キカン誌『霞と息』参加者募集【文フリ東京38】
こんにちは、橘です。
弊サークルのキカン誌『霞と息』を、5月の文フリ東京で創刊する予定です。つきましては参加者を広く募ります。 コンセプトは「始めるための、そして続けるための場」。今まで創作活動に触れたことのない人でも、経験のある人でも誰でも歓迎です。
参加希望、あるいはご質問などありましたら気軽にご連絡くださいませ。
以下、要項と企画書を示します。PDF版はこちら→要項 企画書
【要項】
5月19日開催の文学フリマ東京38にて頒布予定の、弊サークル「キカン」誌『霞と息』創刊号の参加者を募集しております。ご参加希望の方は、下記の1〜5の要項に目を通して頂き、Twitter(現X)(@seiko__sya / @kaori_t_litera)、あるいはメール(seiko.sya820@gmail.com)にてご連絡くださいませ。その際、次の項目を合わせてご回答いただけると幸いです。
①参加予定の項目(下記A〜F)
②現時点で文字数予定(未定であれば未記入で構いません)
③献本のお渡し方法(文フリ会場or郵送。未定であれば未記入で構いません)
④(2024/03/07追記)メールアドレス(参加連絡をいただいた後は、Googleグループのメールアドレスで連絡をいたします)。
【1、募集内容】
募集するのは以下の6項目になります。
●A:巻頭カラー(イラスト、写真作品)
巻頭の8ページ前後は、カラーページにしたいと考えています。イラスト作品や写真作品などを想定しています。8ページ全部1人の作品というわけではないので、2ページ分だけといったパターンでも構いません。詳細はご相談くださいませ。なお以下のB・C・Dの項目でもイラスト作品や写真作品を掲載することは可能ですが、その際はモノクロ印刷になりますことをご了承ください。
●B:特集
毎号特集を組んで、一つにテーマに対して様々な方に作品を書いてもらいたいと思っています。今号の特集テーマは「はじまり」「きっかけ」になります。詳細は次節をご確認ください。
B-1:「自分の趣味・専攻などに興味を持ったはじまり、きっかけ」
B-2:「はじまり」「きっかけ」をキーワードにした創作作品
●C:フリーの作品
特にテーマを定めない作品になります。小説・詩・短歌・論文・エッセイ・漫画……ジャンルも体裁も何も問わないので、この項が一番自由にお書きいただけると思います。詳細は別紙企画書をご覧くださいませ。
●D:連載
私が個人的に連載してみたいコーナーの企画があるのですが、また、別途継続して執筆したいという希望の方にも連載コーナーを設けます。連載小説でも構いませんし、例えばお便りコーナーや相談コーナー、毎号違うテーマを独自に設けて書くといった形でも大丈夫です。詳細はご相談くださいませ。
●E:書評、雑文、コラム
簡単な書評や、作品未満のちょっとした雑文、コラムを雑誌後半に掲載予定です。最近読んだ本や昔の思い出の本の書評、あるいは本に限らず漫画や映画、音楽のレビュー・感想でもOKです。また、作品に仕上がるほどではないが、最近感じたこと考えたことなどを綴った雑文も募っています。Twitter(現X)のつぶやきの延長的な存在と捉えてください。
●F:広告
より「雑誌」らしさを演出するために、広告も募集致します。文フリの出店情報や、普段の活動など、広告したいことがあれば何でも構いません。広告費などは発生しません。詳細はご相談くださいませ。
【2、特集テーマ】「はじまり」
創刊号の特集テーマは「はじまり」になります。
別紙のキカン誌企画書にも書きましたが、本誌のコンセプトは「創作を始める/続けるための〝きっかけ〟の場」です。その創刊号にふさわしいテーマを考えた時、そのままズバリ「はじまり」が良いのではないだろうかと思いました。今回は2種類の形式で応募いたします。
