中庭>屋根、と3つの小さな中庭が見えます。
昔はこの構造が続いてたんでしょうね。
左下の建物が蕎麦屋かな。
歩いた後は銭湯で
見学後は大須まで戻り、仁王門湯へ行ってさっぱりと。以前エントリで書きましたが、ここは13時半くらいからやってるのです。
お疲れ様でした。
オマケ:旧遊郭建築の蕎麦屋
ついでに別の日に行った旧遊郭建築をリノベーションした蕎麦屋の写真も。
前述の通り、アピタの前にあります。
こちらももちろん大正時代の妓楼建築です。
リノベ補修されてるので流石に状態も良く綺麗。
中に案内されると、中庭が見られます。こちらも綺麗に整備されてるので、何となくこんな感じだったのかしらと。
ぶらっと旧遊郭建築散歩の後に立ち寄るにはもってこいの店ですね。お蕎麦も美味しいのでお勧めです。
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