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岩合光昭さんの「Pantanal」という個展に足を運んで思ったこと。

岩合さんの写真を見ていて思ったことは、美しい「光」を捉える位置で待ち構えていて、動物の動きという「その瞬間を待っている」のだろうと思ったのだ。

文面だけを読むと、「そんなこと誰でも出来るよ!」と思うかもしれない。
けれど、この美しい「光」を捉えれる能力は、とても稀な能力であり、ボクもこれまで生きてきた人生の中で、それを感覚で感じ取れている人は一人だけである。

一人だけとは言ったが、ボク自身の感覚の感度が向上してきたのも、ここ4〜5年といったところなので、それまでに複数人と出会っていたのかもしれないが、それ以前のボクではその能力に気づけなかったことだろうから、今のところ理解しているのは一人だけになると言う意味である。

そして、その「美しい光」がカメラに入る位置で待っているためには、「美しい光」の色彩を自身の感覚で感じ取れていることが前提となっている技術であることに気づいてもらいたい。
するとその条件は、かなり限られてくるものなのだ。

そして、「美しい光」の色とは、天体が絡んでいる。
太陽と月の位置、その「美しい光」に対してのカメラを向ける角度やその位置、そして「物質の色」と光がその物質に当たり「反射する色」が関係している。
これらのことは当たり前のことかもしれないが、それを実際に感覚で感じられている人は希少だからこそ、そういう「美しい光の色彩」を表現できる人も希少なのだと思っている。
そして、「物質の色」と「光の反射の色」という、複雑な「美しい光の色彩」と動物の「生」という、圧倒的な「美」と「生」をその一瞬に閉じ込めているからこそ、心に響くものがあるのだとボクはそう思ったのです。

そして、それらの光の色彩は経験上で述べるのだが、2つの「光の色彩」を同時に見ることは出来ない。ゆえに、感覚を切り替えることから両者の光の色彩を感じられる能力が必要となっている。
天性のものであるのか、それともボクのようにトレーニングで身につけたものなのかは定かではないが、それを写真の中に閉じ込めていることは確かなことなのだ。

ボクは、香り情報の色彩を感じられるようになったことで、2つの光の色彩の存在に気づいたことから、意識して「物質の色」と「光の反射の色」とを意識して感じられる感覚を身に付けたことから感じられるようになったスキルなのだ。

だからこそ、写真の中でそれらの表現をしていることが理解でき、「圧倒的な美しさ」を背景に、「動物たちの息づかいの一瞬」という2つの素晴らしさが同時に一つの作品の中に存在しているからこそ、見る側に訴えかけるチカラが圧倒的な存在感となるのだと思ったのだ。

モノづくりの人間の一人としては、その意識から創作をすることで、より感動できるモノが生まれる要素の取り組み方を教えてくれていたと思っている。



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