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家の力


入院中の方が、自宅に退院するにあたって、退院後に介護保険サービスや、訪問看護などを利用する際に『退院時カンファレンス』という会が病院で開催されることが多い。
その目的は
①退院してからも必要な医療処置や、継続できるように、必要な看護や、医療を準備すること。
②生活を整える事で、再び病状を悪化させないこと。(訪問介護や、デイサービス等)
③自宅の環境を、今のご自身の体の動き(ADL)に必要な福祉用具などを導入して整えてから、退院を迎えてもらうこと。
④家族や本人の不安を明確にし、解決すべきことや、習得しておく介護の指導を入院中に受けてもらうため。

過去にも何回か、退院時カンファレンスにまつわる話を投稿しているが、今日もそこからのエピソードを一つ。

糖尿病で入院されていた80代男性のAさん。
糖尿病の合併症で目が見えにくくなり、神経障害も進み、手先の感覚が鈍くなり、何年もやってきたインスリンの自己注射や、自己血糖測定がだんだんできなくなってか、億劫になってか、処方通りにできなくなって、血糖値が高い状態が続いた。そして、神経障害は排尿機能にも及び、おしっこが出なくなり入院になった。

入院中に、膀胱留置カテーテルが入れられ、管を通して排尿するようになった。
血糖値のコントロールが入院治療で良くなり、退院できる状態になったので、留置カテーテルを抜く事を試されたが、そちらの改善は見られず、管を入れたままの退院になった。

退院後は、定期巡回の介護と、一体型の訪問看護を利用されるということで、退院時カンファレンスに退院後の担当者として呼ばれた。

Aさんは妻と二人暮らし。主な介護者は息子さんは、市外に住んでいて、1~2週に一回くらい通われている。
妻はまぁまぁの認知症。
Aさんは認知症は無い。
息子さん曰く、体の元気だけと、認知症の母と、体は弱ってるけど、認知症がなくて頭がしっかりしている父は、二人でいてちょうどいいんです。だから、一人欠けると生活が崩れるとのこと。

Aさんの家は、なかなか古くて、バリアフリーには程遠い賃貸の長屋の一室。
居間と台所しかない。介護用ベッドを入れたら奥さんの寝る場所がなくなってしまうくらい狭い。
ご飯はちゃぶ台で食べる。基本的には床での生活。

当然病院では、ベッド生活。ご飯はオーバーテーブルで、ベッドに座って食べる。
入院中の生活で、床からの立ち上がりなんてしなくなったので、というか、する場所もなく、
出来ないであろうという評価をされた。
退院前に、少し理学療法師のもと、リハビリが行われた。
担当PT(理学療法師)からの申し送りでは、
床からの立ち上がりは無理。
足は10センチも上がらないから、段差を上がれない。
神経障害があり、つたい歩きをする手も、感覚が鈍いので、転倒のリスクが高い。
だから、「生活空間を狭小化し、ベッドを中心に生活をしてもらってください」
などと、意気揚々と語られた。

じぇじぇじぇ!!
はて?
びっくらぽんだ!!( ; ロ)゚ ゚
(朝ドラちゃんぽん)

『セイカツクウカンヲキョウショウカ』

本気で言ってるのか?
認知症をつくりたいのか?

膀胱留置カテーテルが入っていて、尿が溜まるバッグを下げておく必要がある都合上、ベッドを導入するのはまあ、しかたないにしても、オーバーテーブルを、家にも置いて、家でもベッドで食べろというのだ。
さらに、歩くなという。
排便はどうする?との問いには
「病院では、オムツにしているので、オムツにしてもらうしかない」と。

座れるのに?
歩けるのに?
何でオムツ?

浣腸しないと出ないので、週に2回浣腸してますと、病棟ナースより。

ああ、、、。
まだ、寝たきりは病院で作られる世の中は、変わっていないのか。
それだけではなく、病院のやり方を、家に帰ってまで継続させようとする申し送りは、残念としか言いようがない。
その話を聞いているご本人Aさんの感情の無い魚ような目が忘れられない。

不毛なカンファレンス、時よ早く流れろ

色々言いたいことはあったが、家の様子を全く見ていない、想像すらできない病棟スタッフの人たちに何を言ったところで、大抵病院が正しい!!って押しきられるのが予測できるので、黙って聞くだけ聞いて帰った。

でも、私たち在宅介護に関わるものは知っている。
家では自由。
病院を出たら、患者ではなくなり人だ。
もう、言うことなんか聞かない。

Aさんは、頭がいい。
退院時カンファレンスの時は
とりあえず黙って聞いて
病院の言うことに逆らわず
おっしゃる通りにしますの姿勢で
すんなりと退院日を決め
家に帰ってきた。

退院当日、私たちは早速家に
訪問した。
訪問して始めに見たのは
玄関の外まで迎えに出てきたAさんの姿

おしっこのバッグをちゃんと持って
片手で壁をつたって、
25センチ以上ある段差を降りて
砂利の庭まで出てきていた。

そして、私たちを招いて、
今度は25センチの玄関の上がり框を上り
手すりもない壁をつたって、部屋まで案内し
床にどかっと腰を下ろした。
おしっこのバッグは
床にべーんと放り出し
高低差なんて無い(笑)
※本来は、尿が逆流しないようにバックは膀胱より低い位置に下げるよう指導する

