老いて夫婦で暮らすということ③~ラブラブでも受け入れられないあなたのうんこ~
老いて夫婦で暮らすということを2本、この前の投稿で書きました。今回も老夫婦の話しなのですが、今回は、元気な妻が、要介護5の夫の在宅介護をすることになったお話し。
一般的に妻が夫を介護をするパターンと、夫が妻を介護をするパターンを比べると、妻が介護をする側のほうが、人の助けを上手に借りながらうまく回っていくことが多い印象です。
それは、女性は家事はもともとしていた事であることが多く、母親としての子育ても経験している人であればなお、人の世話というものに馴染みがあるからかな?と思っていました。
一方、夫に妻が介護されるパターンは、まず家事に慣れていない事が、今の高齢者の世代では一般的な印象。
人の世話に鳴れていないことから全く未知の世界に足を踏み入れたような状態になる。
そして男性にありがちなマニュアル重視。それなのに、独自の解釈を混ぜる『俺の介護』で拗らせて、ややこしいことになり、在宅系サービス利用に繋がってくるパターンが多いなあ。
そんな印象です。
でも、最近関わったいくつかのケースから、傾向が変わってきたなと感じたのです。
それは女性だから介護がすんなりできるとは限らない事が多いということ。
■あるご夫婦のおはなし
夫が病気のため入院しました。高齢でしばらく入院されると、入院前の状態より動けなくなって帰ってこられることが多いです。
リハビリをされても、もとの状態に戻るまでには至らず、最近病院は、(特に大きい病院)病気の治療が終わったらさっさと帰されてしまいます。
リハビリを継続したければ、リハビリ専門の病院に行くか、老人保健施設に入るという選択肢もあります。
退院する時には、医師や看護師から現状の説明があります。
退院後、在宅系サービスが必要になった時には、担当ケアマネージャーと、病院のソーシャルワーカーが連携して、退院後の生活支援体制を考えてくれます。そして、コーディネートされたサービス事業者の担当も一堂に会して、病院で、『退院時カンファレンス』が行われます。
ちょっと話が逸れるのですが、この退院時カンファレンス、必ず病院で開催されるんですよね。
(私の経験した限りでは)そして、開催日も、開催時間も、病院の都合で、私達在宅系の事業者がそれに合わせてスケジュールを確保しなければいけないんです。
しかも、急に呼ばれることが多い。
在宅系のサービスって、どこも大抵少人数の事業所で、サービス回すのもカツカツでやっているので、急に一方的に病院サイドの予定に合わせて呼び出されることが、私はいつもちょっと不服です。
そして、開催場所も、病院であるのにも疑問です。家に帰ってからの生活を整えるためのカンファレンスなのであれば、その方の帰る家でするのが一番いいと思うのですよ。
病院にいる時の様子をただ報告受けるだけならば、看護サマリー(書面)で十分です。
その看護サマリーも、フォーマットにしたがって書かれただけの、帰宅後に必要な情報がほとんど記載されていない、あまり役にたたないものが多いので、これも、業務的に行われているだけの無駄な事だなぁと思うのですが…
文句が止まらなく溢れてくるので、この辺にしときましょう(笑)
とにかく、家で本当に困らずにやれるのか、病院関係者も家まで来て、現地を見て、退院までの残りの日数で病院でできる指導や、必要なリハビリをしてから帰ってこられるのが理想なのですが、現実には病院での様子を告げられて、あとは在宅系の方でよろしく!といった『丸投げ』カンファレンスです。
※そうじゃない病院もあると思います。