1つ目は、自身の体験に寄せて「はじまり」あるいは「きっかけ」について具体的に書いてもらう形式です。例えば、大学で西洋史を学んだ人に対して、なぜその西洋史を専攻しようと思ったかのきっかけについて書いてもらったり、趣味で着物を着る人に対して、ハマったきっかけを語ってもらったり。物事を始めるにはたいてい「きっかけ」というものがあります。その「きっかけ」について語ってもらうことで、はじめてそのジャンルに触れる人に魅力を感じてもらい、興味関心の輪を広げるのが目的になります。一緒に沼に嵌る人を増やしたいオタクにおすすめです。
2つ目は、「はじまり」「きっかけ」といった語をテーマにした自由な作品の形式です。1つ目とは違って、こちらはフィクションでもノンフィクションでも構いません。例えば、告白の「きっかけ」を得られない高校生を主人公とした恋愛小説や、伝説の勇者の「はじまり」の物語を描くファンタジー作品など、「はじまり」「きっかけ」のキーワードを広々と解釈してもらい、自由に作品を作っていただけると幸いです。
【3、体裁】
●書式:自由。但し、製本段階ではA5サイズ二段に組む予定です。特に指定がなければ、編集の都合で変更する可能性があります。詩や短歌など特定の体裁での掲載を希望の方は入稿の際に明記していただけると幸いです。
●フォント:自由。但し特に指定がなければ、編集の都合で変更の可能性があります。こちらも特定のフォントをご希望の方は入稿の際に明記くださいませ(有料フォントなど一部対応できない可能性もございます。要相談)。
●原稿形式:word(文章作品)、png/jpeg(画像作品)。その他の形式は要相談。
●文字数:上限2万字程度。下限はありません。E:書評・雑文は、A5サイズ2ページほどを上限と考えています。それ以上の長さになるようであれば、Cの「フリーの作品」になります。また、2万字を超える作品はご相談くださいませ。
●入稿方法:ギガファイル便の予定。
(2024/03/07)追記
入稿方法はギガファイル便とGoogleドライブを利用した2つの方法のいずれかを選択していただく形式に変更しました。
【4、締切・日程等】
1月下旬〜:応募開始(原稿が締め切りに間に合えば、参加はいつでも可)
3月24日・31日:参加者による合評会(両日とも14時から)
4月14日:仮締切(基本的にこの日までに提出してくださると大変嬉しい)4月28日:本締め切り(この日までに入稿いただかないと大変なことになる)
5月5日頃:印刷所に入稿予定
届き次第:献本の送付
5月19日:文学フリマ東京38出店
(12月1日文学フリマ39出店、キカン誌第2号発刊、以降定期刊行予定)
【5、備考】
・便宜上A〜Fに分類しましたが、複数項目に参加したい方は大歓迎ですので、ぜひお申し出ください。
・参加いただきましたら、献本1冊を謹呈致します。5月19日当日会場にお越しの予定の方は、その場でお渡しさせていただきます。当日お越しになるのが難しい方は、郵送させていただきます。郵送の際住所・名前を把握させていただきますので、ご了承ください。
・参加費や献本送付の際の送料など、執筆者負担の費用は一切ございません。文学フリマの東京会場は今回から入場料が発生するようですが、そちらも弊サークルで負担致します。
・頂いた原稿は基本的にそのままの文面で掲載致します(上記の通り一部体裁・フォントの変更の可能性あり)が、明らかな誤字脱字が認められた場合、執筆者にご連絡して訂正していただくことがあります。
・今後の参加者との連絡はGoogleグループのメーリングリストを使用しようと考えています。詳細が決定し次第、ご連絡いただいた媒体でご連絡致します。
・作成された作品の著作権は全て作成者の皆様にありますが、本冊子の独自性の担保のために、本冊子発行後1年間は他媒体での掲載をお控えいただけると幸いです(改稿作も含む)。1年後以降は、個人の同人誌・各種SNSでの掲載、文学賞への投稿をしていただいて構いません。
・本冊子は基本的に紙媒体のみを想定していますが、今後の運営方針によって電子版も作成する可能性があります。その際にはご確認ご許可の連絡を致します。
* * *
