ちまたで話題になっている最新の脳科学が定義する「意識」。
夏に一時帰国した時に見つけた脳科学の本に、
ベンジャミン・リベットという方の実験のことが書かれていた。
こうしたいと思う前に、もうすでに脳はその行動に向けて動き出しているとか。
しかも0.3秒も前に。
それを読んだ時はぶっちゃけ、ピンとこなかった。
その後、養老孟司さんのYoutubeを見つけ、順にみていると
まさにこの「意識」についてのお話が。
要約すると、
脳がすでにオーダーしたことに対して、後付けで理由、説明をしたものが意識。
なるほど。
ちょっと待てよ、と。
意識が生まれる0.3秒前には脳がその行動に向けてすでに動き出している。
もしそうだとすると、
私がいつもアレクサンダー・テクニックを指導する時に言っている
「無意識に発動している癖のままではなく、意識して身体を使う」
というのが、成立しない。。。
だって意識が生まれる頃には、もう身体動いちゃってるんだから。
じゃあ、私は一体何をアレクサンダー・テクニックで教えてるんだ?
これは困ったことになった。
「意識」というものを調べに調べ、考えに考え、数週間。
さまざまないくつもの内外からの刺激、情報を無意識で同時に受け取り、それを処理してこれまでの経験や学習から予測し、その場面で一番適しているだろう選択をし、それが意識として現れる。
そこまでは理解できた。
そうなると、私が指導しているアレクサンダー・テクニックはどの部分を担うものになってくるのだろうか。
適切な情報処理をする上で、的確な経験と学習がとても重要になってくるのだろうということは分かる。
おそらく、そのよりよい経験、学習の部分にアレクサンダー・テクニックは絡んでくるのだとは思うが、答えが掴めそうでなんか掴めない。
そんな時、11月8日放送のテレビ番組「カズレーザーと学ぶ。」で”意識”が取り上げられていて、カズレーザーさんのコメントにちょろっと答えが見えた気がした。
まさに、これかも。
オチも考察の余地ありですが、
私が指導してるのは、このいいコンシェルジュを自分の中で育てるのに関連してるかも。
アレクサンダー・テクニックのレッスンでは、
「今から椅子に座ります。でも座るって考えないで。
その代わりに、ディレクションにそって、頭が脊椎にのっかっている部分をゆるめて、頭が脊椎に乗っかってしまわないように。。。(略)」
という風に、シンプルな動作の中でひたすら同じディレクションを生徒さんに繰り返してもらう。
その動きの間、生徒さんの中で何度も意識(椅子に座る場合は、椅子に座るという意識)の介在があり、
その度にインストラクターはストップと言って生徒さんの動きを止め、
再びイチからディレクションに沿うという作業を繰り返してもらう。
ひたすら繰り返す。
ただ、意識を生み出すのは大脳のみ。
体の平衡や体軸の維持に関わる小脳は意識を生み出さない。
私が指導しているアレクサンダー・テクニックは、この体の平衡や体軸からは切って離せない。
この辺も、もう少し深く掘り下げていかなあかんとこかもしれん。
にしても、脳ってすごいわ。
情報処理の量を考えると、
無意識を全部意識化すると脳がショートするのは絶対。
だからいちいち考えなくてできちゃうことを考えようとすると、いやいやそんな考える必要ないよって脳が考えるの拒否しようとするんだろうな。
まさにアレクサンダー・テクニックは、自分の脳との闘い。
ちゃんとした経験と学習を得るために、自動でできてしまっていることを見直し、意識してする作業=理由づけしてする作業。
大人もそうだけど、これからの未来を担う子供たちに
なんとか分かるように伝えたい。
子供は賢いから、そのまま伝えたら伝わるかもしれないけど。
でも、小学生にもなると脳、意識はもうずいぶんとがっちりしたものができている印象を受ける。
柔軟だけど意思の硬いその子供の脳と、どう話をつけたらいいか。
課題はまだまだいっぱいだあ。