Kaori

福岡に住むフォトグラファー ポートレートを中心に、 自然な素顔の写真をお渡しします 撮影依頼はInstagreamメッセージまで →http://www.instagram.com/kaoriitos

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精神疾患(こころとあたまの病気)を抱えて、毎日がんばっているみなさん。 私も双極性障害と拒食症を抱えています。 時に歩けないほどの不安に襲われる時もあれば、 薬を何錠飲んでも眠れない日々。 それでも私たちはちゃんとつながっています。蒼い大きな空の下。 大雨の日もそう、雪が舞う日もそう、 空はちゃんと繋がっています。あなたと繋がっています。 そんな毎日の空の写真を上げて、一人じゃないってこと知ってほしいです。 そして病状は皆それぞれ違うから、 この場所でたくさん友達、仲間を作っていって、 一人じゃないんだってこと、感じてもらえたら嬉しいです。 だから「ここ(こころ)あた(温かい)部」と名付けました。 みなさんとお話できるのを楽しみにしています!

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拒食脳と許可食③

拒食症の人には、許可食というものがあります。 普段必死にカロリーを計算し、 ふるいにかけられ、許可されなかった食べ物は、他の誰かの器に盛られて。 わたしは芋類もダメだから、じゃがいもが食べられないので、 わたしの肉じゃがは、ただの「肉」(とにんじんとしらたきと、玉ねぎ)です。 揚げ物なんて、もってのほか。カツ丼とか最強です。 でもお酒は飲むし、おつまみ分のカロリーはちゃんと計算して、 夜ご飯を食べるし。そんな生活が2年ほど続きました。 でもそんな食生活していても、これだけ

    • 拒食脳②

      拒食症が世界的に難病だと言われてもおかしくない病気だとご存知の方は どれくらいいるのだろうか。 わたしの場合自分のあまりに感情を抑え込んできて、感情が理性と切り離されている状態で、それが摂食障害の症状のひとつなのです。 そのため自分の感情が分からなくなることがあり、自分の感情を言語化するために 今この文章を書いています。 私の場合「分からない」がとにかく口癖で、 自分の気持ちとか、こうしたいという希望とか、どうしてそう思うのか、あらゆるところが一定のところまで来ると、考え

      • 拒食脳①

        拒食症ってどんな病気のイメージをお持ちでしょうか?? まず摂食障害という病気があり、拒食症、過食症の2種類があります。 そしてそれぞれ嘔吐か非嘔吐かに分かれます。 わたしは非嘔吐型の拒食症で、人によっては両方持っている人もいます。 拒食症は神経性痩せ症とも言われたりします。 拒食症の症状としては、食べる量が減る、カロリーの低い食品を好み、 特定の食べ物(例:炭水化物、揚げ物など)を口にしない、厳密にカロリー計算する(買う時、食べる時)、過活動(例えば1日に何万歩も歩く)生

        • 拒食症とカロリー脳

          初通院からはカロリー脳との戦いでした。 1缶200キロカロリーの栄養剤、1日一本24缶段ボールで処方されました。 拒食症の治療や人や何かの事情で栄養が食べ物から取れない人向けの、栄養剤のジュースみたいなものです。 味が何種類かあるのですが、まずいって言う人が多く、 でもわたしはあまりそうは思わなかったです。たぶん分かる人にはわかります笑 そして、200キロカロリー?? その時のわたしが飲めるわけもなく。母親が何缶かまとめて冷蔵庫に入れてくれたのですが、200キロカロリー

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        記事

          実家に戻ってから

          帰ってからは、今までのストレスから何かの糸がぷつんと切れたように、 ぱたぱたと体調不良の扉を開け続けました。 ご飯も食べれず、痩せていく一方で、 でもそれはそれでどこか嬉しい気持ちもしていて。 でもあまりに物が食べれなさ過ぎて、 症状も自律神経失調症と似ていたので、 何となくの勘で、これは普通の内科を受診するやつじゃない、心療内科だ、と思い、 妹が通っていた心療内科に 「食べるのが怖いんです」 って電話をし、めったに先生が取ることのない外線電話を取ってくれて、 その日の

          実家に戻ってから

          仕事を辞めたこと、アルコールのこと

          仕事を辞め、ヨガの練習は続けてましたが、でも体重は減っていく一方で、 それがとても嬉しくて嬉しくて、 同じヨガに通っている子やスタジオの受付の人にも、 「最近痩せた?大丈夫??」 って行くたびに言われていて、実際は体重は減る一方だったのに、 そんなことないよと言い続けてひた隠しにしていました。 そのうち鎖骨や肋骨がはっきり分かるようになり、食べるカロリー数は減るけど、摂取アルコール数は増えるのが止まらず、眠れない夜も相変わらず多くて。 お金もなかったというのもありましたが

          仕事を辞めたこと、アルコールのこと

          準社員になってから〜拒食症と適応障害の始まり③

          新しい職場は飛び交う英単語が難しくて、 散々手こずる毎日でした。 でもそのおかげでTOEICも自己最高得点が取れたし、頑張った甲斐があったなぁと思っていました。 仕事は2人で一つの仕事を分担する形で行っていたのですが、私が仕事に慣れる前に相方の方がなんだか逃げるように辞めていき、代わりに入ってきた新人さんと仕事をするようになりました。 最初のうちは慣れないから仕方ないなと思っていたのですが、その子は1か月、2か月経っても全然仕事が覚えられなくて。 要は要領が悪いのと、効率

