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【ロシアレンズ記事】「NEW JUPITER-3+ 1.5/50」を見て『運命の皮肉、あるいはいい写真を!』というフレーズ連想する話


Lomography NEW JUPITER-3 + 50mm F1.5

JUPITER-3 1.5/50 復活!

2015年だからひと昔前のこと。ロシア製ライカスクリューマウント(L39マウント)の20mm超広角レンズRUSSAR(ルサール) MR-2 5.6/20の復刻版「NEW RUSSAR+ 5.6/20」が、Lomography + ZENITのコラボレーション製品として発売されたということを記事にした。

その際にいろいろ調べていると、ZENIT(ゼニート:S.A.ズヴェーリェフ名称クラスノゴールスク光学機械工場のこと。略称「KMZ(カーエムゼー)」)はそのころ各種旧レンズ製品を復刻再生産していることを知った。M42スクリューマウントだったMC HELIOS-40 1.5/85(ロシア語ではGELIOS)や、MC APO TELEZENITAR 2.8/135のニコンマウントを作るなど、なんというかもう……russophilia(*1)な私にはうれしくなるような製品がたくさんあった。

同時に、いくらリバイバルが流行しているとはいえ、原設計が古いものばかりであることを手放しでよろこんでいいのか、いささか気にはなったが。

FED-ZORKI 1949に装着しても似合いすぎるほど

そのさいに、どうもLomographyからはほかにもライカスクリューマウントレンズが復刻されるような記述を見かけていたので、もしかしたらとは思っていた。それがこんなに早く姿を現すとは。

それがJUPITER-3(ユピーチェル・トリー) 1.5/50の復刻版「NEW JUPITER-3 + 1.5/50」だ。「木星参號」ですな。ご縁があってデジカメWatch(インプレス)に記事を書いたので、合わせて参照してもらえるとうれしい。ここでは、もう少しあいかわらずのチラシの裏について記そう。

『運命の皮肉、あるいはいい写真を!』

この表題は、ソビエト時代に作られた大人のロマンチックラブコメディー映画『運命の皮肉、あるいはいい湯を!』(Ирония судьбы, или С лёгким паром!)(*2)より。この映画は1975年に制作され、1976年元旦に公開されて以来ずっとロシアで年末年始にテレビ放送がされている。簡単なあらすじは巻末に記す。

ロシアでは年末年始の恒例の映画だ。シャンパンとオリビエサラダ(ロシアふうポテトサラダ)を片手にこの映画を見て、テレビに流れるクレムリンの鐘による時報を見てロシアの年越しが祝われる。筆者は学生時代に、1990年代なかばのソ連崩壊後であってもさんざん授業で見せられたものだ。

年末年始のおとぎ話なのに、「住宅も生活もいまやすべてが規格型だ!」「もはや国中あちこちがノーヴィエ・チェリョームシキだ」(*3)などと、当時の社会をさりげなく風刺してもいて、いまでもロシアのひとびとに愛されているようだ。

ある程度以上の年齢(少なくとも思春期ごろにソ連崩壊を経験した1970年代から80年代生まれ以前)のロシア語を母語とするひとたち、あるいはロシアに居住していなくてもロシア語を母語とするひとたちとつき合うならば、知っておくと親近感を抱いてもらえる。なにかで引用される有名なセリフもたくさんある。

そして、このころのポーランド人女優バルバラ・ブリルスカがとてもかわいい(*4)。当時のソビエト中の男性が「俺もこんなひとと結婚してえ!」と夢中になったのだそうだ。

YouTubeのモスフィルム公式チャンネルにもある。第一部と第二部ふたつにわかれる。それぞれ1時間半くらい。当時のソビエト映画は長いのだ。

えーと。映画の話はともかくとして。ソビエトにおいてライカスクリューマウントカメラとレンズは、思うにこうした「長いこと定番の製品」という扱いだったのだと思うのだ。けっして高級品ではない。さらには、ソ連崩壊後にはそのほかのソ連製品同様に「ダサくて古臭い」と思われていた(*5)。

左からLomography NEW JUPITER-3 +、1963年ZOMZ製、1986年ヴァルダイ製

「ロシア」に求められているものは「共産趣味」アイテムなのかも

ところがソ連崩壊から30年もたつと、こうした「ダサくて古臭いソ連製品」のなかには、すっかり「レトロで魅力的な商品」になったものがあるというのも、じつに皮肉に満ちてはいないだろうか。

社会主義時代のとくに、1970年代の停滞の時代とよばれたブレジネフ時代には耐久消費財の増産が求められて新規開発が抑制されたために、改良品は試作だけに終わってしまい結局は登場しなかったものは少なくないのではないか。おそらくは製造コストがかかりすぎて、売価が高くなりすぎると判断されたのだろう。そういう理由でやむを得ずに長いあいだ作られ続けた製品はたくさんあるはずだ。

