生きること、生きていること、生かされていることについて考えている。
日曜日にnoteで見かけたワークショップに出かけました。
コロナ禍以前の私は、気になったものにはできるだけ行ってみるというのを実践していて、引っ込み思案な質を持っているけど、それでも、出かけることの抵抗は少なくなっていたんだけど、
2019年末以降のコロナ禍と、仕事関連の色々が重なった2021年秋から約3年近く(ついこないだまでね)、新規のイベントにはほぼいけなくなりました。
(明確な知り合いの主催以外は、約3年で一回あったかな?くらい)
心が塞ぎ、玄関を開けて外へ出るのが怖く、自分が生きていていいんだろうか、私なんかいない方が世界は平和なんじゃないか、誰にとってもお荷物でしかない自分が消えたらいいなって、無価値観(感)、罪悪感、焦燥感の中にいました。(すごいとこにいたんだなと思います・・・)
その中でずっと考えていたことが「生きていること、生かされていること」でした。これだけ長い時間、自分の中の無価値観・罪悪感と向き合うことができたことは、そこからほぼほぼ復活した今となっては有難い時間なんだけど、出口も見えず、ただただ消えたいと願うような、生命力ってなんだっけ?くらい自分が信じれず、本当に透けるんじゃないか?と毎日手を天井にかざしてみていた、そんな日々でした。
3年近くも、療養的引きこもりができたことは結果的に、多分、多方面で恵まれていることでもあるとは思うんだけど。ね。
今回参加させていただいたのは、
「幸福知」のためのアート・ワークショップ・シリーズ
【standART beyond 】vol.3
「酵母に生かされたパン屋のパンの話」
昨日からずっと余韻に浸っています。
パン、美味しかった←予想外に試食をさせていただきました
noteに書けたらいいなと思って書き始めたんだけど、まだまとまってなかった!
↑このあたりの感覚を言語化してくださっているのを見た感じ
お話ししてくださった、ホストの筒井 史緒さんと、パンの名店「カルパ」店主、とのつかたつおさんの、お二人の空気感も素敵で、お話も非言語なところから伝わってくるものも素晴らしく、行ってよかったなぁとしみじみしております。
もうちょっと、細かく書こうと思って書き始めたんだけど、今日のところは、ここまでにします。なんかね、一回で書けないから、ちょっとずつ、ちょっとずついこうって、私のオナカが言っています…