伝承の日本史11 〜 伊豆、日高見国

クヌガの国(日本海沿岸)の富家同盟豪族もあり、大彦は息子と別れて北陸へ。
若狭や加賀で子孫を残し、彼らはその地で国造となった。

息子・ヌナカワワケの軍勢は伊賀と伊勢を通り東海方面へ。
阿部一族でイガに残った大伊賀彦の子孫はのちに伊賀臣を名乗る。

サイノカミ信仰の主神はクナトの大神。阿部一族は自分の勢力地を「クナト国」と呼んだ。ヌナカワワケの東海地方も同じ「クナ(クヌ)国」。
阿倍一族にはクヌ国の久努臣がいて、のちに久努朝臣となる。
魏志倭人伝に書かれた、クナ国の王であるクコチヒコは「新撰姓氏録」に出てくる久々智彦(ククチヒコ)という人。阿部朝臣と同祖である件記載。

魏の時代のクヌ国は、遠江国山名郡久努郡(磐田)、駿河国阿倍郡久努も含まれた。久努国はやがて物部配下となり、久努国造は物部氏から任命された。

よってこれが、後漢書の「女王国から東・・・・」女王国はモモソ姫のヤマトのことで、「海を渡ること千余里」で「クナ国」に至る、の件。
「みな和人で女王(モモソ姫)には属していない」はヤマト圏外だから。


ヌナカワワケの三嶋大社建立〜日高見国

ヌナカワワケは伊豆に退却し、その地に三島の名をつけ三島神社を建てコトシロヌシを祀った。
崇神記に「大彦の子・建沼河別命を東方12国に派遣し、、、」とあるのは、派遣ではなく物部勢から逃れて移転しただけ。
スルガでも銅鐸祭祀を続け、彼らが住んだ跡地からは銅鐸の出土があった。

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