こどもとうみ「こどもたち」が主語の教育の世界を!
はじめまして!
2011年に認可外の幼稚園を始めてとにかく毎日外へ!警報が出ない限り、雨が降ったらカッパを着て、波が大きくてもそれを見に、海や山へ繰り出す保育を続けています。現在は、認可外の幼稚園、保育園、オルタナティブの小学校を運営しています。
何年この仕事をしてきても、向き合う子どもたちの一人ひとりは本当に当たり前に全員違うし、これまで多分2500人以上の子どもたちと出会いましたが、今もなお「こんなタイプの子は初めてだ!」と思う出会いが続いています。その度に、子どもたちは私に学びを与えてくれます。
だから飽きない。だから終わりがない。だからおもしろいのです。
「こどもとうみ」の関係を書き綴りたいとこのnoteを始めましたが、まずはこの世界に入ってから、独立しようと思い、独立するに至るまでを書かせて頂きたいと思います。
歳をとっている分、新卒で勤めてから独立までの年月も長いので(笑)少しずつ書き足して行ければと思います。
そこには、幼児教育者としてスタートした未熟な私の成長過程と並行してそのずっと前から「海あそび」を続けている私があって今の状況があるからです。
20歳だった私が、初めて勤めた幼稚園は園児が460人もいるマンモス幼稚園。そこにおよそ11年勤めていました。笛を吹いて子どもたちを集めることも、全員一緒に同じ題材で同じものを作り上げる製作活動も、前へならえ!で真っ直ぐ並ばせることも、発表会に向けての練習をさせることも、、、、全く疑問を持たずに行なっていた最初の3年くらいがありました。それでも子どもたちとの毎日が楽しくて、こんなに楽しいのにお給料まで頂けるとは、なんてシアワセな仕事なんだ!!!と心の底から思っていました。
転機は幼保小の連携会に出席したことからでした。全く疑問を持たずに精一杯目の前の子どもたちの為に仕事をして満足していた私が、初めて他の保育園や幼稚園の取り組みに対して、真剣に目を向けて、耳を傾ける機会を持ち、「あれ?」と疑問を持った瞬間でした。
その疑問はその頃うっすらと自分の中にあった違和感と一致しました。その違和感とは、私のクラスの子どもたちは「ちゃんとしている」けれど今ひとつ活きが良くない(笑)でも、隣の若い先生のクラスの子どもたちは「ちゃんとしていない」けれど活きがいい。何故なんだろう?どっちが子どもたちにとっては楽しんだろう?とモヤモヤしていたことでした。
子どもたちの為に良かれと思って「私が」していたことは、「私が」子どもたちの為に勝手に判断して思い込んでやっていたことなの??子どもたちはどう思っているんだろう?という不安が生まれました。子どもたちと信頼関係が築けていると信じていたし、子どもたちの意見もちゃんと聞いている!と思っていたのに。
そして「ちゃんとしている」とは誰にとってなのか??という疑問も生まれてきました。
他の園を見て知った、「子どもたちの気持ちの汲み取り方」と私のやってきたことの違いを感じてから、全ての見方を変える必要があると気づきました。が、それはとても難しく、なかなか変えることは出来ませんでした。
なぜなら結局、主語が「私」だったのです。「子どもたちが」やりたいことをやっている風でも、「私が」数ある選択肢の中から選んでしまっていたからです。だって、発表会には1クラスの持ち時間が決まっているし、だって、運動会で年長児は「さすが年長さん」と言われるものにしなければいけないし、、、、と「大人」が主語で考える事柄に縛られていたからです。
ここに気づいてからは自分へ、そして園への挑戦の日々が始まるのでした。
主語は「こどもたち」だって主役は大人ではないのだから。