アダルトチルドレン脱却までの道のり~①アダルトチルドレン回復期と気付いて~
「なんで自分は子供っぽいんだろう」、「どうしてこんなにネガティブなんだろう?」、「どうしてこんなにめんどくさいやつなんだろう?こんなやつ誰も好きにはなってくれるはずがない、一生一人なんだ」1年位前まで、10年くらい悩んでいたかな。いつも漠然とした孤独感や不安感がありました。それを変えたくて、ネットで色々調べたり、瞑想をしたり、オンラインサロンに入ったり、セミナーに行ったり、インナーチャイルドセラピーを受けたり、交流分析を使ってカウンセリングしてもらったり…それなりにいろいろやってきました。
でもなんとなく良くなってきてはいても、なにか「根っこ」のようなものの存在を感じていました。それが、アダルトチルドレン=ACを知って、「これが根っこか!」と思いました。アダルトチルドレンの問題は解決が大変なようで、専門家に相談に行った方が早く元気になれそうなので、カウンセリングに行こうと思います。
ACと気付くまで
カウンセリングに行こうと思えるまでのここまでにも何段階か超えてきているのではないかと思って、それを整理したいと思います。
ここで、自己肯定感が上がった出来事を整理します。
一輪車で褒められる、お菓子が上手にできて褒められる、図書委員である日先生に褒められる、高校受験成功、高校での海外研修の選考に合格、英語の偏差値が急上昇する、大学で希望の専攻が通る、初めて彼氏ができる、第一志望の会社の内定を頂く、希望の部署に配属される、一緒に仕事をした人に仕事ぶりを褒められる、旅先で友人ができる、自己理解のオンラインサロンで強いつながりができる、仕事で担当を任される、友人に行動力や努力を誉められる、「私は愛されているんだ」と気付いたこと。。。
成果主義
何か成果が出たら承認できるパターンがあったように思います。だから、ずっと頑張れる以上に頑張ってきて、疲れてしまったこともありました。特に就職してから、何に向かって頑張ればいいのかわからないし仕事できなくて無力感で死にたくなるし。役に立てないと存在価値がないと思っていたから、仕事できない新卒2年目くらいまでそれはもうしんどかったです。
ある人が「自分は相手にどういった利益を与えられるかを伝えられないとだめだよ」と言っていたんですが、それにはひどく違和感を覚えていました。自分も持っている感覚ではあったものの、無条件に「居ていい」と言ってほしい自分も居たから複雑だったのだろうなぁと今では思います。損得なしに受け入れてほしいのです、本当は。
受容
私にとって大きな転機になったのが自己理解のオンラインサロンでした。1年半ほど前にサロン自体なくなってしまったのですが今でも大好きで関わり続ける人が居るくらいとても大好きな人たちに出会えました。
そのオンラインサロンではストレングスファインダーというツールを使って自己理解を学んでいたのですが、「みんな違ってみんないい」を地で行くコミュニティだったので、とても安心できる場でした。お互いを認めあえるってこんなに素敵なんだと気付かせてもらえたし、それぞれの違いを単に「違い」として捉えていたし、その違いを面白がって聴く人たちだったので、それまで「白か、黒か」の思考がかなり強力だったので、人の違いを受け入れるきっかけにもなっていたように思います。違っていいんだという感覚が生きやすさにつながっていたのかもしれません。
年齢もバックグラウンドも関係なく友人ができたのも初めてで、「受け入れてくれる人が居る」ことはとても嬉しかったです。こんな風に受け入れてくれるコミュニティを見つけたことで、コミュニケーションが苦手で友人ができないことで自己否定をし続けていた自分を少し許すことができたのも大きかったです。
親への恨みを手放したこと
ずっと生き辛さを親のせいにしていたんです。でも親に面と向かってそれを言うこともできなかった。親を気付つけてしまうことが怖かったから。でも自分では消化することもできなくて苦しかったです。
苦しい気持ちをどうにかしたかったし、何よりも生き辛さをどうにかしたくてあるセミナーに参加しました。そこで気づいたのが、「親も初めての人生や子育てで、最善を尽くしてくれていたこと」でした。
私はそれまで、父は一人の男性としての人生があること、母には一人の女性としての人生があることをあまり意識してこなかったんです。父や母を親や大人としてしか見たことが無くて、親としてや大人としてのあるべき姿と対比していました。それで「なんで親の癖に」「なんで大人なのにこんなこともできないんだろう?」というような不満をくすぶらせていました。でも、今自分が大人になってみて、親になっていてもおかしくない年齢になってみて、子供の時に想像していた「大人としてのあるべき姿」には程遠いことに気付きます。大人も完ぺきなんかじゃなくて、気持ちは揺れるし知識もまだまだ不十分。でもそのあるべき姿として描いたイメージは、「多くの人に必要とされる『できる人』」なんですよね。でも、そんな人に、成れるとしたら…それでもなりたくないかもしれない。なんだか人とつながっていなさそうな人なんです、その「あるべき姿」像の人って。今の私がなりたいのは、のびのびと生きて、失敗しても愛される、人に応援されて生きる人。
あなたは、どんな人になりたいですか?どんなふうに生きたいですか?
さて、これから「アダルトチルドレン脱却までの道のり」を記録していこうと思います。生きたいように生きるには、0or100の思考だったり、奥底で不安が付きまとう状態から抜ける必要があると思うんです。アダルトチルドレンはこれらの根っこであると私は仮定しています。
ということで、自ら実験です!
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