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🌱子供が発する小さなSOS ー文字の書き方―

幼稚園の頃


長男は文字を覚えるのがめちゃくちゃ早かったのです。

言葉の発出も早く、2歳の時にはほぼペラペラ喋っていました。
ひらがな、カタカナ、アルファベットも早々に読めていました。

入園した幼稚園は、お勉強型の園でした。
(当時住んでいた家から近いことと、
延長保育があるという理由だけで決めた私は、
相当レアだったようだ💦)

フラッシュカードを使った漢字教育、
そろばん、英語、鍵盤ハーモニカ・・・
ついていけなくて途中で転園する子が毎年出るような園だったことを
のんきな私は後で知りました。

しかしもともと好奇心旺盛な長男は
この園がバッチリ合っていました。

誕生日会の出し物(本人がみんなの前でやる)でも
漢字を書いたり、倒立したり、
結構ハードなことを嬉々としてやっていました。

小学校に入学した当初も、
知り合いがいないにも関わらず学童保育の友達をすぐに作り
クラスでも楽しく過ごし始めました。


小1のつまずき


ところがある日、
学校から帰ってきた長男は珍しく悲しそうでした。

どうしたの?と問うと
「漢字を書いてはいけませんと怒られた」
と言うのです。

他の子がまだ習っていない漢字を書くと
周りの子が読めないからひらがなで書きなさいと
当時の担任の先生に言われたそうです。

幼稚園では書ける漢字はどんどん書いたらいいし、
書けたら褒められて育ってきた長男。

面喰ってしまって当然でした。

私は先生の方針に違和感を持ちつつも
「先生に言われたから仕方がない」と考え直し
長男にも「じゃ、ひらがなで書こうか」と伝えました。

教科書の名前も漢字で書いていた(幼稚園ではそれが当然)が
すべてにふりがなを振りました。

今思えば、小学校での最初の躓きはここでした。

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その後、口も達者だった長男は
何かと怒られることが増えていたように思います。

相当寒い2月の某日19時前、
ダウンコートをぬくぬくと着た担任の先生が
上着も着せないまま長男を廊下に呼び出し
尋問していたことがありました。
(長男は「やっていない」と主張したが、
同級生の足を蹴った疑いで謝りにいくことに。
しかしこれも濡れ衣を着せられていただけだった)

別の日には帰宅後アゴに痣があるのを見つけ
長男に聞くと同級生に殴られて、先生も知っていると言います。

他の子の足を蹴った濡れ衣を着せて尋問しておいて
アゴに痣を作るほど殴られたことをなぜ伝えてくれないのだと
これには抗議をしました。
(アゴは頭部。一つ間違えたらと思うと怖かった)

長男はよく言葉を知ってはいましたが、
自分の気持ちを丁寧に伝えることは苦手。(今もです)

しかし、小学校1年生でそれができる子が
どれくらいいるのでしょうか。


漢字が書けなくなる


納得できない、理解できない思いを抱えたまま
1年を過ごした長男の傷は、
2年3年の先生のおかげで随分治りました。

元の明るい元気な長男が戻ってきた頃、
4年の時の担任とのトラブルで古傷まで再燃したように
今度は漢字が書けなくなっていきました。

幼稚園までは、マスいっぱいにしっかり書いていた文字。
とめ、はね、はらいも気を付けて
習字を習っていたわけではないけれど
我が子ながら伸びやかな字を書くなぁと思っていました。

しかし気が付いた頃には
マスの下半分にクチュクチュと
小さく丸まったような字を書くようになっていました。

授業参観の時、教室に貼ってある習字を見て
心臓が掴まれるほど辛かったことを今でも思い出します。
明らかにそれは異常でした。

自信をなくし、自分自身を否定していた長男は
字を書くことをまるで拒否しているようでした。
自分が生み出したものを残しておくことすら嫌と言っているように
私は感じました。


言語化できないから


子供の心の持ち様は、
大人のささいな一言で大きく影響されるし
そこでぐにゃりと曲がることもあるのだということを
大人は肝に銘じなければなりません。

また、うまく自分の心の状態を言語化できない子供達は
いろいろな症状でそれを表しているのでしょう。

アートセラピーや箱庭療法などが用いられ
子供の深層心理を見るサポートとして活用されているのは
理にかなっているのですよね。

実際、我が家の長男も箱庭療法を受けました。
いまだにあの造形物を見た時の衝撃は忘れられません。

しかし今は、あの時長男が表現してくれたから
親である私は腹を括れたのだと思います。

彼の苦しみや傷の深さを具現化したそれは
彼自身を救う手段だったのかもしれません。

******************

私は、もっと早く長男の文字の変化に気付いていればと
いまだに後悔しています。

子供達は自分の言葉で心を表現できないこともあれば
周囲に気を使って表現することを躊躇うこともあるでしょう。

周りの大人は自分の思い込みに左右されることなく
子供達のささいな変化を見つけてあげて欲しいと思います。
それが本当の意味で「見守る」ということだから。

自分達が子供の頃と、今の子供達は違います。
自分の経験はあまり意味を成さないと
思うくらいでちょうど良いかもしれません。

それは、今の子供達が弱くなったという意味ではなく
取り巻く環境があまりにも違うという意味で。

そのあたりはまた、近いうちに記事にしたいと思います。

必要な方に届きますように✨

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