小4って鬼門だったよ
小4って、
確かに子供だけどさ?
記憶は案外残るんだよ。
一生消えないよ、こういう不信感って。
あまり自分の幼い頃のことを
全部は語らない
でも1つだけ
「小4」という言葉で思い出したこと。
私は母子家庭だった。
私が子供の頃は、今ほど離婚家庭は少なかったし
時代が時代、
地域的にも穏やかなところじゃなかった。
卒業式前後は
覆面パトカーが町を走ってるし
中学の窓にガラスは入ってなかったし。
そんな頃。
例えば
小学校で給食費がなくなったとする。
子供達は並ばされて、先生に問われる。
中でも母子家庭の子供は尋問。
それが「当たり前」だった。
ある時、
私は当時の担任に
居残りを言い渡された。
宿題も全部提出、成績もよかった。
残される理由は思いつかない。
放課後、教室で先生とふたり。
いきなり私は先生に言われた。
「俺は、母子家庭は大嫌いや」
その言葉以降、何を言われたか
今となってはもう覚えていない。
たぶん帰宅後は泣いていたんじゃないかな。
そこから私の家族の行動は早く
即転校することが決まった。
小4ではよくわからなかったが
隣町のどこかにアパートを借りて
そこに引っ越したテイにして
別の校区の学校に通うことにしたみたい。
身体も弱くてもともと欠席も多かったし
大して友達もいなかった。
だから転校が嫌だとは全く思わなかった。
あんな先生から離れられるなら
なんでも良かった。
そのおかげかな
別に不登校にはならなかった。
まぁかなり斜に構えた
扱いにくい子供だっただろうとは思うけど。
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自分の長男が
小4で担任から目を付けられた時
その時期の偶然にひとりで震えた。
自分が引っ張ってきた業のようなものなのか
そんなことを思わなかったと言えばウソになる。
次男は小4をなんとか無事過ごした。
でも小5でいきなり学校に行けなくなった。
次男は昔から
発達過程が長男に比べ
半年~1年遅れる(長男が早すぎるから)
となると・・・小4がズレ込んだのか?
これも自分のせいなのかとも思った。
でも今は、さすがに思わないことにした。
思ったところで
自分でどうすることもできなかっただろうし
笑っている方が
よっぽど幸せだと思うから。
自分の出会ったあの先生に
なんの信頼もない。
でも自分の子供達が出会った先生方は
長男小4、次男小5の先生以外は
本当に心を配り
子供達に寄り添ってくださる先生方。
そこは本当に大きな感謝しかない。
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小4は、鬼門だった。
その時に負った傷は
大人からすると大したことないと
思うのかもしれないけれど
絶対そんなことないからね。
傷付いたインナーチャイルドが
癒される時がくるのかわからないけれど
その後をポジティブに過ごしているうちに
傷は目立たなくなる。
でもね、忘れることはないの。
子供達は成長過程で
その傷の上に新たなものを積み上げて
強くなっていこうとするだけ。
それを大人は忘れちゃいけないんだよ。
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少しだけ昔話をしました。
この記事が必要な方はあまりいないと思うけど、
最後の太字部分だけでも伝わるといいのかな。
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