ほんらい、ロシア人自身の発明したものは気宇壮大で、革新的なものがたくさんあるというのに。ロケット打ち上げ理論を考えたツィオルコフスキー、アメリカに渡りヘリコプターの開発をしたシコルスキー、国家保安委員会(KGB)付属アカデミーで情報工学や数学理論を学んだカスペルスキーなど、そういう例をあげはじめたら枚挙にいとまがない……生まれてはじめて自分でこの「枚挙にいとまがない」という表現を使ったかもしれぬ。

Adobe CameraRawで現像時に「Lomography NEW JUPITER-3 + 50mm F1.5」用
レンズ収差補正プロファイルをあてはめている。
ボディはSony α7IIで絞りはほとんどがF1.5開放。以下すべて同じ。
絞り開放だとパープルフリンジもでる
周辺部はややぐるぐるする
力強さもある
少し絞ると引き締まる

このJUPITER-3はなにしろ、1932年に設計されたかのカール・ツァイスSonnar 1.5/50がそのルーツだ。いつもいつも書いている例のあれだ。ヤルタ会談の際に取り決められたドイツの戦時補償を名目に、ソビエト占領地区からはさまざまなものがソビエトへ持ち去られた。光学製品に関しても同様で、イエナからカール・ツァイスの工場設備と原材料、技術者にいたるまでソビエトに運び込まれた。JUPITER-3はそこから再設計されライカスクリューマウント版も作られ、さらに国産ガラスを使用するために設計に手直しもされ、さらにコーティングが改良されるなどしてメーカーを変えながら1988年まで作られ続けたレンズだ。

こういう経緯のものが復刻されるなんて、という驚きもある。やはり、時代に翻弄されたレンズにとっては、運命の皮肉であるなあとも。

あたかも、イタリア・フィアット124のソビエトライセンスバージョンである国産車ジグリ(輸出名ラーダ)や、ソビエト領内に不時着したアメリカのB-29爆撃機をリバースエンジニアリングでコピーしたツポレフ4爆撃機を改良して、二重反転プロペラのターボプロップエンジンを積んだ長距離戦略爆撃機ツポレフ95が、ソ連崩壊後25年もたった2016年に再生産されるとか、あたかもそんなことを連想させられたのだ。


いかにも古いレンズで撮った感じ
遠近感の描写は魅力的かも
営業中の銭湯ではない(ねんのため)
窓ガラスに映る影が好き

「原稿は燃えないものなのです」

2022年のウクライナ侵攻(ロシアでいうところのSVO「特別軍事作戦」)以前は業務スーパーでも売られていたクラースヌィ・アクチャーブリ製菓の「アリョーンカ」チョコレート、クラシックバレエやクラシック音楽はもちろんのこと、かの「ばったり倒れ屋さん」という意味の、正体不明の動物が主人公の人形アニメの日本における流行も同じようなものか。

ソビエト時代からこれだけ時間がたてば、いまやロシア人自身にさえこれらがノスタルジックで、商品価値があると思えるようになったのだろう。あるいは、むかしのものでも売れるものならとにかくなんでも売ろうという、ものすごい合理主義であるとも。むかしよりも商売上手にもなったともいえなくないか。

自分たちに求められているのはややダサくて垢抜けない「共産趣味アイテム」であることを、自覚したのかもしれない。

でも、きれいにまとめるとですね。名作は時代が変わってもその価値は残り続けるということ。やはり「原稿は燃えないものなのです」(*6)。

地面にあった上手すぎる落書き
戦前にカラーフィルムで撮っていたらこうなるのかも
こういう写真は電子ビューファインダーのあるミラーレスカメラのおかげだ
周辺部は流れる。ただし、このレンズは偏心していると思う
コイってよく見ると気持ち悪くない?

レトロな写りを新品で楽しむアイテム

さて、NEW JUPITER-3+の写りはにじみとぼけがとてもレトロでおもしろかった。1930年代に原設計されたレンズだからね。背景のぼけにはくせがあり、糸巻き収差もある。周辺光量落ちも大きい。このあたりは「そういうもの」と思って使いたい。

ゆがまずに絞り開放でもきちっと写るデジタルカメラ対応レンズはたくさんある。NEW JUPITER-3+はいわば、レトロな写りを楽しむための趣味的なアイテムだ。

それでもマルチコートが施されてあざやかな発色になったこと、最短撮影距離が1mから0.7mにまで短縮されたことはとても素晴らしい。半逆光でのフレアはあいかわらず出るよ。オリジナルのJUPITER-3よりも使いやすくなっているのは好ましく、この点は単なる復刻版ではない。真鍮外装になったこともすり傷がつきにくくなってありがたい。