その他、何か疑問点、質問がございましたら、遠慮なくご連絡ください。私自身、このような複数人で作品を作り上げるような経験が乏しいので、何かとご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、何卒ご協力のほど宜しくお願い致します。
【企画書(的な雑感の文章)】
0、なぜ「キカン」誌を創刊するのか
まずは、なぜ「キカン」誌を出版するのか、という起点から述べたい。
「キカン」誌を出版したいと明確に考え始めたのは、二〇二三年の文学フリマ東京36終了後であったと思う。振り返りのnoteの記事を書きながら、今後の活動の方針を考えた時に、一人でずっとやっていくことに一抹の不安を覚えた。
自分は基本的に全部一人で完結する作業が好きだ。別に協力する作業が全くできないわけではないが、作業が自分の考える通りに進行しないのがあまり好きでないので、大抵は一人で物事を進めてたいと思っている。
ただ、殊に「創作」関係においては、一人で進めることがいかに大変か、二回の文フリ出店で痛感した。どんなに文学が独りであっても、文学活動は独りである必要はないのではないか、そう感じ始めた。「同人誌」という言葉の通り、同人を見つけて、一緒に活動していくのも魅力的な方法だろうと思ったのが、今回の発刊の動機の一つである。
二つ目は、創作する場のきっかけづくりである。これは、自分自身はもちろんのこと、他者に対してもそういった場になれたら良いと思っている。
自分は締切が無いといつまでも作業に取り掛かれない人間である。その上、締切のギリギリのギリまで粘ってしまうタイプなので、今まで何度も危ない橋を渡ってきた(文フリの入稿に始まり、卒論、修論の提出など)。今後も継続的に創作活動をしていくからには、明確な締切を設けないといつまで経っても書き上げられない危険性が十二分にある。さらに個人的な背景として、この春から社会人となり、どれほど創作のための時間が担保できるか、不明瞭で不安なところがある。そこで、強制的に書かなければならない状況を作るに、定期的な発行物があると公言する必要があるのである。
さらには、同じように締切がないと書けないタイプの人のための場としても活用してもらいたいと考えている。あるいは、なんとなく創作活動に興味はあるけれど、中々一歩を踏み出せないといった人の「きっかけ」の場にもしたい。始まりの、そして継続のための場所、それが今回目指す「キカン」誌の姿である。
1、「キカン」誌とは
ここまで「キカン」誌という呼称を使用してきた。私が定期的な発行物を創刊したい、と思った時、最初に脳内に浮かんだのは「機関誌」だった。だが、よくよく考えてみると、「キカン」という言葉には「季刊」もあれば、「基幹」もある。果たしてどれにしようかと思案したが、そもそも一意に定める必要があるのかという疑問が湧いて出た。むしろそうした複数の意味を響かせるために敢えて「キカン」の表記に留めるべきなのではないかと考えた。
例えば、「機関」と取れば、まさしく一般的な機関誌の意味になる。サークルとしての活動が盛んになれば、その報告の場となるし、そもそもサークルとして結束感が生じることにもつながる。
「基幹」とすれば、我々が創作していく上での基盤を成す存在としての意味が出てくる。「基幹」誌に携わりながらも、各人が単著を書いたり、その他の活動に従事したりしていってほしいと思う。また後述の「生きていく上での基幹」的な存在としての創作活動と位置づけられる。
「季刊」とすれば、発行ペースの指針となる。実際に走り出してみないことには、どのくらいの調子で「キカン」誌を書き続けられるかわからない。季刊、すなわり年四回のペースで発刊できればそれがベストだが、まずは春秋年二回ぐらいを目標にしようと思っている。
他にも、「器官(気管)」とすれば、息をして生きていく上で必須の存在としての文学の姿となるし(先の「基幹」と重なる部分も多い)、「亀鑑」とすれば、判断の基準・行動の指針たる、いわば果てしない創作活動の一里塚としての役割が見えてくる。