コロナ禍はさらに酷くて、退院までご本人に家族も会えない、病院でのカンファレンスも基本的に行わないでいきなり帰ってきて、ぶっつけ本番在宅介護でした。
だから退院当初はまあ、混乱すること!(笑)
今は退院前カンファレンスが行われるだけ、ましになったのですが、形ばかりのカンファレンスを行うだけでも、病院サイドに、『私たちちゃんと考えてます感』を出されると、なんだかコロナ禍で私達の感覚が麻痺させらてしまったような気がして、「みんな、目を覚ませ~!!」って叫びたくなります。
そんなこと言っている私も、病院で働いていた時は、退院後の生活のことに、全く想像が及んでいなかったし、寄り添えてもいなかったと思います。訪問看護をやってみて、初めて世間を知って、自分の世間知らずっぷりを思い知らされた口ですから、偉そうな事はいえないのです(^-^;
だいぶ脱線話が長くなりました。
今回言いたかったのは、女性だからといって介護がすんなりできるとは限らないというお話し。
ここのところ入退院を繰り返しているおじいさん。奥さまは、とってもご主人のことが大好きで、いつも早く退院させたくて仕方がないご様子です。
でもこの奥さま、「みんながやってくれるからきっと大丈夫!」という楽天他力本願な考え。
その他力は、娘、息子などの家族ではなく介護サービスを指します。
もちろん、在宅系サービスを担う私たちは、できる範囲内で精一杯支えます。
特に、私が今働いている『定期巡回随時対応型訪問介護看護』という介護と看護がワンチームとなって1日複数回、随時対応も含めて包括払い(お月謝)で入ることができるサービスは、かなり生活に入り込んで支えることができるので、かなり助けにはなると思っています。
でも、それにしたって、点で支えることには違いはなく、病院や施設のように、常にそこに介護者がいる環境とは、異なるのです。
なので、在宅で介護をしようとすると、どうしたって介護を受ける本人と、家族の自力が必要になります。
この奥さま、理想は高く、ご主人が帰ってきたら、リハビリはしっかりさせて、もっと自分で動けるようになってほしい、食事もしっかり食べてほしい、デイサービスにも沢山行ってほしい。等々希望は盛りだくさん。
でも、奥様自らが何か動くつもりはないんです。
まず、オムツ交換できません。ちなみに奥さまは、要介護でも要支援でもなく、ご自身のことはできる自立状態のお方。
ご主人は要介護5で、いわゆるベッド上での生活が中心のお方。
尿道留置カテーテルが入っていて、おしっこは、管を通して袋に流れる状態。なので、尿の汚れによるオムツ交換はほぼありません。
便が出たときにオムツ交換が必要になります。
定期巡回は、いつでも緊急で呼べるサービスです。でも、駆けつけるには距離があり病院のようにすぐにというわけにはいきません。夜間や早朝など、当社の定期巡回では自宅待機の職員が対応するので、独居の方なら仕方がないにしても、ご家族がそこにいるのであればご家族で対応していただきたいのです。
もちろん、ご家族の体調不良や、疲労などでてきない理由があるときは対応します。
よく、誤解されるのですが、お金を払っているんだから、なんでもしてくれて当然だろう!と言われる方がいます。
でも、介護保険を使ったサービスは、お支払の負担割合は1~3割です。
全額をご負担いただく自費のサービスではありません。みんなのお金で、皆のための社会資源である介護サービスの限られた枠を分けあって、持続可能な使い方をしていかなければいけないのです。
だから、そこに動ける家族がいるのなら、全部任せるのではなく自分でもやる!
