
愛していると言ってくれ
「愛していると言ってくれ」
かつて私はレコード会社勤務で、その会社からリリースされた商品の中に名作ドラマ「愛していると言ってくれ」のビデオがあった。
そのころの私は総務にいて、代表電話にかかってくるいろんな人からのいろんな内容の電話に最初に出る、受付的な役割も担務の1つでした。
自社の役員&社員からの電話も、ユーザーからの電話も、取引先からの電話も、タレント・アーティストからの電話も、なんらかの売り込みの電話も、何言ってるかわからない電話も、出る前は同じ呼び出し音であり、内線と外線の呼び出し音はリズムが違うからその違いだけはあるけど、内線なら安心、ともいえない環境で、電話は最初すごく嫌いだった。(今は着信している電話が誰からか見えるって画期的だよね)
代表電話を取るのは、私だけの仕事ではなくて、部署内の取締役・部長・副部長以外は基本的に電話に出てくれるのだけど、それは、電話にいつも出る私を含め4人くらいの女性が全員いないとか、全員が電話にすでに出ている状態とかのことであり、忙しいのは雑務に追われている女性陣という感じ。
朝の業務開始が9時半だったのに、10時、15時には部員全員にお茶を入れるっていうのも女性陣にはあって「お茶当番」なるものがあり、これが「業務外」な扱いでね。
今から考えるとほんと、謎、でしかない、平成の初めの頃の話。

ああ、業務で担務ってことにしてくれてたら、9時半から30分かけて優雅にお茶を出したらよかったんじゃないか?など、30年プラス後を生きる今の私は思うのです。
(だって、部署の10人くらいの分、全部入れてデスクにお出しするのよ?私は新入社員だったから、先輩に言われるまま、先輩のやり方のままに一回で全部のるお盆で運んでお茶出してたけど、思えば、別に緑茶の人、コーヒーの人、紅茶の人って3回に分けたっていいじゃんね。なんであんなに無理無理急いで忙しい中にバタバタやってたんだろう・・・そして、呑気に毎日お茶飲んで新聞読んで、日向ぼっこしてお茶碗片付けることもない役職なし爺s(複数形)の隣の席で、あれもこれもと雑務全般をどんどんやっつけ、疲労困憊して、爺sから「15時過ぎたけど、お茶はそんなに急がなくていいよー」とか言われて、催促かよ!ってなってた・・二十歳の私に余裕はなかった)
というか、実際、業務だろうがなんだろうが、朝の30分をお茶を入れる優雅な時間に使ってよかったのかもしれない、私が気が付かなかっただけで。
(しかも、そのお茶だし制度は、2歳下の後輩が入ってきた時には消滅してた気がするから、私、損した!って思ってるとこ強めにあるわw)
歴史的にみたら、80年代は好景気でアゲアゲな空気の中、仕事がどんどん変わっていったとき。男女雇用均等法という法律ができたのは1985年で、1986年施行。私が社会人デビューしたバブル崩壊直後のころには、仕事で成果出してどんどん出世してくのよなバリバリな女性たちの、仕事できないから女がなめられるのよ!的圧がすごかったんだと思う。お茶汲みなんか仕事じゃないわよ、な圧。女の敵は女、とほんと思ってたあの頃。
話が逸れた。
そんな時代の、私が受けた代表電話に、「愛していると言ってくれ」スペシャルボックスみたいな商品を欲しいっていうユーザーさんからのお電話がきたんだった。
私「はい。〇〇(会社名)です。」
ユーザー「あ、あのトヨエツのドラマの、、、【愛してくれと言ってくれ】の・・・ん?【愛してくれと言ってくれ】でしたっけ?あれ?」
ダイレクトマーケティング部に電話を繋げばいいんだわと考えていた私に、なんと、ドラマタイトルの確認してきたユーザーさん!
