「個性の尊重」、「感受性」、「感性」
「個性の尊重」、「感受性」、「感性」。
こんな言葉がある。ある踊りのサークル内でのモットーらしかったが、建前に見えてきた。なぜなら、個性的に見えても抑圧的な経験があって、リーダーのみの物に見えたから。
ある日わかった。それは踊りの個性、踊りの感受性、踊りの完成に対しての物だと。それはモットーの言葉は述語でしかなく、述語の中に踊りという主語がカッコに含まれているからだ。
個性の尊重(踊りの)、感受性(踊りの)、感性(踊りの)。
組み立てると、上記のようになる。
もし人の持っている感覚を尊重して言うなら、これらの言葉のカッコに所属団体の主語がカッコに入る。団体のモットーを主張していく過程で仲間意識が作られる。
しかし、これは人の持っている固有の意識であり、団体の主張が強くなるに従い、その主張性に限定されていくことになる。
限定され続くことになると、同調性が強い結束を作るのだろうが、そこからずれると、疎外されやすく、仲間の中にいて仲間意識持っていても、疎外性によって、意識が分裂的になっていく。
同調的なレベルにてマウントを取る過程。
レベルによって人間を比較する。それは仕方がないのだが、人間の持つ個性や感性、感受性が操作されてくると、人間の主体性に影響が出てくる。
共感性を得るために、これらの人間の感性に訴えかけて、度合いが強まれば、同調的な側面が顔を出してきていると思う。
仕事でもないのにサークルを仕事のように扱い、排他的にしている時点でおかしい。お金も払われてもないのに、踊りで特権持ってマウント持っている。衣装代は払った。仲良しごっこでないのに、仕事というならこの活動は価値観の追求のみで、高知の後追いばかりしているだけだった。
昔経験してわからなかった。わかっていくうちに、分析できるようになった。個性の尊重(踊りの)、感受性(踊りの)、感性(踊りの)をモットーとしている集団には入りたくはない。入ると抑制されやすく、団体の要素に同調していく事がありうるから。
後追いするためのサークル活動はもうしない。
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