何者でもない自分。
少し、職業とか自分が何者であることでの悩みやストレスから少し離れたい時。
自分は誰なんだろう?どうしたいんだろう?と考える前に、1人の人間として、ただ空を眺めてみたり、海風に当たってみたり、土に触れてみたり。
「この地球に1人の生物として存在する。1人の自分。」
ただそれだけの事でいいような気がする。
誰かのお母さんであったり、誰かの家族であったり、誰かの為に、お金の為に、生活の為に、そんな風に自分が何者である事で疲れてしまうことはあります。
人間社会はいつからかお金に支配されて、生活に支配されて、人との繋がりの中で疲れる事が多くなってしまった。
私も芸術家として、もっと有名になりたい良い作品が作りたいと、
でも、良い作品って何?有名になってどうなりたいの?と自分に問いかけると、それは自己満足で自分の基準での良い作品、良い芸術家なのです。
それは日々更新されていくし、結果何が本当に良いのかも自分でもわかりません。だけど、よく言えばそれが成長であって進化の過程なのかもしれないと思っています。
時々、モヤモヤすることがあります。
自分が何者かでならないといけない衝動があったり、置き去りにされていくようなそんな寂しさとかもがきがあります。
でも、何者でなくても良いのです。
肩書きが必要なのではなくて大切なのは「個性」私はそう思っています。
私はただ何かを生み出すのが好きで、それを誰かに見せたいと思うし、
「良い作品ですね」「良い色ですね」とその人の価値観に繋がる瞬間が嬉しかったり、否定されることもありますが、自分の個性をどこまでも伸ばして生きたいと思っています。
好きなことって考えると難しいですが、出来る事、得意な事を考えると楽しくなりますね。
自分が何者かである前に、空を見上げてみたり、海風に当たってみたり、土に触れてみたり。当たり前にできることをただしてみるだけで、気持ちが晴れたり、無理に何者かである必要はなくて、たまには現実逃避して何者でもない自分を楽しんでも良いと思う。それか違う誰かの真似をしてみたり、たまには違うことをする時間も必要なんだなぁと思う私がいました。
この事を書く前に、よく「出来ることがあって良いね」と言われることがあり、
「私には何もないから」と言われたり、無理に探そうとすると難しくなってしまうけど、一緒に見つけてあげることは難しいけど、まっさらになったときに何か見えてくるような、それでもダメなら何もしなくて良いと、「暮らす」事を丁寧にしてみたりしていると自然と見えてくる自分らしさ。
言葉足らずな文になってしまいましたが、「大変な時に無理に何者かにならなくていいよ。」って事が言いたかっただけです。それは自分にも伝えたい言葉で、このnoteを通して自分に語りかけています。
ご愛読ありがとうございます^^
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