私「豊川悦司さんと常磐貴子さんのドラマですよね?(タイトル?何が違うかちょっと今思い出せないわ)」
ユーザーさん「そう、そうです!あのドラマ大好きなんですよ。愛してくれと・・・ん?なんか違う(ぶつぶつ)」
私「・・・商品に関する部署にお繋ぎしますので、このままお待ちください」
で、ダイレクトマーケティング部に電話を転送し、
私「あ、あの、お客様から「愛してくれと言ってくれ」の問い合わせです」
DM部の人「(笑!) 愛していると言ってくれ!だよ! 愛してくれって!笑笑。よく間違う人いるのよねーーー」
てな感じで、ユーザーさんをDM部にお任せして、タイトル言われた通りに伝えたのに、なんか私間違った人になっちゃった&なんだかとっても恥ずかしい・・・と思った思い出を思い出して、「愛していると言ってくれ」と「愛してくれと言ってくれ」何が違うんだろう?、とかぐるぐるしたんです。
今、思い出しても、なんかいろいろ恥ずかしい思い出になってるんだけど、そういえば、あのドラマ、何で「愛していると言ってくれ」だったんだろう?結局、常磐貴子さん演じる、あの女の子は、好きな人(豊川悦司さんのこと)とうまくいったって話じゃなかった?????
ドラマ「愛していると言ってくれ」 1995年放送
最高視聴率28.1%を記録した豊川悦司・常盤貴子主演、北川悦吏子脚本の名作。聴覚に障害のある新進青年画家と、女優を目指す若い女性との純粋で繊細なラブストーリーを描く。主題歌はDREAMS COME TRUEの「LOVE LOVE LOVE」で、こちらも大ヒットを記録。共演は岡田浩暉、鈴木蘭々、矢田亜希子、高橋理恵子、塩見三省、余貴美子、吉行和子、橋爪功ほか。
最高視聴率28.1%って!
国民みんなの頭の中をドラマが占めていた時代。
集合意識は作りやすかっただろうな。
そういえば、韓国でリメイクされたっていう話は去年のことだったんだ。
検索しながら、色々と情報拾って、でもさ、あらすじとか読んでも、全くタイトルの「愛していると言ってくれ」の意味がいまいちどこにかかるのか掴めなくて、脚本家の北川さんがドラマ後に出した書籍を読むしかないの?とかなってたとこに、やっと見つけた「まとめサイト」!!!
人物プロフィールから、相関図から、各話のあらすじまで、記してくれた個人さま、どなたか存じませんが、どうもありがとう!あなたはかみさまですか?!ドラマの公式のとこの「放送内容紹介」だと、予告ばっかりで内容全然思い出さなかった!
まとめサイトを読みながら、現在の私は登場人物プロフィールや設定、時代背景なんかを読んで、そこからキャストの背景を思いながらことばの意味を考えてるけど、あの頃の私は、そんな背景なんてまーったく気にしてなくて、なんで両思いなのにこうなっちゃってるの?とかなんでそんなわざわざ問題になることばっかりするのよー(怒)とか思ってたと、思い出す。
いま思うに、視聴率に合わせて脚本変わる制作方法になってたドラマなんじゃないかな。終わり方がスッキリしないのは、視聴率狙いと世情のせいなんじゃないかと、そんな気がしてならない。
バブル後の日本の閉塞感は、ほんとものすごく空気に蔓延していて、単純にハッピーな話は白けちゃうようなところがありました。あまりにも、先行き不透明すぎて。
日経平均株価は今年2024年の2月22日に、それまでの史上最高値だった1989年大納会(12/29だって!)の3万8915円を超えたわけです。大納会ご祝儀相場もあったんだろうな、とか思う。
1989年は平成の始まった年だけど、昭和の終わった年でもあり。1988年末の昭和天皇の御容体を毎日詳しくニュースで報道されるあの重たい空気感の中で、半ば秘密裏に次の準備をしているところもあったろうと思うと、表面的なものと内面的なものがだいぶかけ離れているとこが社会に影を落とすようなこともあったように思う。
バブルは、年明けの1990年に入ったところからその姿を顕していて、中身のない空洞化した何かを、どうにか形だけ繕うような虚しさも静かに流れ始めていて、何年も景気は上向く気配がなく、1995年は1月には阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件。映画「今そこにある危機」も、ちょうどその頃ロードショウされてたような…ノストラダムスの大予言が1999年とかもあったし、バブルで踊ってたのがいきすぎてた分、終末感もすごかった。