          準社員になってから〜拒食症と適応障害の始まり③

          準社員になってから〜拒食症と適応障害の始まり②

          初めて行った心療内科は普通の病院みたいで、 とても優しい先生で、症状やこれまでの生い立ち、 家族構成や今の仕事のことなどを聞かれました。 眠れなかったので、睡眠薬と後何種類かの薬をもらい、 結局何の病気か病名は教えられないまま、半年ほど通いました。 その後別の病院に転院した時、診断名が適応障害だったことを知りました。 処方されていた薬もかなり依存性があることを後から知り、 減薬期間もなく、スパッと薬の処方がなくなったことが危険なことだった、 と知った時はその病院に通い続けた期

          準社員になってから〜拒食症と適応障害の始まり②

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          1/100人のそれぞれの想い

          1/100人のそれぞれの想い

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          準社員になってから〜拒食症と適応障害の始まり①

          準社員になってからは、一気に仕事の量が増えました。 通常業務に加え、新人教育、ホスピタリティの教育のためのプレゼンなど、 それまではほぼ毎日定時で帰っていたのに、残業は当たり前。 残業申請すらできず、ただ働きするのもよくあることになっていきました。 相変わらず退職者が減り続けるのは止まらず、通常業務は増えていく一方で、 準社員に与えられる仕事も増えていくし、 この頃から休日や休日前に飲む缶酎ハイの度数がだんだん増えていっていることに気がつきました。 そして昔から、下の妹が

          準社員になってから〜拒食症と適応障害の始まり①

          卒業後から社会人になるまで

          無事大学を卒業して、就職先も決まらないまま実家に戻った私は 相も変わらずエントリーシートは書くけれど、 もう就職したくないやという気持ちの方が強くなってしまい、 就職氷河期の終わりかけで求人がなかったという言い訳を見つけ、 ダラダラ過ごす日々が続きました。 当時はなぜこんなに丹精込めて書いたエントリーシートが通らないのか、 企業は何を思ってお祈りメールを送ってくるのか、 そんなこと祈るくらいなら他の就職先教えてよ、 って半分いじけて、半分自分を責める時間が続きました。 卒業し

          卒業後から社会人になるまで

          就活の始まり

          当時大学3年生の後期になると徐々に就活が始まり、 たくさんの企業が集まるセミナーや、エントリーシートの書き方講座とか、同学年の皆がざわざしだすなか、 わたしはこの先何がしたいのか分からず、 とりあえず学んできた英語を活かした仕事がしたいと思い、 エントリーシートも何枚も書き、一次試験で落とされる日々が幾度となく続きました。お祈りメールも何通も何通も届きました。 そういえば広告関係も面白そうだ、と思ったらもうすでにエントリーシートの受付が終わっていたり、 もう興味の持った会社の

          就活の始まり

          夏休みが終わって

          お父さんが命の代わりに残してくれたもののおかげで、私は大学を辞めずに済み、 また勉強を続けることができました。 小さくなった車は、家に置いていても定期的に動かすことができないので、 私が乗ることとなり、一緒に実家から一人暮らしの家に持って帰ってきました。 大学のキャンパスが田舎にあったので、原付で通ってくる人が多く、 入学前に父はなぜだか原付を買うことを強く勧めていて、それまで原付で通っていました。 そして3年生になると車通学が認められていたので、ちょうど3年生だった私は、

          夏休みが終わって

          Episode8 父の死がくれたもの

          お葬式に行く前、隣の葬式場の建物まで歩いて行く途中、 ふと空を見上げると真っ青で雲一つない夏空が広がっていて。 大事な人が、人一人亡くなっているというのに、 世界はそれにも目もくれず、 何も無かったかのように、誰も知らなかったように、 昨日までの日々と何ら変わらないのが、悔しくて悔しくて。 考えれば全部がたられば論で片付いてしまうのかと思うと、 もう手駒のない私はただただ無力感を感じざるを得ませんでした。 大学の先生には事情を話して、何とか単位をもらい、無事夏休みに入りまし

          Episode8 父の死がくれたもの

          Episode7 父のこと

          父はとにかく休みの日はとことん遊び尽くす人でした。 朝一はジョギングして、 車が好きだったので、毎週絶対欠かさず土曜の朝は団地の駐車場で洗車して、 (団地の中では洗車のお父さんで有名でした) そのあとゴルフの打ちっぱなしに行ったり。 あとキャンプと温泉がとにかく好きで、 毎週のように温泉付きのキャンプ場を探してきては連れて行かれ、 わたしはそれが嫌で嫌で、当時のキャンプに行った写真を見ると、全部わたしは不機嫌な顔をしています。笑 お酒も大好きで、許されるならずーっとビー

          Episode7 父のこと

          Episode6 大学時代〜社会人時代 生と死⑤

          どこから聞いたのか、 家に着いてからは近所の人から学校の先生まで、たくさんの方が焼香に来てくれて、 皆口々に、あんなにパワフルな人だったのに早すぎる死だよ、と言い、 大学で一人暮らしのわたしと、単身赴任が長くなっていた残りの家族は、もう父がいない生活に慣れてしまっていたので、 実感なんてものは全くありませんでした。 母は必要な手続きや、父の単身赴任先の家の引き払いとか、 とにかく落ち着く暇もなく、手伝いに来てくれていた叔母とバタバタとして休みない日々で、 これからどうやって

          Episode6 大学時代〜社会人時代 生と死⑤