【再定義シリーズ】 感応について その7 感応する全ては緊張
身体を合わせた時には瞬間にどう身体感覚は写るのか、を求めて感応とは何か、と向き合い始めました。
甲野先生に出会ってからの30年近く、身体感覚、そして、そこに生まれる感応を手掛かりに稽古を進めてきました。
当初、相手との間にやり取りされる感覚もわからず、困りましたが、接触を手掛かりに探れば、そこに「触れている側」と「触れられている側」の二つの視点があるのがわかります。
思い込みで動くのではなく、その一つの接触を二つの側から切り替えるように見ていくと、結果的に丁寧な動きへと変わります。
私にとって、感応に頼る事は大切、いや、それ以上に、根幹だったのです。
しかし、今回、感応とは何か、と考えだして得た答えは、感応そのものをちょっと視点高くフラットにみた事で、想像もしなかった驚きのものになりました。
「感応は安心できる場所(空じゃない場所)をはみ出た時に生まれる事である」
それが今の私の定義です。
これだけみると、感応に対して否定的にも見えるかもしれません(笑)。
しかし、それは違います。これまで感応を手掛かりにしてきた何十年かあるから、そして感応を活かす方法を知っているからこそ、それとは違う、場のエネルギーもみなきゃ、と自分を戒めるように再定義をしました。
空じゃない場所にいる時、身体は落ち着きます。
外からの刺激が届かず、変化が出ません。結果的に、落ち着きが続きます。
心落ち着くのですから、肉体にも緊張は出ません。
しかし、現実の世界に目を向ければ、毎日、いや、毎瞬様々な刺激にこの身体は緊張しているのがわかります。
頭ではすべてを許そう、と思っても、日々世界をにぎわす嫌なニュース、また、視界に入り込む見たくないもの。ちょっとしたトラブルも、身体には緊張として現れます。
小さな変化にも気を配る事によって、そこから学ぶものもあり、より精度よく毎日、日常を過ごせる。これが今までの私の生き方でした。日常生活を稽古に、というのはまさに、これ。
当然、それはさらに感度が高まります。
感度が高まれば見なくてもいいものも見つけてしまいます。しかし、それでまた、新たな自分を見つけられて、新たな世界が広がるのですから、こんな素晴らしい事はない!、と思っていたのです。
しかし、今、空じゃない場所を見つける事ができました。ここは自分一人だけがいる場所、安心できる場所です。
ここに居続けたいなら、外からの刺激に対して、感応すること自体を切り捨てていく事が求められます。
感応しているのか、どうか、これを探るのは難しいはず。なぜなら、そこに基準がないから。エネルギーは勝手に交流します。そして、それを自分の身体や心(脳)がキャッチをするかどうかで決まります。
全宇宙にはダークエネルギーというエネルギーが7割ほど満たされているそうですが、それは今の科学力をもってしても観測も出来ないとの事。いくら計算で得られても、それは、「無い」のと同じです。
身体に刺激が現れてからが勝負です。
先ほどの世界分けでいけば、
現実-肉体-身体感覚、思考-エネルギー-おばけ
肉体が大きく動く事で気づくか、より小さなレベル、身体感覚や脳のレベルで気づくかを基準にしたいところです。
そして、この時、見つけるきっかけとして「緊張」を意識するのです。
全ての緊張は感応の結果で起きた事。これぐらいの判断でいいのではないか、と思います。
緊張の意味はわからなくてもいいのです。そして無理やりとるものでもない。
緊張を分解すれば、肉体は身体感覚化します。
理解する気持ちを持てば、脳の中もクリアになるでしょう。
まずは緊張を見つける。しかし、大抵の場合、緊張は見たくないものです。安心した暮らしを求めるはず。
ただ、その安心は簡単には得られません。緊張は消えない、なくならない。この立ち位置から始めなくては、何も見つかりません。だからこそ、「武」という命を襲われる事が前提の学びが役に立つのです。
【つくば稽古予定】参加受付中
9/11 つくば稽古
つくば稽古では、主に「怪我の功名」について、詳しくお伝えしたい思います。座骨と心臓、そして、そこから胎児の感覚、魂の感覚、もう大変です(笑)。
基本もなければ、覚えなくてはいけない技もない。ペアを組んで号令に合わせて行う練習もありません。気楽に、興味本位でご参加ください。
詳しくはウェブサイトでご確認ください。
申込、詳細はこちらのページから
【甲野善紀先生】浜松稽古参加受付中
9/24(土) 甲野善紀先生浜松稽古
先生の稽古は受講の仕方が自由です。
見るだけ、聞くだけでも大丈夫。もちろん、しっかり、手を合わせて感覚を探る事も出来ます。
武術だから、と敷居が高いと思われる人もいるかもしれませんが、大丈夫です。
私は先生にお会いして人生がガラリと変わりました。こんな生き方があるのを知らなかったのです。その生き方とは「身体に従い生きる」という生き方。便利になりすぎて、皆すっかり忘れてしまっています。
一生に一度は甲野先生の稽古を・・・、そんな気持ちです。
詳しくはウェブサイトでご確認ください。
申込、詳細はこちらのページから