「わからない」「忘れた」ではなく「○○○○ない」と考えたほうがいい
私は中学校で数学を教えていた頃、
生徒たちが理解し、問題を解く基本的なスキルが身につくことを目指して
授業に臨んでいました。
しかし、その授業がうまくいったと手ごたえを感じた場合でも、
次の授業に同じ問題を出題すると、
前日あれほどスムーズに解けていたにもかかわらず
「わからない」
「忘れた」
と言って、全く解答できない生徒がいるという状況になることが多く、
とても悩まされていました。
当時、自分の力量の無さにかなり落ち込んでしまいましたが、
脳科学的には当たり前の状態であることが分かり、
少し安堵したことを覚えています。
ただし、当たり前の状態だから仕方がないと考えてしまっては、
教える側の意味がありません。
少しでも前の授業の記憶を次の授業に生かせないかと考え、
その方法の1つとして、
生徒たちがよくもらしてしまう
「わからない」
「忘れた」
という感覚が脳科学的に間違っていることを説明し、
この言葉の使用禁止と意識改革を目指しました。
忘れているのではなく、思い出せないが正解
問題が解けないとき、
「わからない」
「忘れた」
と結論付けてしまいがちですが、
私たちの脳は無意識に学習したことを保存しているので、
脳の中には解答に必要な知識やスキルが存在しているんです。
ただ、それを思い出せないから解けないのであって、
完全に「わからない」「忘れた」という状態ではないことを
教える側も、生徒側も意識するべきだと考えました。
「わからない」「忘れた」と常に感じてしまうと、
(自分は勉強ができない)
(努力しても無駄だ)
という思考になりかねないので、この意識改革は重要です。
もちろん、未知の内容については「わからない」、
脳の保存期間を過ぎて本当に脳から消去されてしまった場合は「忘れた」
という状態になりますが、
前の授業の内容を次の授業で
「わからない」「忘れた」という状態になることはあり得ません。
そこで、
「わからない」
「忘れた」
ではなく、
「思い出せない」
と、つぶやくよう指導しました。
「思い出せない」とつぶやくことで、
「思い出せないだけで、思い出せればできる」
と自分の脳内に学習した内容が存在していることを
自覚させられないかと考えたわけです。
そして、
「勉強ができない」ではなく、
「思い出せないだけ」と考えるようになれば、
無駄に自尊感情を損ねることは少なくなります。
実際、生徒たちが思わず
「わからない」
「忘れた」
と言ってしまった場合、私はすぐさま
「昨日できていたんだから、わからないではなく…」
「忘れたではなく…」
ときっちり否定して、
「思い出せない」
と訂正するように指導していました。
そして
「思い出せるとできるんだから、うまく思い出せるような練習をしよう」
と目的を持つよう伝えていき、意識改革を続けることによって、
自身の学力に対する認識識がかなり変化したように感じました。
まとめ
無意識に学習内容を保存してくれる脳はかなり高性能なので、
自分の脳を信じて
「思い出せない」状態から
「思い出せる」状態に訓練することが勉強です。
「わからない」「忘れた」という感覚では、
どうしても勉強をスタートしにくくなってしまいます。
思い出すことさえできれば、解答することができるんだから
「わからない」「忘れた」よりも
「思い出せない」状態のほうが一歩前に進みやすいのではないでしょうか?
心が変われば態度が変わる
この意識改革だけで学力が向上するかもしれません。