その中で「愛していると言ってくれ」っていうのは、日本中の叫びだったんじゃないかな、と思ったのです。
そして、この思いをずっとずっと表現できないままになってるところが、もしかしたらずっと誰のこころにも繋がってる集合意識にあるのかもしれないなって。
「愛してくれと言ってくれ」愛してくれって言ってくれたら愛せるのに。
「愛していると言ってくれ」って、愛する人に言えるかな。
「愛してくれ」って先に言ってもらえたら、安心して愛せるのに。
愛しているから感情が動く。
愛しているから、
最初に断られたことは忘れないし
愛しているから、
他に好きな人がいても諦められない
愛してくれるから、そこに甘えたくなる
愛してくれって言われたから愛するってやってみようとする
それで全部壊れちゃった、みたいなドラマ「愛していると言ってくれ」の話。
なんかね、「愛していると言ってくれ」って姿勢がね、気持ちはわかるんだけど、そもそもうまくいかない話だったんだなと思いました。
「愛してくれと言ってくれ」も、「愛していると言ってくれ」も、お前が先に「愛している」だけ伝えればいいじゃん!ていう話。
ドラマの中で素敵だなと思ったとこ
ざざっと、あらすじ読んで、過去の記憶とつないで、自分の中で脳内再演してみて、ドラマの中で素敵だなと思ったポイントは、「音は聞こえなくても振動はわかるから」というところです。
声が声にならなくても、振動が伝わる。
そのシンプルな事実が、今の私の中で鮮やかな光みたいに感じた!
振動は、自分から起こしたらいいよね。
振動って空気を震わせることだったりするから、自分の動きだけでもう振動させてるね。
#スキしてみて
noteのフレーズ「スキしてみて」って、「愛してくれ」っぽいにおいもあるけど、愛を表現しやすい空気を作ってくれる素敵なフレーズだと思う。
結局ね、人間は愛を表現したいというのが根本で、表現がこんがらがっちゃったケースも往往にしてよくある話ってだけみたい。喧嘩だって、愛なんだもんね。愛の出し方が不自由すぎるから誤解が誤解をうんでおかしなことになってたりする。
なので、変に遠慮することなく、愛を語ったらいいんだな。
と思ってたら昨日6/1のプロ野球戦で、一般人がプロポーズするのに球場の観客ももらい泣きっていうニュースを見た。

愛はどんどん出していこう
人間の共感力ってすごいんだと思う。知らない人のプロポーズに涙するのは、それを望む気持ちが内側にあるからなんだと思うし、みんなで一緒に喜びを共有できるよね!って思うから「プロポーズ大作戦」なる企画(ファンサービス)が考案される。
誰かが、誰かに「愛してる」って伝えている姿を喜び合える世界は、ひとりひとりが目の前の人に愛を出していくことから創られるんだな。
そしたら「愛していると言ってくれ」って言ってるのは、この世界を創った神様の声で、人間全員の中に届いている音なのかもしれないな。
愛しているって表現は、いきなり、プロポーズしてって話ではなくて、
誰か一人にでも気持ちをこめてありがとうって伝えたら、それも「愛してる」って表現。「心配なんだから!」ってなんだか文句めいたことを言ってしまったのも、「愛している」の表現。てことにしたらいいと思うの。
思っていることを、目の前の人に伝えることが、愛の表現。
最後まで読んでくれてありがとう。
【追記】まとめサイトの人が
最終回のネタバレを詳しく書いてくれているんだけど、その中に、リアルタイムで受け取れなくて読めなかった手紙に(幼馴染が渡さずに持ってた)、主人公・紘子が
「この手紙が、何年も自分を支え続けること、私の心のベストテン第一位は1995年の夏にあなたと出会ったこと。だからもう一度会えたら、この手紙を渡します」て返事を書いた。
という描写を書いてくれててね。
(その3年後に再会したとこでドラマは終わる)
わぁ、小沢健二くん!と思った。
2024年、「今夜はブギーバック」も30周年。「ぼくらが旅に出る理由」で手紙かくしね。
やっぱり、1995年は何かとキーなんだと思う。
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