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私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(4)



人生観、死生観、価値観、人間関係、ありとあらゆるものが180度変わった死産経験(1)死産経験(2)死産経験(3)からの続きです。
今回で不育症歴③の話は終わります。


1.息子一人で旅立たせてしまった一生の後悔


2回目の流産の時もそうでしたが、産院では死産届、火葬についての書類を書いただけで、後は病院が提携している葬儀屋さんが引き継いでくださり、1年間、遺骨も預かってくれる、というものでした。
こちらの葬儀屋さんは「亡くなった赤ちゃん」のお別れも扱っているところでした。(火葬後、遺骨の引き取りもできます)

2回目の流産の時、火葬に行かなかったことを後悔している、と書きました。


今回は絶対に火葬に立ち会う、と決めていましたが、前回以上に夫の猛反対にあい、行かせてもらうことができませんでした。両親からも辞めたほうが良い、と反対。母親は私なのに・・・。


遺骨も引き取らず、そのまま合同埋葬したい、という夫の意見を必死で食い止め、自宅でなくてもいい、せめて遺骨は預かってもらって、納骨については、1年間考えさせてほしい。
それが私にできるギリギリの話し合いでした。


夫は、現実を抱える辛さがピークに達し、言葉は悪いですが、早く現実を終わらせたい、と思っていたのかもしれません。
悲しみは同じなのに、受け止め方、感じ方、とても違いました。
でも、それが夫の苦しみ、辛さだったのだと今ならわかります。



2015年4月8日。10時49分。
火葬の日。空はとても青く、よく晴れていました。

自宅にいた私は、朝からずっと空を見上げることしか、できませんでした。


退院から火葬まで、更には最期のその時まで、息子1人にしてしまった
身内の誰1人から見送られることもなく、1人で逝かせてしまった。


私、母親なのに何しているんだろう。
1人で旅立たせてしてしまって、寂しかったよね。
本当にごめんね。


子供の火葬という現実は、想像するのも申し訳ないくらい、とても辛く残酷なものだと思います。

それでも、私は火葬に行きたかった。
あの子の最期をきちんと見届けるべきだったと。
これは、もう私の中で一生後悔しつづけることです。


火葬から帰ってきた遺骨は1年間預かってもらっていて、いつでも会いに行けるようになっていました。
幸い車で20分程度なので、産休中は毎週のように会いに行っていました。



その後、自宅で1年間一緒に過ごし、死産から2年後、納骨しました。
納骨についてはまた別に書こうと思います。



2.死産報告の辛さ

死産報告は入院中にしました。

既に産休に入っていたこともあり、まず、会社に報告しなくてはなりません。ただ、私の精神状態から、到底自分で電話できる状態ではありませんでした。

その結果、夫から連絡をしてもらいました。
実は、夫は元々同じ職場だったこともあり、私の上司も同僚も知っていたことから、お願いしました。
会社からは「とりあえず今は何も気にせず、ゆっくり休むこと、今後の連絡はメールでしましょう」となりました。


友達への報告は、元々流産体質ゆえ、妊娠報告自体も限られた友達にしかしていませんでした。
産休に入って会う約束をしていた人、保育園のママ友等、やむを得ない人のみ、LINEで死産の報告をしました。
限られた友達=信頼に値する人、なので、寄り添ってくれる言葉ばかりで、ある程度の距離感を保ちながら、でも定期的に連絡をくれました。
ただ、中にはどう接して良いかわからない、と疎遠になった人もいます。それはそれで仕方ないと思っています。


その友達の1人、保育園で一番仲が良かったママ友が、同じ時期の出産、産院も同じという状況でした。そして彼女は臨月。
死産報告をすることで、逆に不安を与えるのではないか?と悩みましたが、夫が保育園の送迎時に既に報告してしまっていました。
勝手に報告したことに不満もありました。ただ、私が不在なこと、隠せることではないこと、から伝えたそうです。


LINEをすると、彼女からは「泣く立場じゃないけど、朝から涙が止まらない」と。その気持ちが、ただただ嬉しい反面、ストレスを与えてしまっていないか、心配になりました。
入院中、彼女は妊婦検診に来ていています。
お互い、会いたいけど会えない。そんな気持ちで同じ建物の中、過ごしていたと思います。

今、彼女とは、当時の話をできるまで戻ることができました。
私がいつ話しても良いように、不育症や流産について彼女なりに調べてくれ、詳しくなっていました。
私のことを少しでも理解したい、と、その気持ちが本当に嬉しかったです。


流産、死産経験者からすると「報告」はとても辛いものです。

お腹が小さくなれば、当たり前ですが「生まれたの?」と、必ず聞かれます。
「死産してしまった」というと「なんで?」「どうして?」と根掘り葉掘り聞かれることもあります。

逆になんて声をかけて良いかわからず、気まずくなってしまう人もいます。


同じ経験者でなければどう声をかけるのが良いかわからないのは当然です。
そこはご自身を責める必要もありません。


ただ、どんな状況であれ、話す側は勇気を出して話しています。
「話してくれてありがとう、辛かったよね」と、寄り添ってくれるだけで、気持ちが楽になります。
「大切な人を亡くす」ということを一度立ち止まってもらえると何か変わるのではないかと思います。



3.「かわいそう」だけではない


流産・死産という経験は、自分のメンタルだけでなく、家族のメンタルも影響を与えます。
普通にできていた日常生活、人間関係、以前と同じように仕事をすることもとても難しくなりました。

何も知らなかった頃の無邪気な自分には戻れないのです。


この経験は「かわいそう」だけでは片づけられないことが沢山あり、それが流産・死産、「子供を亡くす」ということです。


一度経験した事実は変わることはなく、ここから長い長い死別経験からの「悲嘆」が始まることになります。
この経験が自分の中でどう今に至ったのか、ようやく少しずつ見えてきた部分があるような気がしています。


自分の気持ち、悲しみがどう変わっていったのか、改めて理解したくて、今、グリーフケアを学んでいます。
そういった視点からも、ゆっくり、マイペースでつづっていきたいと思います。


そして、この死産を機に正式に原因不明の不育症になったこと。
死産以降も流産をしていること。
最後、2018年に末子を出産できるまでの話なども引き続き書いていきます。


フォローしてくださっている方、いいねを押してくださる方、少しずつ増えていて、ありがたい気持ちでいっぱいです。
今後、少し、更新ペースがゆっくりになりますが、のんびりお待ちいただければと思います。

そして、少しでも多くの方に流産や死産といった「知られない死」を知っていただければ幸いです。


ーーー

順調な経過で、ようやく「幸せな妊娠」と感じていた15週の頃。
姿がはっきりわかるエコー写真です。
我が家では娘が名付け親で「かんちゃん」と呼ばれています。

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****Kao****

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