そしてなによりも新しいぶん、安心できる方も多いだろう。

さらに私がうれしかったのは、新品で買うと付属する青いスタンプとボールペンで書かれた保証書の存在だ。カメラやレンズの保証書だけではなく、いろいろな証明書を思い出させるから。

青いボールペンと筆記体の文字がなつかしい。数字の4と7の書き方を見ると「ロシアだ」と思う

そもそも「NEW JUPITER-3+」という「ニュー」「プラス」という名称だって、ソ連崩壊直後にはやった言い方なのだ。ロシア語読みすると「ノーヴィ・ユピーチェル・トゥリー・プリュース」ですかねえ。こういうところをおもしろがるのが、じつに「共産趣味的」(懐古趣味)ですなあ。

「歴史は遠目の美人」というセリフもどこかで読んだことがある。ものごとは遠くから見たら美しい、遠い過去のことならば美化される。ということ。性差別的な意図はございません。

ただ、こうした過去の製品の復刻というのはこれもまたロシアナショナリズムの高まりのひとつの現れだと考えるとなんともアレだけど……とにかく、冷戦が終わってよかった。平和な世の中だから、こうして共産趣味も楽しむことができるのだし……と思っていたら、2022年2月に平和な「ポスト冷戦時代」はあっというまに終わってしまった。帝国はいぜんとして帝国だったというわけさ。いまはポスト「ポスト冷戦時代」になったというべきか、あるいは30年かかった「ソビエト帝国」崩壊の最終段階なのかもしれない。ため息が出るよ。

周辺光量落ちもある
ぐるぐるする
ロウバイもぐるぐるして狼狽する(いやしない)
半逆光だとすぐこれ
マルチコートで色はきれい
完全逆光だと意外といけるのが不思議

*1russophilia(ルソフィリア):ロシアびいき。どう考えても私はそうだ。ただしかのZ連邦政府が好きなわけではないので、あしからず。文化やそこに生きる人たちに親近感はおぼえるけれど、政策を支持しているわけではまったくない。最後の部分はとくに強調したい。

*2 ソビエト時代に作られた大人のロマンチックラブコメディー映画『運命の皮肉、あるいはいい湯を!』(Ирония судьбы, или С лёгким паром!):かんたんに物語を話すと、30歳過ぎの独身の男女が年末年始に起きた偶然のできごとのおかげで、愛し合う本物の相手を見つけた話。

結婚を控えている下戸でマザコンで女心にもやや鈍い、でもお人よしでものすごく「いいやつ」なモスクワ在住の主人公ジェーニャ(外科医)が、大晦日に友人たちとバーニャ(ロシア風サウナ)に行き、そこで飲まされて酔いつぶれる。さらにはレニングラードへ行くといって同様に酔いつぶれているべつの友人とまちがえられて、酔いながらも目覚めている友人たちにレニングラード行きの飛行機(Tu-134)に乗せられてしまう。レニングラードの空港でなんとか目覚めたジェーニャは、自分はモスクワにいると思い込んだままタクシーに乗り込んで「自宅の住所」をつげてその場所に運ばれる。そこはレニングラードなのに、モスクワにある通りの名前と番地が同じ「第三建設者通り25号棟12号室(3-я улица Строителей, дом № 25, квартира № 12)」。住所も建物も、家具もみな同じ規格型住宅だった。おまけに自宅の鍵も使えてしまう。それに気づかずに、ジェーニャは酔いがさめないまま「自宅」に入って寝入る。そこへヒロインであるナージャ(ロシア文学教師)が帰宅してきて大騒ぎに……モスクワに置いてきた婚約者はどうしよう、ナージャのところにも彼氏が来る……さあどうなる、というもの。

2007年に続編も作られたが、こちらはちょっと私には……夢を壊す感じがするから、あまりおすすめしないな。ジェーニャとナージャは……(ネタバレぎりぎり)というのが描かれて、すごく残念な気持ちになるんだよ。

*3 「住宅も生活もいまやすべてが規格型だ!」「もはや国中あちこちがノーヴィエ・チェリョームシキだ」:
第二次世界大戦後、ソビエトにおいても住宅不足は深刻な問題だった。スターリン時代には石造りやレンガ積みの立派な集合住宅が建てられたが、フルシチョフ時代には「質より量」が求められてとにかく住宅を増やすために、日本の古い公団住宅のような5階建てエレベーターなしのパネル住宅が研究され、その建築が全国で推進された。この住宅の規格には「フルシチョフカ」という愛称がある。ブレジネフ時代にはエレベーターのある高層パネル住宅になりこちらは「ブレジネフカ」とも。とにかく住宅の数を増やすために、規格型集合住宅がソビエト全土に建設された。そのために、郊外の住宅地はどこも同じような町並みになった。