何人かで作り上げる冊子のことをアンソロジーと言ったり、同人の雑誌のことをZINEだとか、リトルプレスだとか言ったり、色々な呼び方があるようだが、今確認してきたように日本語の「キカン」が持つ多義性に遊びたいと思い、本サークルでは「キカン」誌と呼称するのである。
2、コンセプト①「霞」––不明瞭な行為––
では、今度は題号から「キカン」誌のコンセプトについて、説明したいと思う。
「霞(かすみ)」は、辞書的な定義からすれば「空気中に広がった微細な水滴やちりが原因で、空や遠景がぼんやりする現象」(『日本国語大辞典』)ぐらいの意味だが、そもそも「霞」の一字でその意味を表すのは日本独自の用法であり、漢字そのものの字義は「朝焼け・夕焼け」「なまめかしい・美しい」「はるか・遠い」などである。
「朝焼け・夕焼け」は、昼と夜の境目で、古来より特別な意味合いがあった。『君の名は。』の「かわたれどき(彼は誰時)」などがその好例だが、昼と夜のどちらでもなくてどちらでもある関係性は、数学的には積集合(A∩B)と類似するとも言えるだろう。サカナクションの山口一郎氏はこの積集合の関係を「気空域」とか「良い違和感」とかそういった言葉で表していたが、まさしく私が目指したい極致はそこにある。具体的に言えば、韻文と散文、小説と映画、あるいは小説と音楽など、様々なジャンル、思想と重なり合う作品づくりである。
また、美しいものというは、本来形のないものだと思っている。世に存在する「美しいもの」は、何か具体的な形を持っているけれど、それはあくまでたまたまその姿で発現したに過ぎない。不勉強で詳しくはわからないが、イデア論がこれに近いだろうか。とにかく、その目に見えない「美しさ」というものが、私の創作活動の一つのモチベーションとなっている。換言すれば、それは抽象概念としての「華」である。だからこそ、自分のペンネームを形のない「華」「かおり」としたところがある。
それらの理想は遥かに遠いものである。そうして遥かに大きいものである。例えるならば、旅人が長い道程をゆく時に、ふと見上げた先にそびえる高い山々のようである。遠い目標であるが、決してたどり着けないわけではない。霞のように実体のない不明瞭な行為、それが創作活動だと思う。
3、コンセプト②「息」––日常的な行為––
次に「息」という語である。「息」とは「生き」、すなわち生命活動に直結する行為である(『世界大百科事典』の「息」の項に「日本では息(いき)は〈生き〉と同根の語とされ,神(イザナギノミコト)の呼気が風神の生命を誕生せしめたなどの例はそのことを証している。」とある)。息を吸わねば生きていけないし、故に「息」とは普段(不断)の行為である。
創作行為とは、かように息を吸うように日常的な行為で、と同時に息を吸うように不可欠な行為ではないかと思う。いや、むしろ生きていくために必要な活動こそが創作行為そのものなのではないか。そんな気すらしている。
先に継続するための場所として「キカン」誌を位置づけたが、では、「なぜ創作活動を続けたいのか」と問われると、返答に窮してしまう。別段有名になりたいわけでも、百万部を売り上げたいわけでもない。それにネットで活動したり文フリなんかに参加したりすると、自分には才能がまるでないことをはっきりと突きつけられるし、続けることはむしろ苦行に近いとも言える。
だからこそ、創作行為とは生きることなのだと思う。どんな苦しいときでも、どんなに辛いときでも、生き続けるために、自分が自分であるために、書き続けなれけばならない。そこに上手いも下手もなく、才能も凡才もなく、若いも老いもなく、ただ、今この瞬間に息を吸うがごとく、筆を執る。
創作活動とは誰しもに潜在的にそして根元的に備わっているものだと、信じている。そこで、私はもっと色々な人に創作活動に触れてみてほしいと思っている。確かに文フリの出店者は年々増加傾向にあるが、それでも「文章を書く」行為はまだまだ一部の人の「趣味」に近い位置に甘んじているように思う。
一方で、日常を過ごす中で、文章を全く書かない職業というのも少数派な気がするし、小中高と国語の授業で短歌を作らされたりした経験を持つ人も多いと思う。また、あるいは大学時代にサークルや学科で文章を書く経験をふんだんに積んだにもかかわらず、今はそこから遠ざかっている人も多いだろう。
