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なぜ日本では未だに女性が物扱いされ、そういう意見が減らないのか?


マインドコーチ䅈泉寺です。

今日は、トランプ大統領の就任式です。
彼は、アメリカのDiversity Inclusion(多様性の包括)を遅らせるのではないかと言われていますが、それは一旦置いておいて、最近個人的に長年感じていたジェンダー問題の疑問や理不尽さが日本も水面浮上して来ている感じがします。

まず質問です。(主にパパ達)
「もし自分の娘が入った会社で外見だけ重視された物の様な扱いを受けていたらどう思いますか?」

自分の娘も「男におんぶに抱っこでいい。」なんて言ってたらどう思いますか?

過去は過去。これからどうするか?

このブログでは、その背景と解決のための視点を探ります。
でも固い事じゃないんです。

例えば、電気屋さんに修理の電話入れる時女性より男性の方が真剣に受けとられたり、会社でも「事務」は何となく女性の求人だったり、と身近な話でもあります。




1. 歴史的背景:女性の位置づけの問題


一応さらっと振り返りますと、日本の歴史を振り返る際女性は長い間、家族や社会の「役割」を果たす存在として扱われてきました。

私も好きでよく見るネパールのグルン族に嫁がれた #グルンこのみ さんの動画を見ていて興味深かったのですが、長男のお嫁さんはお姑さん達の面倒を見るのは当然の風潮が残っている様です。息子さんも手伝われるでしょうが、家事などは「嫁」に重きが置かれている印象です。(調べるとこれは、健康保険、介護保険などの社会保障が薄い国に多く見られる現象の様です。)

でも、日本も戦後くらいまではそういう価値観バリバリ残っていましたし、田舎に行けば男は動かず女や子供だけ行事の時動くのはまだある様な気がします。

封建社会においては、女性は「家を守る者」「家系を繋ぐ者」としての価値が重視され、それ以外の個性や能力は抑圧される傾向がありました。

この価値観は、戦後の高度経済成長期にも形を変えて引き継がれ、「良妻賢母」という理想像のもと、女性が家庭を支えることが当然視されてきました。

しかし、現代社会においても、この古い価値観の残骸が根強く存在します。

例えば、職場での性別役割分担や、女性のリーダーシップが生理やpmsなどで揶揄われたり、軽視される風潮などです。こうした歴史的背景が、女性を個人ではなく「役割を果たす物」として扱う風潮の土台となっています。

2. メディアとエンターテインメントが作る「女性像」


フジテレビのアナウンサーに対する告発にも見られるように、メディア業界では未だに女性が「見た目」や「サービス精神」に過剰に依存して評価されるケースが多いです。


日本のテレビ番組や広告は、女性を商品化するような表現をしばしば用います。「アイドル文化」や「萌え文化」もその一例で、これらは女性を消費する対象として描き続けてきました。

大学の時こんな風潮なかったですか?
「女の子で50kg以上ってありえないよな。」とか「やっぱ料理のうまい人と付き合いたい。」とかいう友達。(男) じゃあ、自分の体重どうなのさ?そしてあんたも料理できんのか?って事です。


この問題について考える際に、ハーバード大学精神科准教授の内田舞先生の意見は非常に参考になりました。内田先生も指摘しているように、メディアが発信する女性像が社会に大きな影響を与えています。

美しさや若さが女性の価値と結びつけられ、「消費される存在」としての役割が強調されてきた結果、女性自身が自己価値を見失うことにも繋がっています。昨今のメイクや整形トレンドも、結局自身を商品化している一部なのでは?と思う事もあります。


3. 男性中心社会が「決める」価値基準


問題の根底には、男性中心社会の構造が存在します。

こうした社会構造の中で、自分が優位に立てる立場に甘んじる男性が、女性を軽視する態度を取ることが少なくありません。

さらに、このような男性が「カリスマ性」や「支配力」として評価される風潮も問題です。

一部の男性が女性を物扱いするような発言をしても、それが「強い意見」「自信がある」としてもてはやされるケースがあります。

これは、社会がいまだに男性の支配的な態度を「リーダーシップ」として誤解しているからです。

例えば、ホリエモンの出ている番組。
頭のいい若い大学生の女子が一人だけおじさんに囲まれている画面をたまに見ると違和感しかありません。画面が華やかになるとでも思っているのかバランスを中和する存在としていらっしゃる様に見えるのは私だけでしょうか?

4. 社会の無意識的な共犯関係


女性を物扱いする文化は、男性だけでなく、社会全体の無意識的な共犯関係によって支えられています。

多くの女性自身も、これまでの文化や教育の影響で「男性に従うべき」「自己主張を控えるべき」「結局体力もないから3歩下がって歩くべき」という考え方に縛られています。

このような自己認識が、性差別を助長する温床となる場合があります。

また、職場や家庭での「空気を読む文化」も問題です。

不適切な発言や行動に対して声を上げることがタブー視され、「波風を立てない」ことが優先される結果、差別的な態度が許容されてしまいます。

5. 内田舞先生の指摘:構造的な問題への気づき


内田舞先生は、日本の女性が「声を上げること」の重要性を強調しています。社会構造そのものが女性を物扱いする環境を作り出している以上、その構造を変えるには女性自身が行動を起こし、声を上げることが必要です。

彼女の意見は、多くの女性が「変化を起こす主体」として自己認識を深めるきっかけを与えてくれます。

また、男性自身もこの問題の解決に積極的に関与する必要があります。男性がこの問題を「他人事」と捉えるのではなく、自身の特権を認識し、それを手放す努力をすることが求められます。

6. 解決のために必要な視点



1. 教育の改革:

子どもの頃から、性別による役割分担や固定観念を排除する教育を行うことが重要です。

2. メディアの責任:
女性を物扱いするような表現を減らし、多様な女性像を描く努力が必要です。

3. 職場環境の改善:
女性がリーダーシップを発揮しやすい環境を整え、男女平等を実現するための制度改革が求められます。

4. 男性の意識改革:
男性が自身の特権や性差別的な態度に気づき、それを改めることが必要です。

まとめ


日本で女性が未だに物扱いされ、そして女性軽視の発言をする男性がもてはやされる背景には、歴史的な価値観の残存、メディアの影響、男性中心社会の構造が深く関わっています。

この問題を解決するためには、女性自身が声を上げるだけでなく、社会全体が性別に関する意識を改め、行動を変えていく必要があります。

簡単です。もう一度パパ達、考えて下さい。

「もし自分の娘が物の様な扱いを受けていたらどう思いますか?」「自分の娘も男におんぶに抱っこでいい。」なんて言ってたらどう思いますか?

簡単な道のりではありませんが、確実に価値のある挑戦です。

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