「ノーヴィエ・チェリョームシキ」とは当時モスクワ市内南西部にあり大規模な住宅建設がなされていた地区。「桜新町」とかそんな感じの意味だ。

*4 このころのポーランド人女優バルバラ・ブリルスカがとてもかわいい:Barbara Brylskaはロシア語綴りだと「ブルィリスカ」もしくは「ブルィリスカヤ」(Барбара Брыльска)。こういうひとを「きれい」ではなく「かわいい」と思うようになったところが、アラフィフの証拠だよな。大学生のころに見たときには「大人の女性だなあ」と思っていたのにね。前述の映画の中では料理が得意ではない設定だが、すっかりおばあさんになったいまでもポーランド語なまりのロシア語で「あたしはほんとうは料理はできるのよ」などとロシアのインタビュー番組で話していた。映画『運命の皮肉、あるいはいい湯を!』(Ирония судьбы, или С лёгким паром!)の2007年に作られた続編(Ирония судьбы. Продолжение)では老眼鏡をかけて再び登場しているよ。

*5 ソ連崩壊後にはそのほかのソ連製品同様に「ダサくて古臭い」と思われていた:ウクライナのロシア語作家の小説『ペンギンの憂鬱』(アンドレイ・クルコフ 沼野恭子訳 2004 新潮社)には、1990年代のキエフの様子が描かれていて、作中でソビエトの国産車『モスクヴィッチ=コンビ』(1973年から1997年にかけて作られていたイジェフスク製モスクヴィッチのIZh-2125「コンビ」)のことを「『カッコいい』男なら絶対乗りたがらない車」とある。ソビエト初のハッチバック車だそうだ。でもまあ、たしかにカッコよくはないな。

1995年のモスクワ・レーニン大通りにあったカメラ店でJupiter-8-1 50mm F2(M39ライカスクリューマウント)の新品を見つけて、若い女性店員にねんのために「このレンズはどのカメラに使えるの」とたずねたところ、鼻でせせら笑いながらじつに大儀そうに"для обыкновенного"(「ふつうのやつの」)と言われたことは忘れられない。「なるほどなあ。"обыкновенный"(ありふれている、ごくふつうの)という形容詞はこういうふうに使うのか」という変な感激をしてしまった。また、モスクワ・サコーリニキ駅近くのカメラ店「ゼニット」のまえで電球のソケットを売っていた若い女性をFED-3(M39ライカスクリューマウントの距離計連動式カメラ)で撮らせてもらい、後日その写真を渡したら「そんなカメラ("такой фотоаппарат")できれいに撮れるなんて思わなかった」という感想をもらったことなど、1990年代の彼らが「脱ソ連」を必死にしようとしていた雰囲気を思い出した。昔話が長くてほんとうにごめんぬ!

なお、こうしてみんなが古くてダサくてカッコ悪いと思って使わずに放置されていたカメラやレンズを、目端の利く連中が二束三文で買い集めて国外に売りまくった結果、日本をはじめとする西側でロシアカメラブームがやってきた。だから、あのころの中古品はカメラではなく「古物」だ。手に入れてそのまま使えるほうが奇跡的だったのだとさえ思う。

*6「原稿は燃えないものなのです」
:ミハイル・ブルガーコフの長編小説『巨匠とマルガリータ』の有名なセリフ。原文は“Рукописи не горят!”。1920年代のモスクワに現れた悪魔ヴォラントがいう。災いをもたらすことも庇護もしてくれる悪魔(サタン)ヴォラントはメフィストフェレスなのだそうだけど、おそらく当時はスターリンを意識して書かれているのかも。サタンとはあらゆる権力を持ち自由自在に「恩恵」を与えることができる超絶的な存在ね。なるほど、シベリア送りだ!

もしかしていまだとメフィストフェレスというか、サタンが身を変えている大審問官(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)を演じていらっしゃるのは「人間に自由を与えてそれが重荷になった。だから、人間はみな自由を捨ててパンを与えてくれるものの奴隷によろこんでなるではないか」というようなマッチョなセリフをおっしゃるウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーおやだれか来たようだくぁwせdrftgyふじこlp8おいやめろなにをすr(←おなじようなことを佐藤優さんが『甦るロシア帝国』で書いていますね)

【おことわり】
本記事はブログに掲載したエントリーを大幅に加筆し写真も再現像して改稿したものです。また、有料記事に設定していますが、無料で全文をお読みいただけます。もしお気に召しましたら、投げ銭のつもりでお支払いいただけますと、とてもうれしいです。

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