女に選ばれると言う幻想
幻想
女性に選ばれたいと言う幻想は常にある。
研音や恋愛願望にもある。女性は自然の中心とされてて、権限持つ感じにされててそればかり注目される。同時に言葉がきついのもいるし、話し合わなかったり、無関心なのもいる。
女性に選ばれたいと言う幻想と欲望。何してても自信がないから求めるのだろう。そう思っても、明るかったり、スポーツできるのが選ばれると思う。残るのは…となると難しい。
人間関係で選ばれても、いつもの人だったりで幻滅する。それで合うかというと合わないことが多かった。一人で何かしていても、どこかで仲間意識を求められる。あの当時求められても、仲間の仕組みに当てはめられすぎてて、つらかった。(男女関係なく)
過剰に仲間意識を求められなければよかったのかもしれない。
その反動で言いたくなってゆくので。女性を好きだと下手に言わない方がよかったのもある。
素の存在
口の禍で過剰に、アドバイスされすぎてて、おかしくなっていた。
結果的に女性に選ばれることに対して、意識しすぎるようになった。
共有できるものがないのに、又はあっても、ずれがあるのに、求めてしまう弊害が出る。でもそこでずれが出て、選ばれると言う理想と選ばれている人とのギャップで。
あこがれとずれ
例えアイドルにあこがれてファンになっても、そこはテレビや動画の映像にて、演技されているものに限られてしまう。素の自分はあるかというと、写っている人間が生きている。呼吸して何かを話しているということしかない。生きていて何かしている事だけ。
そこから出てくる情報が、見ている人にとってすごいか、笑えるか、怒るかなどの反応が起きる。
自分の場合、選ばれたいと思っていても、どこかズレる。無意識にズレようとする心とは別に。ストーカー扱いされるのが嫌だから、近づいても、肝試しのような形で接するところがある。
たいてい女性に関心持たれても、私の場合、相手に「かわいい」と向こうの主観で来られて話がずれていく。相手の主観が一方的にきて、合っているように見える話でもズレてくる。自分もその要素はあるが、コントロールしている。
一方的にするなという女はいるが、中には一方的さは嫌いでも、一方的に自分の価値観を言ってきて、合わないとヒステリックになるのもいる。これは昔いた踊り団体のインストラクター役の女性の話。よく人に言えたもんだと言える。
難しいもんだ。アニメ「zzガンダム」でも主人公が幾人かの女性に取り囲まれて描かれていた。それを見た影響もあるかもしれない。
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