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あの広い世界よりも、このまま狭くて深い世界へ行きたい
2025年に入ってnoteが続いている。
私の場合仕事がゆるやかになり落ち着くと、とたんに言葉や思考があふれるように湧いてくる。なので年末年始は毎年だいたいnoteが書けている。
それと旅に出る夏休みとかね。つまり疲れていない時に言葉がでてくる。我ながらわかりやすい。
今年は世間的にも年末年始が長く、夫もついぞ12連休。私もところどころ手を動かしていたけれど少なくとも5日間はPCとは距離を置いた。ゆっくりさせてもらっている。
だから思考が深まり言葉がよく湧いてくるのだ。
noteを連続で投稿すれば良いわけではないし、惰性で書く文章を残すくらいなら、読んだ人にとって「よかった」と思えるものを残したい。
だからまた途切れることもあるでしょう。どこまで続くか今年も未知数だけれど、思考が深いうちに、実のある文章をできるだけ残したいなと思う年初です。
今年の漢字を1文字で
確か2018年からだったと思う。私は毎年仲間とイヤーコンパスを使って1年のふり返りをしています。
イヤーコンパスは2012年にハンガリーで生まれた、年間計画とふり返りのためのワークシート。22カ国語 に翻訳されて世界中に広がっています。
ワークはおよそ20ページほど。ボリュームがずしんとあり、じっくりと時間を使って書き出す必要があります。まる1日かけて挑みたい感じです。過去についてふりかえり未来に向けて目標設定を行う流れなのですが、毎年問われるのが「今年と来年を漢字で表すと?」でした。
そこで私の今年の1文字に表してみようと思います。誰かに見せるものでもないし、聞かれてもないけど自分の記録のためにも書いていきます。
その1文字は「潜」です
周囲をキョロキョロしすぎない。他者や仲間との交流は大切にするけれど、誰かの気持ちや考えに傾倒しない。
仲間との時間は楽しいけれど、私のための時間に集中する。
あれ、なんだか思ったように進まないなぁという時には、交流をオフにする必要もある。やりたいこと、かなえたいことのためには自分の内側に向き合う必要があるから。
自分の内側だけに潜る
ついつい私は他者の感情や言葉を受け止めすぎる性質です。たくさんのゆらぎの中で過ごしていると、自分を見失い、進みたい道がわからなくなり、途方に暮れてしまう。迷子にならないためにも、外に目や耳を向けすぎるのは辞めておきたい。
とはいえ、この受け止める性質は結構根深い。自分で意識をしているだけではそう簡単に変わらないのです。本能とも言えるこの性質を無理に変えられないならば、仕組みを変えるしかないのだと思う。
特にSNSを通じた他者の介在は、ある種の仕組みだ。強制的にオフにすれば他者のつながりを一時的に解くことができる。
この年末年始に意図的にあらゆるコミュニティやチャットなどをオフにしたり、クローズし始めた。なんと気持ちの良いことか。自分の息づかい、脈の流れを感じる。ゆらめく思考を味わうことができる。今、すこやかさを取り戻している。
もちろん生身の交流だけでは得ることができない素晴らしい出会いや情報がある。私のようなフリーランスは受け身でいても誰かが探してくれるわけではないし、自分から広い海に何かを伝えに泳ぎに行き「ここに私いますから!」と強く伝える必要がある。決して怠ってはならない。
ただ、この1年ほどで気持ちが少しずつ変化をしてきた。大きな挑戦をすることで得るギフトや痛み、小さな積み重ねで得た失敗や悲しみ喜びやステップアップ。まだまだとはいえあらゆる喜怒哀楽を大小さまざまに経験してきたからかもしれない。
必要とする人とだけつながりたい
先日とある編集者さんが、マスメディアにいた若者たちが社会性の高い企業に転職をしている様子を度々目にしている、と話していました。
PVが高い、コンテンツが読まれるという状況に飽きてしまっている。ただ情報をばらまくのではなく、確実に必要としてる人に届けたいのだそう。
ああ、私も同じだなぁと。できたら多くの人に知られてほしいとは思うけれど、それよりも確実に必要としてる人とだけつながりたい。
命がけだと言われるドーバー海峡を、根性むきだし瀕死の状況で完泳し全世界から喝采を浴びるよりも、ちょっと手が届きそうな海の底にある竜宮城をめがけてゆっくりゆっくり潜り密やかに楽しむ方が私は幸せなのかもしれない。
だから私は今年は狭く深く潜って目の前のテーマを追求する。そして自分と相手がぴったり寄りそえるそんな関係作りをしていきたいと思っています。
ちょっと求道的に見える? でももしかしたらそうかも。一つのことを極める、深めるが得意で、というかそれしかできないので、いつも目の前のことに一生懸命だった。これまでも。
「かおるさんは武士道を極めている人みたいだね」って言われたことがあって、その時はうーん武士道? となんだかちょっと不思議な気持ちだったけれど、今思えば武士と潜水士(と深く潜る人のことを勝手にそう呼ぶ)はどこか似ているように思えている。
あちらこちら寄り道してみて、結局元の道に戻ってきた。そんな感覚をもっているのかもしれない。