「怒り」と「好き」と「感謝」と。ぐちゃぐちゃな思いが呼び起こされた『死にたがりの君に贈る物語』
みんなに、何もない自分を受け入れてほしい
「私は、私のことが嫌いです」
自分のことが好きな人間なんて、どのくらいいるんだろう。
何も持っていない。何も成し遂げていない。何の特徴もない。
そんな人間からすると、新人賞をとって本を出版して、人気シリーズになり、メディアミックスもされて、コアなファンが7人も物語のために集まって廃校で共同生活を送ってくれる。そんな世界を変えていて、全てを持っているかのような人間が何を言っているんだと思ってしまった。
小説が受け入れられたのだからいいじゃん。この物語を読んでいてはじめに思ったのは、そんな単純な怒りだった。
前述の言葉は、人気作家だったミマサカリオリが本のあとがきで書いたもの。人気シリーズだった本は、5巻でヒロインが死亡という展開がファンに受け入れられず炎上し、著者に批判が殺到。そして、ミマサカリオリは最終巻を書かないまま亡くなってしまう。本作はここから始まる。
ヒロインが死亡して炎上する。小説でもアニメやドラマでも、物語を書く媒体としては、わりとよくあるシチュエーションだ。あるあるすぎて、何でこの作家はこんな言動をしていたのか、そして死んだのか理解できなかった。
理解できないまま、イライラしたまま読み進め、終盤にある登場人物が自分の気持ちを代弁していたことに気づく。
才能がある人間は、無条件に愛され、求められ、成功が約束された素晴らしい人生を歩めるのだろう。
~~俺たちは自分が嫌いだ。どうしようもない自分のことが、いつだって心底恨めしかった。
素性を隠しても、どんなに身勝手な言動をしても、その物語を書ける人間はミマサカリオリただ一人だから、受け入れられる。無条件に。そんな才能ある物語の登場人物に、嫉妬していた。
自分だって、無条件に受け入れられたい。でも、そんなことはあり得ないから、何とか外面をよくして生きていくしかなかったのだ。
私が誰でもなくても、ただこの物語が好き
そんなとにかく、ミマサカリオリに引っかかり、振り回された1周目を終え、実はもう1周読んだ。
私にも強い推しの作家さんがいる。だからミマサカリオリの大ファンで、物語に熱狂していた純恋の気持ちも、けっこう分かる。さすがに純恋には負けるけれど。
私も新刊の発売日は、彼女と同じように朝一で本屋に行き、帰る時間がもったいないから近くの喫茶店に入って読み進めた。
新刊が発売されるまでは絶対に死ねないな…とも思っていたし。その日は本当に夢見心地だったし、生きていてよかったと大げさでなく思った。
自分の存在価値になるような物語。きっとその本に出会えたのは、とてつもない幸運だった。
自分に何ができたかとか、何を持っているかとか、そんなことは関係ない。ただ推しの作家さんが書く物語が好き。それだけ。
『死にたがりの君に贈る物語』に出てくる純恋はそんな少女で、何もできなかったけれど誰よりも強かった。凡人だったはずの彼女。でも最後に世界を変えたのは、一介のファンであった純恋の言葉だった。
そんな物語を有名な作家さんが書いてくれたことに、読者としてとても感謝している。
2周目はそんな感謝の気持ちと、自分にも好きな推しがいてよかったという思いで、心が温かくなった。
本当はこの本を言い表すのに、怒りとか感謝とか、そんな陳腐な言葉では足りなくて。とにかく感情がぐちゃぐちゃに巻き起こってきた本だったのだけれど、それを的確に表せないのが悔しいなあ。
物語は、ただの活字だけれど。こんなにも言葉に表せない感情を引き出すことがある。
だから昔からずっと好きだったことを、久々に思い出した。