私なりの自己肯定感とは

自己肯定感を上げましょうとか、自己肯定感が低いと生きづらいとか、
そんな事をこの数年でよく聞くようになり、私も自己肯定感を高くしないといけないと、がむしゃらになっていました。
自己肯定感=自分を好きになる
という感じで理解していたのですが、私はとてつもなく自分の事が嫌いだったので、好きになる為に必死でした。
自分が憧れるような人を見本にして、その人を目指して努力しようとしたり、
誰からも好かれるように完璧な自分になろうと頑張ったり。
でもなかなかそうはなれなくて、自己嫌悪に陥る事ばかり。いくら頑張っても一向に自己肯定感なんて上がらないじゃんって思っていました。

先日の休日に友達と、少し早い忘年会をしました。メンバーはみんな、同じ年頃の子供をもつママ友です。

我が家は当日夫が仕事だったのですが、夕飯前には帰ってくると言っていたので、大学生の子供と何か食べに行ってもらえると助かると言うと、快く承諾してくれたのでお願いしました。

一緒に飲みに行くママ友はみんな、
「楽しみで、朝早くから夕飯の支度しちゃった」
とか
「仕事終わったから今から夕飯作るよー」
などと、飲み会を楽しみにしている様子を連絡してくれました。

それを聞いて
「偉いなー✨私なんてどっかで食べてきてってお願いしちゃったよー😝」
と気にしていない風に返しつつも心の中では、
「私は夕飯の支度もせずに遊びに行くダメ主婦だ」
とか
「みんなはきちんと家事もして仕事もしてから来るんだな」
と、自分を責めていました。
「偉いなぁ」と、他者を尊敬する気持ちはホンモノだけど、それについて気にしていないというのはニセモノの気持ちでした。

私はいつもこのように、ニセモノの気持ち(他人と比べて自分を卑下したり自己嫌悪に陥ったりするキモチを隠して取り繕う)で周りに心配や迷惑をかけないようにし、自分のホンモノの気持ちから目を背けていました。

ホンモノのキモチを見ないようにして逃げているだけなので、ずっと心の中がモヤモヤしていました。
長い間そのようにしていたらホンモノの気持ちがぼやけてきて、ホンモノの自分というものが分からなくなってしまいました。
だからどんなに傷付いても笑って誤魔化して、そのうち痛みにさえも気付かなくなって、何かおかしいぞ?と思った時には既に壊れてしまっていました。

でも先日は、きちんと自分のホンモノの気持ちに気付いて見つめていました。

「みんな偉いな」はそのままホンモノの気持ちでOK!
「私はダメ主婦」は、ほんとにそう?
いつもは家事も仕事もこなしているし、主婦の仕事をしないで家族を困らせたことはない。
私も働いているんだし、もう子供も大きいのだから、家族に協力してもらっても構わないよ。今までもずっと頑張ってきたんだし、ダメ主婦とは言えない。自分じゃない人が私みたいにしているのを見たらダメ主婦って思う??全く思わないよね!

こう自問自答してモヤモヤを解消してから忘年会に行きました。
そして、友達にも
「みんなが夕飯作ったよって言ってたの聞いて、また自分ダメだなーって思って凹んでたよ😅」
と話すことができました。

またこんな風に考え込んでしまって嫌だな私…と思って自分の気持ちから逃げるのではなく、自分の気持ちを見つめて、それのどこが嫌なのかや、どう思えばどうすれば楽になるのかなど、自分の気持ちをプラスもマイナスも全て自分で受け止めて、しっかりと聞いてあげることが大切なのです。
人に聞いてもらうのではなくて、先ずは自分で自分のホンモノの気持ちを聞いてあげることが出来るようになると、あれよあれよと自分なんて大嫌いという気持ちが無くなってきました。
自分大好き♡とは全く思えませんが、それでも自己肯定感は上がっていると思うし、とても生きやすくなりました。

今は、自己肯定感というのは「自分好き😆」というのと少し違うと私は思っていて、どちらかと言うと、「自分がココにいるな😌」と【自分の存在を認める】ような…
そんな認識がしっくりきています。


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