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健康の3つの要因

1970年代の初頭、ナチスの強制収容所を生き延びた女性たちの健康状態を調査するプロジェクトがありました。

強制収容所では、ホロコーストに代表されるような大量殺戮が行なわれていましたから、そんな中を生き延びてきた女性たちは心身に大きな傷を抱えることになり、戦争が終わって収容所から解放された後も、日常生活の中でそのトラウマや後遺症に悩まされる人が大勢いたのです。

プロジェクトメンバーの一人である医療社会学者のアーロン・アントノフスキー博士は、多くの研究者が後遺症に苦しむ人たちの「病気の原因」を探ろうとする中で、まったく逆のアプローチを取って、健康でいられた人たちの「健康の要因」を探ろうと研究をしていきました。

つまり従来の医学が、病気に対して「病気の原因となるものを解明し取り除いていこう」という考え方を取るのに対して、「健康になるための要因を解明しそれを強化していこう」という考え方を取ったのです。

その研究結果から、博士は「健康生成論」という考え方を打ち出しました。そして、その「健康の要因」として「首尾一貫感覚(SOC:センス・オブ・コヒーレンス)」というものを提唱するのです。

「首尾一貫感覚」というのは3つの要素で構成されており、それぞれ「把握可能感」「処理可能感」「有意味感」と日本語に訳されています。

1つめの「把握可能感」というのは、自分の置かれている状況が「把握可能」だということ。たとえ自身が酷い状況に陥ったとしても、なぜこのような事態になったのかその構造がだいたい把握でき、理解できるということ。強制収容所のような状況であっても、理性においては自身の置かれている状況を理解できるということです。

ですからその反対の感覚を一言で言うと「何でこんな目に遭わなくちゃいけないの?」ですね。

2つめは、自分は今の状況に対して処理対応できるという「処理可能感」。
たとえできることは少なくとも、その現実に対して処理していくための計画性や実行性を自分は持っている、と思えること。「自分には何かできることがある」ということ。

その反対の感覚を一言で言うと「どうしようもないでしょ!」ですかね。

3つめは、この状況は自分にとって必ず意味があるという「有意味感」。
たとえどんな酷いことが自分に降りかかったとしても、それはきっと自分の人生に統合されるだけの何らかの意味があるのだと思えること。

その反対の感覚を一言で言うと、そのまんま「何の意味もない!」ですね。

こうやって並べてみると、これらの感覚は確かにとても大事なような気がします。もし自身に何か不幸なことが起きたときに、何が起きているのかまったく理解できず、どう対処して良いのか思いつかず、そこに何の意味も感じられないのだとしたら、それは到底立ち直ることもできずに、生きる気力も失って、身も心も病んでいってしまうことでしょう。

先ほど上げた3つの感覚の「反対の一言」を並べてみると…

「何でこんな目に遭わなくちゃいけないの?」
「どうしようもないでしょ!」
「何の意味もない!」

となりますが、博士の理論に従って考えれば、そのような言葉を口にしていると、自ら健康に背を向けていくことになってしまうということです。

そのような言葉を言ってしまいたくなる状況というのは、長い人生の中には確かにあるかも知れません。強制収容所など、その最たるものであるでしょう。

ですが、たとえそのような状況にあっても、「何が起きているのか知ろう」として、「何かできることを考えよう」として、そして「どんなことにも必ず意味がある」と思うことが、自身を強く健やかに保つということなのです。

このような考え方ができるようになる土台には、勉強して身に付ける「頭の良さ」と言うよりも、幼少時に育まれる「物事との向き合い方の構え」というものが大きく関わってくるように思います。

それは何というか「生命体としての強さ」のようなものです。

それはもちろん生まれ持った天性のようなものもあるでしょうが、幼少時の育ち方、暮らし方、構え方、関わり方、そのようなものによって育まれるものだと思います。

そんな子どもを取り巻く環境要因の中で、非常に大きなウェイトを占めているのが、つねに周りにいて関わり続けている私たち「大人」です。

私たち大人が、世の中のさまざまな出来事に対して、「何でだろう?」「何かできるはず!」「きっと何か意味がある!」という構えを持って向き合うことが、そんな私たちの姿を見つめる子どもの中に、「健康でいる力」を育むことになるのだと思います。

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