【オアシス再結成記念】1996年にノエル・ギャラガーは何を語ったか? Part1
「信じられないだろうけれど、たくさんの連中が家の前に集まってきたんだ」
ノエル・ギャラガーは反省しきりの表情でにやりと笑い、ノース・ロンドンにある慎ましい地下のフラットに続く階段に油断ならない視線を送る。
「問題は土曜の午後に引っ越してきたってことだ。くそみたいな大間違いだった。俺とメグは荷物を運び入れたんだけれど、冷蔵庫に食べ物はなかった。だから、セインズベリーズまで歩いていったんだ。家に帰るまでにつけられてたんだよ。それだけの話さ。オアシスのファンたちが外に座り込んで、朝っぱらから『Roll With It』を歌っている。ブラーのファンからは毎日、嫌がらせの手紙が届くのに」
「アールズ・コートで夜に2回演ったあとの月曜の朝の話だ。俺は毎日ボクサーパンツ一丁で11時くらいに起きて、キッチンに行って何かを食べる。そのとき、ふと顔を上げたら若い連中が階段を降りてくるのが見えた。俺はサインとかそういうのは書かないって決めてるから、ドアを開けて『じゃあ、お茶でも飲むかい?』って感じさ。マジでなんていうか、チンパンジーのお茶会って感じだったな。大勢のキッズたちと俺がやかんとテトリーの紅茶を囲んでてね」
「それで、俺はこう思った。『マーク・チャップマン、やつがここにいる、俺は撃たれちまう』って。だから俺は『まあ、悪いけどさ、そろそろお開きだ』って言ったんだ。空港に向かう車がもう少しで着きそうだとかなんとか理由をつけた気がするな。俺は、こんなことをするのはこれが最後だって思ったよ。ここを出て自分たちの家を買わなきゃって。あんな状態はしんどいよ」
オアシスのソングライターでありギタリストにして、どこか心優しい独裁者でもあるノエル・ギャラガーにとって、人生は甘く、狂っている──瞬きをするたびに生活が変わる。2年前、自分には何もなく、何者でもなかった。それがいまや、まるでジョン・レノンのごとく暗殺の恐怖に怯えている。
それでも笑わなければならないし、ノエルはそうしている。時には自分自身も笑い飛ばす。結局のところ、彼と弟のリアムは初期のインタビューのアウトテイクを容赦なくまとめたものを公開することを認めてくれた。お蔵入りとなったインタビューは、ばかげたほどの内輪揉めという口汚くも創作のひらめきとなる兄弟の可能性をあけすけにさらけ出している。
そして実際、二人は時折、話すのと同じやり方で歩んできた。悪行こそがずっと信条だ。オランダからの強制送還に加え、ホテルでの破壊行為は彼らの特技にほかならない。けれども最近は、度を越した言動を抑える要素もある。もしかしたら、1年半前に「Supersonic」というファーストシングルを発表してから、自分たちにとってすべてがいかに奇跡的かという衝撃の連続にただ慣れてきただけなのかもしれない。
その驚異は、シングルを立て続けに当てていることや、現在進行形で聴かれている2枚のアルバムがミリオンセラーになるだろうことにあるわけではない。最も重要なのは彼らを突き動かした強さと偶然の組み合わせだ。
1991年、オアシスはリアム・ギャラガーにとってまるで見込みがなく、日曜の午後に集まる同好会だった──ノエルに加入するように声をかけるまでは。ノエルは大勝負にのって、「いいぜ。その代わり、お前らは一週間のうち7日間は俺のものだ。そうすれば俺たちはビッグになれる!」と言い放った。けれども2年が経ち、オアシスはまだ無名で、音楽誌に取り上げられたことは一度もなかった。そこにアラン・マッギーが現れる。クリエイション・レコーズの創設者はグラスゴー発の最終電車に間に合わず、街にあるキング・タッツ・ワワ・ハットというライブハウスにふらりと立ち寄った。そこでアランはオアシスを偶然発見し、彼らがバックステージに戻る前に契約を申し出た。ひとかどのバンドになれる。すべての苦労が報われた。
ノエルが借りているフラットはタイル張りの床が音を立て、照明はだいぶ薄暗い。ポップスターらしい金や銀のディスクのいくつかを除けば──そのうちの一枚は、ノエルの長年付き合っているメグ・マシューズがかつてプロモーション活動を手がけていたアイス-Tから送られたもので、トイレに飾られている──個人的な手触りはあまりない。メグはその夕刻、気を利かせてビデオを観るといって寝室にこもってくれていた。
ノエルはガラスの屋根のある奥の部屋で、大きなひじかけ椅子に腰を下ろす。普段は使わないテーブルには小さなコーヒーカップとビールの缶がいくつも並んでいる。煙草の吸い殻がスピーカーズ・コーナーになんとなく集まる聴衆のように重なっていく。
ノエルは饒舌だった。そのマンチェスター訛りの声は丸鋸のように夜まで響き続けた。自分の人生と性格の細部を心地よく感じながら、彼は自身の過去の考えと発言について話し続けてくれた。重要な場面では文字どおり飛び上がり、言葉が追いつかないときはよく身ぶり手ぶりで伝えてきた。
オアシスのキャリアのほかの側面と同じく、彼は傲慢に突き進んでいる。
アールズ・コートは楽しめたかい?
人生で最高のギグだったよ。すべてを理解するには座って一杯やらなきゃいけなかった。ファンたちには驚かされるね。「Whatever」はシングルで35万枚売り上げた。「Some Might Say」や「Roll With It」、それから「Wonderwall」もそうだ。アールズコートのチケットは4万枚さばけたし、2枚のアルバムは今、90万枚以上売れている。というか、通りで若い連中に会うと、やつら震えてるんだぜ。俺は「会えて光栄だよ」って言うんだけど。
君は昔ながらのショービジネスのセンチメンタリストみたいだ。
俺は古いタイプのロマンチストさ。マジで泣けてくるよ。スペシャルだなんて言葉じゃ言い表せない。俺の立場にならなきゃわからないだろうがね。
でも、君は数字も好きなんじゃないのかい? つまり売り上げのことだよ。
映画の『レイジング・ブル』でジェイク・ラモッタが「この街では陪審員は不正を働いているが、国民は誰がチャンピオンかを知っている 」と言うようなもんだね。まあ、それでもイギリスにはオアシスよりいいバンドがいくつかいるけれど。
そんな発言が君から出るなんて驚きだ。
ヴァーヴは俺たちよりいいバンドだ。プライマル・スクリーム、キャスト、オーシャン・カラー・シーンも。そうだな、俺たちよりいいっていうか、俺たちと同じくらいいいっていう感じだね。でも、やつらは俺たちのライバルだって言われているブラーみたいにメディアのでたらめな報道に首を突っ込んだりしない。「誰が最高にビッグか?」なんて問題に引きずり込まれないんだ。でも、結局のところ、俺たちがこの国で最高のバンドだよ。
【オアシス再結成記念】1996年にノエル・ギャラガーは何を語ったか? Part2に続く
インタビューに登場した曲|Roll With It
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