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数学を生活に関連づけた授業の効果は?

私が中学校で数学の教員をしていたころ

・実生活に役立つ数学
・生活に関連した数学

を取り入れた授業が推奨され、それが生徒たちの

数学に対する興味関心をひき、学力の向上につながる

と、よくいわれました。

高校入試の問題においても、
携帯料金をグラフで表した問題や、
生徒同士がやたらと長い会話して課題を解決していく問題など
実生活との関連を匂わせたような内容が必ず出ています。

そのような問題が実生活に関連したものだと
判断するかしないかはさておき、

学習指導要領(引用)に

【…数学と実社会との関連についての理解を深め
 数学を主体的に生活や学習に生かそうとしたり…】

と書いてあるので、この流れは当然のようです。

しかし、
私は、数学を実生活に生かすというのは、
かなりハードルの高く、
無理矢理、生活と関連させれば、
逆に学力低下を招いてしまうのではないかと危惧しています。

理由その1

数学を生活に生かすためには、
次の2つのステップをクリアしなければなりません。

①教科書の内容にある数学の基本的な知識や技能を習得し、
 原理・原則を理解する。
②①で習得した原理・原則を実生活に生かす。

「理解すること」と「活用できる」ことは別の問題であり、
活用できるという状態が

・計算問題が解ける
・グラフがかける
・体積が求められる

など、数学によくある問題を解くのであれば
「理解」と「活用」はそんなに乖離していませんが、

実生活への活用となると
より数学への深い理解が要求されるとともに、
活用できる技能も高めなければなりません。

そこまで到達するような生徒を多く育成することができるのであれば
教師冥利につきますが、
①段階で四苦八苦しているのが現実です。

そんな状態で、
数学の理論の実用化を目指した授業が成立するのか甚だ疑問です。

理由その2

そもそも、具体的な事象から無駄を省き、
抽象化、一般化したものが数学であると私は思っていますので、
その抽象化した世界で考えることが大切であるはずなのに、

生活に関連させるとなるとまた具体化することになるため、
生徒は具体と抽象の区別がつきにくくなり、混乱してしまいます。

例えば、
1次関数の単元におけるダイヤグラムを考える場合、

そのグラフの式y=ax+bを求めて代入したり、
連立方程式で交点の座標を求めたりする問題が多いのですが、

ここ数年y=ax+bという式を求めたとしても
それを次の問題に活用せずに放置し、

問題文にある〔5分で?m進んだ〕などの設定条件を元に
小学校で習った道のり、速さ、時間の関係を使って、
1つずつ具体的な状況をイメージしながら求めようとする生徒が
増えてきました。

この方法では高校入試などの複雑な設定のダイヤグラムが出題されると、
イメージが難しくなり、
一般化したグラフの式を活用できなくて解けずに終了するという
ケースになってしまうことが想像できます。

実生活に関連させようとした授業を受けてきたことの
弊害なのかどうかはわかりませんが、
1次関数の単元で
1次関数の式を放置されたときは頭を抱えてしまいました。

理由その3

令和4年度全国学力・学習状況調査の結果から、
実生活に関連づけても関連づけなくても学力に差がないことがわかります。

令和4年度全国学力・学習状況調査


学力に差がないのであれば、
果たして生活に関連づける意味があるのかと考えてしまいます。

以上、3つの理由があるため、
数学を実生活に生かす授業という現在の方向性には
疑問を感じずにはいられません。

数学に対する興味関心を高める!?

・実生活に生かされていることが実感できるから、
 生徒たちは数学に興味をもつ
・実生活に生かされているから数学を勉強する意味が生まれ、意欲的になる

という目論見もあるようですが、

数学の本質に興味をもつのか、
それとも、
ただ実験的な要素や設定を楽しいと感じるだけなのかでは、
結果が全く違ってしまいます。

例えば確率の学習のときに、運動場で自分の靴を何回も投げて、
靴が上を向いた状態で着地する回数をカウントし
その割合を求めるような授業をしたことがあります。

そのとき、いつも数学に興味を感じていなさそうな生徒たちも
楽しく活動的に一生懸命、取り組んでいたので、

(少しは数学に興味をもってもらえたのかな?)

と内心、嬉しくなったのですが、

その次の授業から本格的に確率の問題に取り組もうとすると
嬉々としてく靴の向きをカウントしていた生徒たちの表情は影を潜め、
確率の練習問題やテストをしても
学力が向上したという結果は得られませんでした。

生活の中で起こる現象に対する確率を調べたいときに活用できる方法を
伝えたつもりでしたが、
たくさん実験回数をこなせば一定の割合に近づくという確率の本質
興味をもったのではなく、
ただ靴を投げる実験が楽しかったという
活動自体に興味が向いただけであることが原因であると感じました。

楽しそうにしている、前向きに取り組んでいるからといって、
数学の本質に興味があるとは限らないということです。

そもそもこの考え方では、生徒たちが

「数学は役に立たない」

と判断してしまったら、
数学は勉強しなくていいと結論づけてしまう危険性があります。

役に立つ、立たないかは関係なく、人類として知的好奇心を追究するという学問の本質を伝えることのほうが重要なのではないでしょうか。

まとめ

数学の専門家でもなく、
数学の実用化に関する知識に乏しい私のような教師は、
安易に生活に関連させる授業を行うより、
教科書にある基本ができる生徒を一人でも増やすように
時間を使うほうが有益だと思います。

ちなみに最初の方に紹介した高校入試ですが、
無理矢理(?)生活と関連させる問題を作成しているためなのか、
過去にくらべて問題文が長かったり、
設定がややこしかったりする場合が増えてきました。

じっくり読めば、教科書レベルの知識で求められる場合も多いですが、
その膨大な問題文の量によって、
数学への興味が減退する生徒が増えれば、
本末転倒
になってしまうのではないかと思う今日この頃です。

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