その姿勢を持っていただきたいんです。
もちろん、家族の介護も持続可能でないといけないので、介護サービスが必要な部分には入ります。それと同時に、自立を目指した介護を行い、ご自身でもできることを増やして行くのです。
だから、全部お任せは、違うのですよ。
という訳で退院時カンファレンスの時に、病院にいる間に、オムツ交換の指導を受けてきてくださいとお伝えしました。
奥さま、自分がそんなことをしなければいないのか!という事実に思考がフリーズして、しばらく魂抜けたような沈黙がありました。
食事のために車椅子に乗せるための介助は、お一人では危険性があり、介護職員が手伝うことになりました。でも、食事介助は奥さまにしていただきます。奥さま、食事介助なんて、できません!ヘルパーさんがしてください!と言われましたが、できないならできるようになってくださいと、それも退院前に病院で指導を受けていただくことに。
奥さままたまた魂抜けてました。
実際にはできないんじゃなくて、やるつもり無かったのに、自分がやるという現実が受け入れ難かったのだと思っていました。
実際に病院での指導の時の、奥さまは、遠慮気味に見学に毛が生えた程度しかオムツ交換練習をしなかったのだそうです。
病院では繰り返し、「ヘルパーさんがやってくれるから大丈夫なんです!」と言って、あまり積極的に指導を受けられなかったとのこと。
そんなだったので、案の定いざ帰ってきたら、「はい!ヘルパーさんお願いしますね!」と、ぜーんぶやって!って丸投げの気合満々‼️
病院と同じように、してもらえる、病室と、介護看護スタッフが、そのままの支援体制で家に移動してくるくらいのスタンスでした。
退院前カンファレンスの時に伝えた、「奥さまもできるようになってくださらないと」というこちらの言葉は、まるで社交辞令?(使い方おかしい)のように、その時言ってるだけで、実際に自分がやることになるなんてことはないだろうと、高を括っておられたのです。
でも、現実は、退院前に伝えたそのまんま。
こちらも、割ける時間に限りがあり、在宅生活を継続するためには、奥さまの協力が必須です。なので、病院の指導の通りやってみてくださいとお伝えし、ちょっと突き放すようにですが、はじめは見守り下で、奥さまに実践してもらいました。
食事は、幸いにも、病院ではおじいさん、看護師さんへの甘えがあったのか、それとも介助を当たり前にされてしまっていたのかわかりませんが、家に帰ったら奥さまに、「自分で食べて!」と言われて、あっさり自分で食べられました(笑)
在宅あるあるな感じです。
そして、ご飯を残そうとすると、妻がスパルタで、最後までたべなさい!!と、お残しを許さないので、栄養状態は病院にいたときよりも確実に良くなりました。
逆に、食べさせ過ぎたり、お刺身や、フルーツ、スイーツなど、盛りだくさんあげ過ぎて下痢になること数知れず…。
回復期であり、高齢であるという視点は抜け落ちていましたが、まあ、本人と家族がいいならそれでもいいか!と見守っていました。
そして、オムツ交換。
そんな感じなので、下痢をして、しょっちゅうオムツが汚れました。
奥さまが変えてくださってもいいのですが、
『私、できないです。こんなことしてたら、腰が悪くなっちゃいます」
「早く来てください!」と、パニック気味に電話連絡が度々あり、緊急の呼び出しも多くありました。
でも、実際オムツが変えられないってことはなさそうなんです。
だって、背中がえらい(関西弁でしんどいとか、辛いという意味)と言われたら、上手にころっと横向きにして、背中をさすったりは出来ているんですから。
なぜしないかって、やっぱり、排せつ物が嫌なんですよ。うんこを触りたくないし、見たくない。
そこは、どうしても乗り越えられないポイントなんですね。
でも、この御夫婦には息子も娘もいます。
子育ては経験されている。
オムツかえだってしたことあるはず。
でも、夫のそれは別。
夫と不仲なわけではないのです。むしろ、離れたくなくて、早く家に帰ってきてほしいし、毎日熱心に面会に通っておられ、介護負担を考えてのケアマネージャーからの施設入所の提案に対しては、面会できないのは嫌だから、入所は嫌と言われています。(今はまだ、コロナの影響で、面会に制限のあるところが多いのです。)ご主人のほうも、なにかと「お母さん!お母さん!」と、呼び、私たちに、お母さんの事が大好きなんですと公言されるほど、ラブラブなお二人♡
