高い城の男 ~敗戦国の誇り~
日本代表と言われても……
2024年夏、花の都パリにてオリンピックが開かれていた……らしい。というのも、一競技たりともテレビ中継を見なかったので、僕にとっては噂話以上のものではなかったのだ。なぜ世間(普段スポーツに興味がない人含む)があれだけ騒いでいるのに、興味がないのか。
自分の中で答えは出ていて、「日本代表を応援する」ということに実感を持てないのだ。SNSや翻訳技術の発達で世界の誰とも関われる現代で、「日本人」という括りを感じることなく日常を送る僕にとって、「日本代表」は「自分の所属する集団の代表」とは感じ得ないのである。
僕の中に「ナショナリズム(=国民意識)」なんてものは存在しないと、改めて感じたこの夏。メダルを手に帰国した選手達のバラエティ番組巡りも落ち着いたころ、一冊の本を手に取った。
フィリップ・K・ディック「高い城の男」
この本に思いっきり分からされた。僕、ナショナリズム、持ってます。
SF好きなら知らない人はいないであろう大作家フィリップ・K・ディック。SFに興味がなくとも「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」というタイトルは知っている人も多いだろう。本書の後書きによれば、そんなディックの長編のうちでも最高傑作と推す声が多いのがこの「高い城の男」だそうだ。
SFと言っても未来の世界の科学技術は出てこない、第二次世界大戦に枢軸国が勝利したというパラレルワールドが舞台である。以下にあらすじを載せる。
枢軸国が勝利したということは、当然この小説の中でのアメリカは「敗戦国」である。主人公の一人(この小説は群像劇で、主人公と呼べる人物が複数いる)であるアメリカ人古物商ロバート・チルダンは、戦勝国民である日本人の機嫌を損ねないように(あわよくばコネクションを作ろうと)媚びを売る毎日だ。この「敗戦国民の卑屈さ」に僕は大きな心当たりがある。
敗者のコンプレックス
戦争に「正義」などないのは重々承知しているが、それでも「第二次世界大戦の悪役」と言われれば枢軸国側が浮かぶだろう。ナチスや日帝にはその「イメージ」がある。
日本で生まれ育った僕も、当然のように第二次世界大戦についてはアメリカやイギリスに正義のイメージを持っている。だから「第二次世界大戦に日本が負けたのは当然」と思っているし、これはたぶん僕だけのものではない。
それが証拠に「そこが日本人の悪いところで~」「欧米では~」みたいな論調が色んな所で見られる。どうしても「敗戦国民」である僕たちは「戦勝国民」である欧米人の文化の方が優れてると思い込んでしまうのだろう。(まあ大戦前から鹿鳴館で猿真似パーティしてたんだけども)
褒められてうれしいのは自信がないから
話を「高い城の男」に戻そう。この本の中では敗戦国民であるアメリカ人が、日本人をほめちぎるシーンが何度も出てくる。「日本人はこういう考え方をできる。だからアメリカは負けたんだ」「日本人の持つ詫び寂びの感覚、これこそがアメリカ人にはないものだ」みたいな論が何度も。しかもディックの凄いところで、日本人の僕が読んでも「確かに日本人ってそうだよな」という納得感がある褒め方なのだ。こういうシーンが出てくるたびに、変な気持ちよさがあった。いや、濁すのはやめよう。僕は小説内の戦勝国民日本人に、誇りを感じ気持ち良くなってしまったのだ。そしてそれは逆に、気づかないほど深層的な部分で、日本人として欧米に対する劣等感を抱いていたことを意味している。優れた作品は自己との対話を引き起こすというのが僕の持論だが、この小説によって現れたのは僕の「ナショナリズム」だった。しかもそれは「敗戦国民」という歪な形をしていた。
敗戦国の誇り
では枢軸国が敗北した世界に生きる僕が、「敗戦国民の卑屈さ」でなく、「日本人として誇り」を持つにはどうしたらよいのだろう。驚くなかれ、その答えすらこの小説の中にある。
先述の古物商ロバート・チルダンが、日本人の顧客にあるビジネスを提案されるシーンがある。ざっくり言うと「アメリカ人工場員が手作業で造ったアクセサリーを、鋳型で大量生産して発展途上の人たちに安くお守りとして売ろうぜ。」というものだ。ここでチルダンは悩むことになる。手作業での技術とデザインに誇りを持っていた工場員(この工場員も主人公の一人)にとって鋳型で安く大量生産というのは耐え難いことだろう、しかしせっかく作った日本人とのつながりを考えれば無下に断るわけにもいかない。両社の板挟みにみえるこの状態で、チルダンは自分の魂に従う決断を下す。この決断こそ、この小説において最も尊いもので、僕が日本人として持つべき誇りなのである。
終わりに
ロバート・チルダン以外の主人公も本当に魅力的で、特に中間管理職の悲哀を感じさせるも後半にて覚醒しコルトパイソンの早撃ちを魅せる田上信輔、情緒不安定で既婚者ながらも男をとっかえひっかえする柔道美女ジュリアナ・フランクの二人はキャラクターとしてものすごいインパクトがある。
このように本書のほんの一部分だけしか触れられていないのだが、一番グッと来た部分について書けたからここらで筆を置きます。難しいことを考えずに娯楽小説として読んでも十分以上に面白い作品でした。
最後に、この駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございます。
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