開業までの道
開業しました
2020年1月に「ふわりおんぷふぁーむ」を開業しました。
履歴書に職歴を書ききれない
社会人になってから約10年、休職と退職と再就職を繰り返し、職を転々としてきました。そして履歴書にすべての職歴を書ききれなくなってきて、さりげなく書式をいじってみたり、簡略化して書いてみたりして、転職活動をなんとかこなしてきました。
最後の会社員時代
持病があるため、体調を崩しやすいこと、体力が圧倒的に足りないこと、激しく疲れやすいこと、等を説明した上で入った派遣先。
ほかの従業員の平均残業時間が月60〜80時間くらいという会社の中で、わたしだけは月10時間前後を死守していました。
ところがあるとき、ほかの人がやり切れなかった、なかなかボリュームのある短納期の大変なお仕事が部課長から回ってきました。
定時退社を基本としていても体力気力がついていけないわたしに、いきなり毎日21時までの残業をする日々がやってきました。
当然、体調を思いっきり崩します。
その後、体調不良が続き、目が覚めても動けない日が多くなり、お休みが増えました。
申し訳ないなと思いながらも、フレックスが使えることをありがたく思いながら、ゆったりタイムに出社することも増えました。
そんな日々を数ヶ月過ごし、もうすぐ入社して3年が経とうという2018年末に派遣先をクビになりました。ゆったりタイム出社やお休みが多いことを理由に、契約更新はしないとのお触れ。その原因を作った部課長から。共に仕事をしていたチームのリーダーはわたしが話すまでそのことを知りませんでした。どんな会社だよ。
派遣元会社は大阪の小さな会社で、次の派遣先を探すのか、退職するのか、という話し合いが持たれたものの、わたしが住む愛知県で新しい派遣先を探すのは難しいとのことで2019年2月頃に派遣元会社を退社。そもそも元々いた全国区の大きな派遣会社からの移籍を依頼してきたのは、クビ宣告してきた派遣先の部長でした。移籍する前、派遣元会社にこの派遣先が契約終了したら新しい派遣先を探してくれるのかと確認した際は、いくつか当てがあるので探すことは可能だと言われておりました。でも結局、実際にそうなったときには当てにならなかった。
幸い、共に日々を戦うチームメンバーには理解してもらえていましたが、結局、入社する前に持病について話してあった部課長や派遣元の社長には理解してもらえていなかったということ。持病を抱えながら働くこと、理解してもらうことの難しさを痛感しました。
変化の1年
会社を退職したわたしは、失業給付を受けつつ、父の遺した少ない遺産を切り崩しながら、これからの生き方働き方を、考えて、考えて、悩み、考えて、心境も環境も大きく変化した2019年を過ごしました。
そしてたどり着いた答えがこれ。
元気に楽しく生きる!
とても、とっても基本的なことです。
え?いまさら?と言われるかもしれない。
でもわたしにとっては大革命です。
いままでずっと、子どもの頃から、死にたい、消えたい、死にたい、と思い続けてきて、息をしていることにすら嫌気が差した時期があったようなわたしです。
何年も、何十年もずっと、わたしは死にたいと思い続けながら生きて、歳をとっておばあちゃんきなって、生きたいと心から思えたときに死んでいくのだろうと思っていました。
そんなわたしが、「元気に楽しく生きたい」と思えたのです。大革命です!
まずは元気になること
わたしが最優先課題にしたのは「元気になること」。楽しく生きるためには、やりたいことをやりたいようにやるためには、元気なからだとこころが必要です。
だからまずは、病識が薄かった自分の持病について、考えを改めました。
「わたしは病気なのだ。病気なら治せばいいのだ。」
そして、受けられる支援を調べ、元気になるために必要と思われることを積極的にやりました。これは現在進行形。少しは元気になったけど、まだ寛解状態ではありません。たぶん。
期限は無情にやってくる
そう。失業給付は無限ではありません。貯蓄も無限ではありません。どんどん迫る生活苦。「元気になってから働く」なんて悠長なことを言ってられない状況になりました。とにかくお金を稼ぐ方法を考えなければいけない。
フルタイムで働く?時短で働く?とりあえずアルバイトする?公共職業訓練に通う?就業支援施設に通う?
そして出したひとつの答え
「音楽で生計を立てる」
たくさん悩み考えて選んだひとつの道です。音楽で生計を立てるというのは、子どもの頃から逃げ続けてきた道でもあります。高校の音楽科に行くかどうか迷って普通科に通い、音大に行くか迷って理系学科に進み、ピアノの講師グレードを取ろうと思いながらも挫折し、ずっとずっと、何度も逃げてきた道です。そこに、いまさらながら進んでみようと思いました。
正解かどうか分かるのはまたまだ何年か先でしょう。自分がどこまでできるのか、果たして元気になれるのか、楽しく生きられるのか、いまはまだわかりません。
そしていま
これからがんばるぞ!というときに、新型コロナウイルスの影響をモロに受け、収入は増えるどころか、ほぼゼロになっています。
いまはできることを考えてやるしかない。ない知恵と体力と気力を振り絞って日々を過ごしています。
5年後、10年後のわたしが、「楽しく元気に生きる」ことができていますように。
生きづらさを抱えながらも何とか生きてきてやっと「元気に楽しく生きる!」という目標ができました。同じように生きづらさを抱えた人に届けられるよう、いただいたサポートは今後の活動に大切に使わせていただきます。