でも、うんこは別なんてす。もうひとつ言うと、尿がたまったバックから、尿を捨てるのもダメ。ようするに、うんこ、しっこがダメなんです。愛する夫であっても、いや、愛する夫だからこそ、そこは見たくないのかなぁ。
そのお宅は裕福なお宅で、奥さまのお育ちも良さそうに感じます。嫌なものは嫌、欲しいもの(サービス)は欲しい、ハッキリ言われて、我慢がない感じ。変に、私がしないと!とか、こんなこと言ったら我が儘と思われる!とか、裏の気持ちが無さそうなんです。育ってきた環境かな。その奥さまは現在70代前半。私はほぼ30年看護師をしてきているけれど、私が新人看護師の頃にはまだ、明治生まれの方も沢山いて、その頃の患者さんは、良し悪しはともかくがまん強かったです。医者や、看護師の言うことに逆らったり、自ら希望も述べる人なんて、病院で関わる高齢者ではほとんどお見かけしませんでした。家族もまたしかり、娘世代はともかく、妻や夫が苦情的なことを言うことなんて、あまり無かったように思います。
令和の時代のお年寄りは、昭和生まれ。
時代が変わって、核家族化が進み、裕福な家も増えて、親の介護をしたことのない高齢者が増えてきています。だからなのか、女性だから、子育て経験してるからって、介護が抵抗なくできるかと言われると、そうでもない人が多くなってきています。介護保険制度が導入され、家族が介護しなくても良いように、『介護の社会化』を目指されてきたけど、介護の支え手になる働く世代が足りておらず、国が思い描いたほど社会化出来ていないのが現状だと現場にいて感じます。
その国が描いたような介護、すなわち「事業者などに任せられて家族があまり負担をせずに、社会生活を継続できる未来」を信じていたこの世代の人たちは、老いの現実に向き合う事を、自分自身が老いるまですることなく、するつもりもなかったのに、いきなりぶっつけ本番で迎えることになるのです。そして、社会が何とかしてくれると思っていた当てもはすれて、白目を向いて魂が抜けるようなショックを味わうのですね。
うんこしっこなんて、子供のはかわいいけれど、大人のそれは受け入れがたい!
そんな、人間の生々しい部分に向き合わずに生きてきた人にとっては、簡単には受け入れられない試練なのかもしれないです。
愛する夫は、綺麗なまま、できるまま!
老いを受け入れるなんて、いやいや!
そんな、お嬢様おばあちゃんが、巷に増えています。
そして、これからもっと、増える予感です。
私たち介護に仕事として携わるものたちは、仕事を通して老いを知り、現実と向き合うことを先にはじめていることで、こういう白目を向くようなショックを受けることは、自分や伴侶が将来老いを迎えたとしても、無いでしょう。
現状とても、裕福になれるような報酬は得られない仕事であることは確かだけれと、「生きやすさ」という大きなリターンを受け取っていると思います。
私は看護師であり、定期巡回の管理者であり、介護と看護、または、医療の三つの側面に関わらせていだいていて、老いを見て学び、本当に生きる上での大事な事を身に付けさせてもらっています。
だから、その老いをうまく受け入れられない人たちに、それに向き合う術を伝えたり、ともに考えたり、ただ寄り添って話を聴いたり、自分の持っている知識や経験を惜しみ無くお分けする。
それが私たち介護・看護に携わるものの使命かな?って、ちょっと大げさかも?ってくらいに考えちゃったりしてます(^ー^)
うんこ、しっこを受け入れられなくても
いーんだよ。
いーんだよ。
毎日みているうちに、ちょっとずつ慣れるかもしれないし、慣れないかもしれないけど、
それもまた、その夫婦の生きてきた時代背景や歴史の延長線上にある結果であり、途中経過です。
でも丸投げはダメ。
自分事として、向き合っていただく。
そして、それに寄り添い支えるのが、私たちの仕事です。
どれも愛しい命の軌跡。
いーのいーの。
深刻にならずに
面白がっていきましょう。
毎日私たちの職場では
それぞれのご家庭を見てきた職員の
「聞いてくださいよ~!」の
笑い話で溢れています。
人って面白い!
介護・看護って面白い!
愛しい老夫婦の物語
沢山の物語を見せていただけて
日々幸せです(^ー^)
今日もありがとう
明日はどんな物語が待っているかな?
読んでいただいてありがとうございます!
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