食べるだけでも社会と繋がっているなぁ
休日はほぼ家から出ません。
週に一度のお買い物で一週間分の食料を買います。
それ以外は予定がなければずっと家に居ます。
正真正銘インドア派です。
特別に本を読むわけでも、映画をみるわけでもないのに、なんとなく家にいたら1日が過ぎています。
別に困ったことはありません。
夫がいるし、たまに行くお買い物が楽しく感じるので満足しています。
そんな生活を送っているためか、食事が娯楽になってきました。
一般的な30代女の娯楽といえば、ショッピングでしょうか?
確かに、ショッピングは楽しいですよね。
流行のファッションやメイクをみたり、美味しいランチをするのって楽しいですもん。
でも私が住む長野の町にはそうゆう場所は少ないんです。
だから食事が唯一の娯楽。
あでも、食事といってもこだわりはありません。
その時の自分が食べたいものを食べるのみです。
栄養とかダイエットとかそうゆうのは考えてません。
小麦粉、炭水化物、砂糖などバンバン食べてます。
私は今年37歳になりました。
100年後には137歳になります。
100年後にはどうなっているか分かりませんが、今の常識で考えると137歳になるまでには死んでると思います。
そう考えると、この身体でかおりとして生きれるのも100年を切っていることになります。
死んだ後はどうなるか分かりませんが、恐らく幽霊になってその辺をうろうろ彷徨うのでしょう。
身体を無くした幽霊かおりは、長野で森林浴をしているかもしれないし、ディズニーランドでジェットコースターに乗っているかもしれません。
幽霊かおりが何をしたいのか分かりませんが、今わかっているのは幽霊になったら食事を摂れなくなるということ。
「かき氷って食べたら頭キーンてなるよね」
「疲れた時のチョコレートって最高よね」
「コーラはやっぱりコカコーラよな」
幽霊かおりは他の人が美味しく食べているのを、眺めるしかできなくなるのです。
「マクドの新商品気になるなぁ」
メニューを見て列に並びワクワクしている幽霊かおり。
「テリヤキバーガーの進化系?!めっちゃ気になるやん。食べたいわ〜。でも、前にテリヤキ食べたの120年前やから味全然覚えてへんなぁ…」
死ぬまでにもっとテリヤキバーガー食べとけばよかったなぁ。
そんなことを思いそうです。
話は変わりますが、とある方が目に見えない愛情はみんな受け取っている、というお話をされていました。
「大好きだよ」
「おはよう」
「おやすみ」
そんな聞こえる愛情や、目に見える愛情以外にも、目に見えない愛情は受け取っていると言うのです。
それは、誰かが作った料理を食べている時。
知らない誰かが愛情を込めて作ったものを食べている時、と言うのです。
言われてみれば、
コンビニのおにぎりも、誰かの愛情が込められています。
知らない運送業者が米を工場まで運び、知らない作業員がおにぎりを作る機械のスイッチを押しています。
知らないのり生産者ののりを巻き、知らない店員さんがコンビニで陳列してくれてます。
当たり前ですが、このうちの誰か一人でも欠けてたら私はコンビニのおにぎりを食べれません。
またこれも当たり前ですが、農家さんなど生産者の方は愛情を持って育てているはずです。
「美味しくなるといいなぁ」
そう思いながら育ててくれたはずです。
そう考えると、コンビニのおにぎりも目に見えにくい愛情の一つかもしれません。
でも、何もかもうまくいってなくて「人生どうしよう…」と悩みまくっている時。
家には自分一人しかいなくて電気もつけず真っ暗な部屋で、泣きながら食べるコンビニのおにぎりを見て
「私はいま目に見えない愛情を受けているんだ!ラッキー」
とは、思えなさそうです。
真っ暗な時って自分でさえも見えないですからね。
だから心身が平常な時に、いろんな角度の意見や知識を蓄えるのが大事なんだなぁと思いました。
藤田田さんへや米農家さんたちへの感謝は、気持ちにゆとりがあるうちにリスペクトを募らせるのです。
知らない誰かの愛情を十分に受け取ったな。
そう思えたら次は、知っている誰かの愛情をもらいたくなると思います。
それは母親の料理かもしれないし、夫や友人の料理かもしれません。
顔馴染みのお店の料理かもしれないし、自分のために作った料理かもしれません。
何を食べたいかは人によると思いますが、精神が正常であれば愛情があるものを選択していけるはず。
コンビニ食は栄養素のバランスが…とか、カロリーとりずぎ…とかそうゆうのじゃなくて、もっと根本的なやつです。
そうゆう選択ができたらいいですよね。
お察しの通り、本能に忠実な私の食生活はだいぶ乱れています。
でもこの考えを盾に、食べたいものを楽しく食べれる権利を死ぬまで行使しようと思っています。