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人のこころとからだ まとめ

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私たちの「こころ」や「からだ」について書いた文章をまとめています。こころとからだは、一つの現象の二つの現われであると思っています。人という営みは、個人のこころとからだを通して、多…
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#子育て

遊びの中のからだ育て

昔からある「子どもの遊び」というものは、「子どもを育てる」という観点から見てよくできているものが多い気がします。  全身を大きく動かしたり、あるいは指先を細かく繊細に使ったりして、からだをさまざまに使い分ける練習になっていたり、大勢の子どもたちと協調してチームプレーで動く練習になっていたり、年齢の異なる集団で仲良く遊ぶためのルール作りの練習になっていたりと、私たち人間が社会生活を営んでいくためのさまざまな練習になっているのです。 しかも多くの遊びが、その遊び専用の道具が無

健康の3つの要因

1970年代の初頭、ナチスの強制収容所を生き延びた女性たちの健康状態を調査するプロジェクトがありました。 強制収容所では、ホロコーストに代表されるような大量殺戮が行なわれていましたから、そんな中を生き延びてきた女性たちは心身に大きな傷を抱えることになり、戦争が終わって収容所から解放された後も、日常生活の中でそのトラウマや後遺症に悩まされる人が大勢いたのです。 プロジェクトメンバーの一人である医療社会学者のアーロン・アントノフスキー博士は、多くの研究者が後遺症に苦しむ人たち

いつかの言葉【世阿弥】

 世阿弥(ぜあみ)といえば、言わずと知れた室町時代の能(猿楽)の大スターですが、彼は後進のために多くの能の伝書を書き残しました。現在でも使われる「初心忘るべからず」とか「秘すれば花」といった言葉も、世阿弥の言葉です。 彼の伝書は、能の稽古について書かれたものですが、そこで説かれていることはあらゆることに通じるとして、現代でもさまざまな芸事や運動の稽古においてよく引用されています。 伝統芸能の世界では、きわめて幼少の頃から稽古をしていくこともあって、伝書の中には小さな子ども

からだを育て、腰を育てる

1.手考足思昭和の初めに、ありふれた日用品の中に「用の美」を見出し、その価値を世に問うた「民藝運動」という活動がありました。 その民藝運動の中心となった人物の一人に、河井寛次郎という人がいるのですが、その人の言葉に「手考足思」というものがあります。 「手で考え、足で思う」とは、まさにものづくりを行なっている作家ならではという言葉ですが、シュタイナーもまた「手で判断し、足で帰結する」と似たような言葉を残しています。 一般的には、人間は「頭で考える」と思われていますが、思考

愛は振り返って初めて気づく

1.からだがやってくれていることたとえば「ノドが渇いたなぁ…」と感じたとします。「水を飲もう」と思い立って戸棚からコップを取り出し、水道の蛇口をひねってコップに水を注ぎ、ゴクゴクとその水を飲み干します。 それは多くの人にとってはさほど難しい行動ではないでしょう。たいていの人はほとんど何気なしに行い、気にも留めていないかも知れません。 ですが、そこで行なっている行動を改めてひとつひとつ考えてみると、「自分がいったいどうやっているのか」よく分からないのではないでしょうか? み