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いつも通りには戻れない日常生活


子供の亡くす経験は「未来をなくすこと」と言われています。


約10年に渡り、流産、出産、死産、流産、出産という生死に直面する経験を繰り返してきました。
何も知らなかった無邪気な頃の自分には戻れず、「同じ日常」はなくなりました。
そんな中で、2015年に経験した、死産の産休中のお話しです。


※今も何も知らなかった無邪気な頃には戻れませんが、それを受け入れ進み始めようと思えるに至っています。


1.産休という日々


産休となった私。
会社に行く夫。
保育園に行く娘。
それぞれの日々が始まりました。


でも、赤ちゃんがいない。
産休なのに、お世話できるはずの赤ちゃんがいない。



「死産」とネット検索する毎日でした。
後期死産をされた方、不育症の方のブログ、沢山読みました。
でも、2回流産して、後期死産、同じような人は中々いませんでした。


産休はとにかく孤独で、死にたい気持ちばかり。
1人で家にいると気が狂いそうで、ふらふら外を歩いたりもしました。
高速道路の上、橋を渡っていると、ここからなら死ねるかな、と思ったことを今でも覚えています。


ただ、死ねない。娘のためには死ねないんです。



娘の存在が死にたい気持ちギリギリを止めていてくれました。
娘の前では「泣いてはいけない」と思っていて、1人になった途端、泣いていた日々でした。
娘の存在に救われる一方、赤ちゃんを亡くす辛さは、全然別もの。


でも、実際は「お姉ちゃん居てくれて良かったね」「お姉ちゃんのためにも元気にならないとね」と何度も言われました。
そんなこと、わかってる。それがまた、辛かった。

その頃の様子を少しだけブログに書いていましたが、「1人子供がいる」ということは、お子さんが居ない天使ママさんを傷つけるのではないか、という気持ちが出てしまい、あまり書けず、あまり吐き出すことができず、気持ちに蓋をしてしまいました。


今思えば、子供が居ても居なくても、「子を亡くす」ということは辛い。
辛い、と言っていいんです。
変な気を遣わず、思ったまま、感じたまま、SNSでもなんでも、吐き出せる場が大切だと思っています。


2.保育園が辛い。でも、救われた場所でもあった


産休中、もう一つ辛かったのが、人に会うこと。

誰かに「赤ちゃんは?」聞かれる怖さ、死産を説明しないとならない現実、赤ちゃんと幸せなママを見る怖さ、とにかく人が怖い。怖くてたまらなかった。


かといって、外出せず、娘と日中2人で家に籠るのもしんどい。
だから保育園に預けていました。
ただ、保育園は産休・育休ママさんが沢山いる。会いたくない。
逃げるように隠れるように、どうしたら会わずに送迎できるのか、いつもタイミングを見計らっていました。


そんな中、娘の担任ではない、O先生に突然声をかけられました。
「私もね、昔7ヵ月で死産したの、辛いよね・・・」と。
いつ声かけようかずっとタイミングを見計らってくれたそうで、この先生の言葉でもう涙が止まりませんでした。そこから1時間くらい、話を聞いてくださいました。



死産とはどういうことなのか

どれだけ辛いことなのか

何年経ってもこの経験の辛さは変わることはない


保育園内の先生方に、お話ししてくれたそうです。
私の気持ちを代弁してくれた一方で、「死産」という残酷な経験を先生自身にも思い出させてしまい、そんな中話をしてくれたことに感謝しかありません。


O先生のおかげもあり、保育園の送りは一番最後の登園で良くなり、お迎えも一番早く、とにかく他の産休ママさんに会わないよう、調整してくれました。


園長先生や当時の担任S先生からは
「私たちは経験してないから、お母さんの辛さをわかるよ、とは気軽には言えない。ごめんね。でも何かあればいくらでも相談乗るし、辛いときは、いつでもO先生呼び止めてもらっていいから、無理しないでね」と。


保育園の先生たちには本当に沢山助けていただきました。
O先生も、必ずと言っていいほど、毎回声をかけてくれました。
誰にも話せない、話したくなかった私にとって、O先生の存在は救い以外の何物でもありません。


担任のS先生もずっと気にかけてくれていました。
誕生日の4月にはいつも、流産したお兄ちゃん、死産したかんちゃん、そして娘にお菓子&お供えをくれました。
本当は立場上、NGなはずなのに、、、です。
しかも、死産した子供の名前を知ってくれていたのです。娘が先生に名前を教えていたようです。

娘に気を使ってあげられなかった、1年。
娘にとって弟のことを話せる担任のS先生が居てくれたことも、とてもとても心強かったです。


このO先生とS先生は、今も時々連絡をしていますし、末子出産の時は病院に駆けつけてくれ、涙して出産を喜んでくれました。私にとって恩人となる方々です。



保育園でママ友や赤ちゃんを見るのはつらかったですが、先生たちのおかげでなんとか過ごせていました。
ただ、そんな中でもデリカシーのない人はいます。
顔見知り程度のママさんから

「あれ?赤ちゃん、生まれたの?」と。
「あ、ダメだったんですよね・・・」と話すと、
「え?なんで?なんで?」
「いや、それは私も何とも・・・(もう涙目)」
「あんなにお腹大きくなっていたのに??」
「・・・・・・」


さすがに察したのか、逃げるようにそのママさんは去っていきました。

そのママさんは3人産んでいます。そりゃ、無事に3人産んでいたら、死産なんて事実、想像もできないし、わからないよね。


今もそのママさんの顔は忘れられません。


3.遺骨ペンダント


死産経験(4)で書いた通り、遺骨は1年間預かってもらっていました。
いつでも会えるわけではない、でもずっと一緒にいたい。

そんな気持ちからネットで検索したところ「手元供養」という形があることがわかり、遺骨ペンダントをつけたい。そう思うようになりました。

遺骨ペンダント、夫に話したら反対されるのは目に見えていたので、事前の相談はせず、こちらのお店から購入しました。

届いてから、お骨を少し持ち帰り、ペンダントへ。
毎日つけ、どこに行くにも一緒でした。
そうすることで、近くにいてくれる、安心できる感覚でした。

今は日常的にはつけることはなくなりましたが、お空の子供たちコーナーに置いて、日常の我が家の”そこ”にいてくれています。

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死別経験は、何も知らなかった頃の「同じ日常」も失くしました。
その中で、もがき苦しみ、それでも日常は進む。

前に向こうと進んでも、また戻って。
それを何年も繰り返し、少しずつ少しずつ、想いの形がかわり、生きていくことになります。


少しずつの歩み、それで良いと思っています。



****Kao****

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