セラピーの後悔→一瞬で、感謝に変化した話
セラピーを習った始めの頃は、まだ半信半疑の私。
こんなことを習ったのか、と、高額なセミナー代を払った自分を一瞬責めた。
でも、すぐにそのセラピーを試す機会に恵まれた。
それは、足腰がよく痛くなったりするのだけど、まだまだ元気な両親に対してだ。
連休も近づいてきた頃、両親が、揃って、伊勢神宮へお参りに行きたいとの事。
父も母も、身体痛いところあるのにに大丈夫?って思ったけど、私も一緒に行くことにした。
早速、伊勢神宮に向かう道中で、膝が痛そうな母。
膝の痛みに対して、セラピーをこっそり行った。
しばらくして、膝、どう??って母に聞くと、
なんだか少しいいわ、とのこと。
ほっとして、宿に戻った。
宿に着くと、今度は足の付け根が突っ張ると訴える母。
今度は足の付け根に対してもこっそりセラピーを行った。
少しいいみたいだわ、との返事に安堵した。
何かしてくれたの?っていう母の質問に対して、私、拝んでおいたよ、って伝えておいた。
宇宙エネルギーを使ったセラピーとか、多分言ってもわかんないと思うし、逆に心配されるかもしれないと思って、咄嗟に出た言葉が「拝む」という言葉だった。
幸い、母は、九州のお地蔵さまを拝んで、何か良くなったというエピソードを語るくらい、見えない力を信じている人だ。
私も、見えない力を信じているのは、少なからず、母の影響があったと思う。
車で移動をして、今度は和歌山県の熊野へ向かった。
かねてより母の念願だった熊野古道を一緒に歩く、という願いを叶えたかった私。
珍しく、父も一緒に来るという。
熊野古道を親子で歩く私たち。
早速、足腰がしんどそうな父。
痛い?って聞くと、痛いっていう返事。
私は今度は父の足腰に対してセラピーを行った。
どう?って聞いたら、足腰は少し調子が良くなったという返事だった。
やっぱりこのセラピー、効果あるんだ。って思った。
歩いていると、今度は肺が苦しいと訴える父。
タバコをやめて何年も経つけど、年齢とともに、肺の機能も衰えるのだろう。
今度は、父に、肺の苦しさが軽くなるセラピーをした。
すると、父が急に元気になり、スタスタと軽い足取りで歩き始め、先頭を元気に歩き始めた。
これには驚いて笑ってしまった。
このセラピー、本当に効くんだな、って実感しました。
半信半疑でごめんなさい。
そして、様々な症状に対し、素早く質問に回答し、返信を下さった津田先生に感謝しました。
両親の足腰の不安や、肺の苦しさを、セラピーで緩和しながら歩く熊野古道は、本当にいい思い出になりました。
両親に対する思いは、色々複雑な感情がまだ出てくることがあります。
だけど、私も少しずつ浄化しながら、両親が生きているうちに出来ることはしていきたい。
セラピーの力も借りながら、少しでも、私の人生の中で、両親といい思い出ができたことに感謝しました。
これから老いていく両親。
寿命には抗えないと思う。
だけど、私にセラピーの技術があれば、何かあったときにも使える。
父母には、困った時や、痛いときはいつでも連絡してねと伝えてある。
こんなふうに、困ったときは頼ってね、って両親に言えるようになったのは、私にとっては大きな成長だと感じている。
このセラピー、本当に大丈夫?!って思って後悔したけど、すぐに効果を感じることができて、感謝に変化した話でした。
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