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心づよい


疲れからか、ふくらはぎの裏側がもやもやして脚を上げていないと眠れない、なんて時がある。
そういう時は大体、ストレッチポールを使ってふくらはぎをごりごりとほぐし、脚の付け根なんかもタオルを筒状に巻いたものを使って同様にほぐすなどすれば落ち着く。


そうやってほとんどの場合は自分で対処するのだが、どうしてもそれでは物足りない、という時がある。

その時である、恋人にマッサージをお願いするのは。



恋人は位置なんかは探り当てるのが苦手なようだが、私の方から「指ひとつ分右」というように教えていけばちゃんとつらい場所に辿り着く。
力が強く、親指の大きさも十分にあり、関節が柔らかい方なので、場所さえ合えばものすごくよく効くマッサージをしてくれる。


その時私はとても嬉しく、半ば感動すら覚える。脚が辛くて眠れそうにない時、ほぐしてくれる存在がいることがどれだけ嬉しいか。



これは私の過去の経験がそう思わせるのかも知れない。


私は昔からマッサージが上手で、子供のころから母親に頼まれてやるなどしていた。
喜ばれるのは嬉しく、感謝もされるのだが、いざ自分にもしてほしいと伝えると「あなたは疲れてないから必要ないよ」と言われることに絵も言われぬ悲しさを覚えていた。


それから学生になって、マッサージの勉強をしてからは元恋人たちにもお願いされてやるようになった。
やると向こうは「え、すごい!楽になった!」と感動し褒められるのだが、じゃあ次私ね、とお願いすると、ペタペタと力の入らない、入っても妙なところに力を入れるので気持ち悪い、というふうになり、結局それとなく断って終わるのだった。


なんだったんだろう。この時の妙な感情は。
わざわざ伝えるほどでもない。でも時間が経つにつれ、じわじわと諦念とももに悲しくなるような。


それから人にマッサージをすることは少なくなった。


恋人にもこちらからはしない。
お願いしてきたらもちろんやるけれど。
それに元々指圧が苦手らしく、よほど凝ってない限りは頼んでこない。
そういうところも心安いポイントなのだろう。母親や昔の恋人たちのようにマッサージを求めてこない。
だけど、たまに頼むとちゃんとやってくれる。



恋人はそういった意味でも心づよい存在なのだ。


でも、それにかまけてお願いばかりするようになるのは嫌なので、脚を高く上げる事で浮腫みや疲れをとる等々の効果のある脚枕(良さそうなやつはちょっと高い…)を買ってみようかなと考えている。


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