お昼御飯の前
インシュリンを打つ。
その前に血糖値も自分で測る。
ゆっくりだが、確実に
危なげなく測れている。
インシュリンの注射器の単位も
虫眼鏡を使って確実に確認し
危なげなく打てている。

ベッドは置かれていたが、オーバーテーブルは、借りていなかった。
理由は予算不足。

ご飯はもちろん、ちゃぶ台で食べる。
片ヒザ立てて、箸はうまく持てないようなので、フォークで食べる。

ご飯は、奥さんが用意するはずだったが
認知症が思いの外深くて
出来ないようだった。
奥さんに可愛く甘えられ
私たち介護者がうまく使われ
Aさんのご飯を用意するようになった。
ケアプランにはない(笑)

トイレも驚いた。
部屋から歩いて玄関の横のトイレまで
排便のため歩いて移動できていた。
拭き残しもほぼ無く
下痢の時に、ちょっと間に合わないくらいで、
ちゃんと、自分で後始末できていた。

ポータブルトイレは絶対に嫌だと言っていたので、(部屋が狭くなるし、食事の空間でもあるから)やはりオムツなのか?、思っていたら、尿のバッグをしっぽみたいにズルズル引きずって、トイレまで歩いて行っていた!

この家のトイレは、本当に難関で
ドアが表開きで、玄関の上がり框に被るように開き、体を斜にすり抜けるように入らないといけない。ついでに、廊下の床の板が腐ってふかふかしているので、足場が悪い。
訪問している私たちが転びそうになる。
アスレチックなお宅。

Aさんは、ふうふう言いながらも
「しょーがないもんなぁ」と、
そのトイレを使う。

退院時カンファレンスの時の
理学療法師の評価は
幻のよう。
なーんの問題もなく
いや、始めこそ
やっぱり入院時の安静の影響で
少し苦労されていたが
退院後1か月もすれば
何ら問題なく暮らせている。

一つ問題になったのは、
おしっこのバッグを引きずって歩くことで
皮膚に負担がかかり、ちょっと傷ついてきてしまったので、そこは訪問看護の出番。

病院の泌尿器科外来に電話して
可愛く、低姿勢で、相談する。

歩いてトイレに行けるようになったんですう~
神経障害で、バッグもちながら歩くの大変なんです~
インスリンも自分で打ててるんです~
何かいい方法ないですか~?

病院の看護師さんは、プライドが高い。
大きい病院ほど、その傾向が高い。
※偏見かもしれません。ごめんなさい。

下々の(自虐)地域の訪問看護師は
いかに病院側の人々とうまくやるために
可愛く下から頼って、利用者さんに必要な指示を引き出す事ができるスキルが大切だ。

そして、狙いどおり
DIBキャップを手に入れた。

そんなスキルなどなくても
快く相談に応じてくれる看護師さんだった(笑)
どうも、警戒しすぎている節がある私だが
利用者のためなら女優にもなるのだ。

そう、DlBキャップ。
それは、開閉式の尿道カテーテルの蓋だ。
昼間、起きている間は、おしっこのバッグを外してDIBキャップをつける。
神経障害のため、それをしても尿意がわからないので、定期巡回の訪問の時に、おしっこを出してもらうようにした。
夜間はこれまでと同じく、バッグにつなぎ、ゆっくり休んでもらうようにした。

これがDIBキャップ
弱い力でも容易に開閉できます。



つなぎ替えの朝と、尿を流す昼、再びバッグにつなぐ夕方の三回の訪問時にDIBキャップの操作を見守り、食事の準備と、昼一回のインシュリン注射、足の水虫の薬塗りや、内服薬の声かけ、見届け。
そして週に2回の訪問看護で、体調が安定して、入院前より元気になった。


そして、なんと、ある職員が訪問に行くと
ゴミを捨てに近くの集積所まで、夫婦で歩く姿を目撃したという。
すごい!もう、すっかり普通に戻った。


生活空間を狭小化し、転倒リスクに備えましょうと言ったどや顔のPTに、この姿を見せてあげたい。

こういう場面を見られるから、在宅現場の仕事から離れられない。

私たちは、ちょこっと見守って、ちょこっとだけ手伝っているだけで、家が、生活が、みんな良くしてくれるのだ。

もちろん、そこにそのちょこっとのいい介護があるから、成り立っているのだけれど。

いい介護は、やってあげることでも、引き出すことでもなく、みまもり、寄り添い、必要な所に、必要な分だけ、必要な手を出すことだと思う。

その見極めができるのがプロの介護だ。

やっている一つ一つは難しいことではないけれど、見極めた上で、考えて関わりを持つ。

そして、あとは家がやってくれるのだ。

「家と生活と介護」
「部屋とYシャツと私」を替え歌にして
歌いたくなった。

意味不明な結び(^-^;

今日も読んでいただきありがとうございます!

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