スピを逃げ道に使うな
※これは、私の持論で
特定の何かや誰かをディスるものではない。
それを念頭に置いて読み進めて欲しい。
私はスピリチュアルセラピスト。
ARTもスピリチュアル要素がある。
でも、世間一般が思うような
見えないものが見えるとかの
スピリチュアルではない。
言葉の意味の捉え方というのは
その人の知識・体験などによって
同じ言葉でも、様々な意味合いに変わる。
そして、伝え手が込めた意味と
違う解釈で伝わる事がある。
"スピリチュアル"もまた
かなり抽象的な意味合いで使われているし
それによって、捉え方の差も
大きく生まれているように感じる。
辞書で調べると
"精神性・霊性"という意味が強い。
なのに、どこで歪んで
"見えないもの"に対するニュアンスが
強調されるようになったのだろう。
私は確かに
Indigo Energy Artistと名乗るくらいだ。
見えないとされている
"エネルギー""リーディング"に
特化している性質は持っている。
祖父母からのメッセージを
夢枕で異常なほど受け取っていた時期や
日常でも、そんな事を受け取りやすい。
神社仏閣にも、縁があるところや
自分が好きだと感じる場所であれば
足を運んで、力を借りる事もある。
ただ!
そんな事は、凄くも何ともなくて
ただの"気質・特性"に過ぎない。
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私の根本にあるのは
"自分自身が生きることへの探究"
→"精神性・霊性"の探究とも言う。
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正直私は、何でもかんでも
ポジティブに捉えなくてはならない風潮や
見えないもののおかげだと
パワースポットばかりに頼るような
捉え方が好きではない。
本来、精神性の探究って
泥臭く、痛みや辛さを伴う事も多く
見たくない自分や現実を直視することが
大半だからだ。
見えないもの達だって
私たち人間と同様、自然の中に存在する。
横並びでいて、崇め奉るものでもない。
共にあり、共存する中で
手助けしてくれる事があるだけ。
あくまでも、自分が生きる中で
自分が探究したい事や
精神性・霊性を高めていく過程において
それらからヒントや気付きを得たりして
自身の精神性・霊性を高めていくだけ。
魂を磨き、自分という純度を
高めて生きていく為の"視点"に過ぎない。
なのに、多くの"スピリチュアル"は
毛嫌いする人を産んでしまうほど
本来の意味を理解せず
現実逃避的な感覚の"逃げ道"にして
浮き足だってしまう捉え方の人が
まだまだ多い気がしてならない。
正直、エネルギーは化学で
そこらじゅうに、見えないけど発生していて
その中には、沢山の情報が刻まれている。
それを感じ、読み取る事や
日常の生きる過程に取り入れ活かすのが
比較的得意な気質だというだけの事。
さらには、みんなそれぞれ
持ち合わせている気質・個性があり
みんな必ず持って生まれていて。
それが分かりやすく、土台になっているのが
"五感"という体感覚だったりする。
(五感の話だけで長文になるので、割愛)
自分に必要なものを、自分に合ったものを
自分で感じ、選択し、取り入れる事で
"自分を生きる探究"を進めるだけ。
"精神性・霊性"を探究するもの。
だから、現実逃避の逃げ道には使うな!
"今、ここを生きる"という事の意味を
"自分を大切に生きる"という事の意味を
堕落・怠慢・甘やかしの言い訳に使うな!
そういうものが
周りからエネルギー搾取する事になり
真っ直ぐな人達を疲弊させていく。
私がニューヨーク出展・渡航後
"目が死んでいる"と強く感じた空気は
このどちらかに該当する事が多い。
本来、スピリチュアルは
かなり現実的である。
目に、魂に生命力を持ち生きる為に
捉え方を見誤らないで欲しいと願い
私は、自分探究の一部として
探究結果をシェアする事を
◼️スピリチュアルセラピスト
◼️Indigo Energy Artist
という形で、気質を活かし生きているだけ。
魂ど真ん中を生きる旅のための
自己探究や、それをする人の輝きや体温が
私は大好きなんだ。
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