「継続」「きっかけ」の場とは、今まで全く創作の経験がない人にもっと気軽にもっと身近に感じてもらう場と、かつての経験があるけれど最近はめったにやらなくなってしまった人にもう一度取り組んでもらう場の、二種類がある。
書くことは、生きることであり、それをもっと多くの人に感じてほしい。大気中の酸素を吸って息をしなければ生きていけないように、我々は文学に囲まれ、文学に生かされているのだ。人が生きていく上での生命線たる「文学」を考えていく。そのための「旗艦」としての「キカン」誌の姿である。
4、どういう「キカン」誌にするのか
以上、「キカン」誌創刊に至った経緯から、その表記、そして題号に基づいたコンセプトについてまとめてきた。最後に具体的にどのような「キカン」誌にするのか、ざっくばらんに書き記しておく。
掲載する文章は、ジャンルに拘らずに様々な文章を載せていきたいと思っている。自分自身は小説と短歌が主な専門領域だが、そうすると偏ったジャンルの文章ばかりを目にしてしまうのでよろしくない。文フリのジャンル一覧を見ては毎度驚いているのだが、あの沢山のジャンルが全て載った冊子があったらさぞ面白いだろうなと思っている。だから、小説の長短はもちろんのこと、散文韻文の別、さらには文学的文章と論理的文章の別も問わない。なんなら、文章に留まらずイラストや写真、漫画といったものでも良い。ごちゃごちゃのちゃんこ鍋誌が目指したい一つの形である。
具体的な作品の形態で言えば以下のようなものを取り扱いと思っている。
短編小説(純文学・ミステリー・ファンタジーその他)、長編小説(長さによっては連載小説の形を取るかもしれないが)、詩、短歌、俳句、川柳、狂歌、研究論文、評論、批評、ルポ、ドキュメンタリー、エッセイ、コラム、イラスト、写真、漫画…………、一言で言えば、文学フリマのカテゴリーに記されているもの全般である。
ここでふと思うのが、そもそもジャンルを分けようとすること自体が間違っているのかもしれない、ということである。
自分の専門に近づけて言うならば、古典文学において、「日記文学」だとか「歌物語」だとかの境界が非常に曖昧である点に似ているのである。例えば、『和泉式部日記』は日記か歌物語か、『伊勢物語』は物語か日記か、はたまた歌集かといった色々な事例があるのだが、蓋し文学におけるジャンルはあくまでも読む側(殊に研究的な場においての)の都合であり、書く側が下手に気にするものではないのだろう。
故に、紙面上で表現できるものであるなら、何でもかんでも掲載していこうと思う。このような試みは私自身も初めてであるから、参加者の皆様にもぜひ実験的な試み・作品に挑戦していただきたい。
かくて、「キカン」誌創刊に当たって、5W1Hの形式を使って整理する。
・When:いつ→季刊を目指すが年二〜四回程度を目標に。
・Where:どこで→文フリ東京を中心に、地方開催の文フリ、またはコミケその他の即売会も視野に入れつつ。
・Who:だれが→誰でも。今まで創作の経験がなかった人にこそ、初めての挑戦の場として活用してもらいたい。もちろん現役で創作活動を継続している人にも、かつての経験がある人にも、老若男女あらゆる人に門戸は開かれている。
・What:何を→なんでも。自分が「創作」「文学」「作品」「表現」と信じるものであれば、どのような形態をとっても構わない。
・Why:なぜ→創作活動を続けるために。そして創作活動をはじめるために。
・How:どのように→「キカン」誌上を中心に。不定期に読書会・合評会なども開催したいと考えている。
* * *
なお、以上の言葉は、わたくし個人が「キカン」誌を創刊するにあたり、意識したことならびに意識していきたいと思ったことであり、参加していただく執筆者の方々に遵守していただきたいルールでは決してない、と断っておく。むしろ、参加者にはこうした問題をまるで埒外において自由闊達に気ままに執筆して頂きたいと願うばかりである。