【全文公開】『流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない』はじめに
八年間で二つのホームを失った
ウクライナ最強クラブの熱源
書店に並び始めている、8年間で2つのホームを失った ウクライナ最強のサッカークラブ シャフタール・ドネツク に迫った
『流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない』( アンディ・ブラッセル 著、高野鉄平 訳 )
より「はじめに」を全文無料公開です!
はじめに
ウクライナは、あらゆる場所にある。ドイツ・ブンデスリーガのピッチのセンターサークルには、今も平和のシンボルが描かれている。二〇二三年三月にスペインのコパ・デル・レイで行われたエル・クラシコでは、サンティアゴ・ベルナベウのスタンド最前列付近に座ったサポーターが巨大なウクライナ国旗を振り回す姿が世界中の国々の視聴者へ届けられた。そう、それこそが重要なのだ。見られるということが。
ウクライナは二〇二二年二月二四日以来、戦争状態にあるというのが世界の見方だ。だが、シャフタールとつながりのある誰かに訊ねてみれば、もっとはるかに前から戦争状態にあると答えることだろう。クラブが故郷の街ドネツクを離れたのは一四年春のことだ。だからこそ、シャフタールが不利な予想をものともせず、二二―二三シーズンに欧州での仮のホームとしたワルシャワで結果を出し続けたことには大きな意味があった。彼らがタイトルを獲得したり、欧州でのビッグマッチに勝利したりすることに意味がある理由でもある。そういった場面は何度もあった。一五年以降にシャフタールは、UEFAヨーロッパリーグで準決勝に二回、一六強に二回進んでいる。名を上げた選手を欧州のエリートクラブへ売却することにも大事な意味がある。
ミランの伝説的監督であるアリゴ・サッキが、「サッカーは最も重要ではないものの中で最も重要なものだ」と言ったのは、おそらくこういうことなのだろう。あるいは彼も、このような予想外の状況下でサッカーがどれほど重要になり得るかは想像すらできなかったかもしれない。シャフタールのレジェンドであるダリヨ・スルナの言葉を借りれば、「最悪のケースより悪い」シナリオである。
私は(主に欧州の)サッカーについて二〇年近くにわたって物を書いたり話したりしてきたが、これほど力強く自分の仕事への取り組み方を検証させられることになった題材は他にほとんどない。本書で記している通り、私が仕事の中でシャフタールを定期的に取り上げるようになったのは、彼らがUEFAチャンピオンズリーグで存在感を見せ始めた二〇〇七年頃からである。非常に大きな存在感だ。しかし、クラブに対する私の見方が完全に変わったのは、一五年に『ガーディアン』紙でシャフタールに関する映像を制作したときだった。
サッカーはしばしば華やかな人生のように見えるが、このクラブと選手たちは地獄から抜け出すことができずにいた。自分たちの街を離れ、キーウに新たな拠点を築き、ポーランドとの国境の街リヴィウでホームゲームを行うためフライトを繰り返す生活を何とか受け入れつつあるところだった。不安と絶え間ない移動が次々と襲ってくるようで、彼らにも私にも、それがいったいいつまで続くのか見当がつかなかった。
その異常な状況によって、私はクラブを、そしておそらくサッカー自体も、違った角度から見ることになった。書くことや話すことを生業とする者であれば、常に注意深く言葉を選ばなければならないが、特にサッカーの文脈においてはそれが行われているだろうかと考えてしまうこともある。試合や結果、さらにはクラブ上層部の出来事などを指して、「悲劇」「惨事」「破滅」といったような言葉が、それが本当に意味するものが何であるのか、ほとんど考えられることもなく乱用され続けている。私も過去にその罪を犯してきたのではないかと思う。
「英雄」というのも、サッカーにおいて過剰に、しばしばメロドラマ的に用いられる表現である。彼らはその一時の英雄でしかない。ゴールを決めた選手、ギリギリでブロックした選手、チームのためにあえてカードを出されるようなプレーを引き受け、大義のために自分自身を「犠牲」にする選手(「犠牲」というのも誤った形で乱用される言葉だ)。より大きな意味で「英雄」と呼べるのは、前進やステップアップの可能性を捨ててまで忠誠を誓い、クラブに長年仕え続けてすべてを捧げるような選手かもしれない。
しかし、シャフタールを代表する者たちは別格だ。私は彼らとの、またかつてその場所にいて今は別の場所へ移っている者たちとの広範な会話を通じて、それを知ることができた。ウクライナ、ポーランド、フランス、イングランド、トルコのホテルや練習場で、試合後のスタジアムの奥深くで、また今では誰もが使うようになったZoom を通しての会話だ。サッカー界の人間たちから言葉を受け取るのは、難しい場合もある。メディア対応に慣れた者たちは、言質を取られることに猜疑心を抱く。モチベーションにあふれている者であれば、自分の活動について記者に話をするよりも、練習場で過ごしたり、ノートパソコンや携帯電話で対戦相手や自分たちの試合を分析したりして、少しでも自分のプラスになる何かを得ようとする。しかし、ここでは違う。彼らには語るべき物語があり、世界が耳を傾け続けるべき理由がある。彼らは進んで話をしてくれることが多かった。状況が状況でなければ、彼らにとっては最もやりたくないことだったのではないかと思うが、いつも快く気さくに対応してくれた。
しかし私が本当に言えるのは、イゴール・ヨヴィチェヴィッチ、タラス・ステパネンコ、セルゲイ・パルキン、ダリヨ・スルナ、ユーリー・スヴィリドフ、アンドレイ・バベシュコ、オレフ・バルコフ、そしてシャフタールのすべての選手たちとスタッフ、彼らは英雄だということだ。不屈の精神、謙虚さ、優しさ、強い意志を持った英雄たちであり、決して歩みを止めることはなく、あらゆる英雄に期待される以上のことをやってのける。アンドリュー・トドスやイリーナ・コジウパなど、どこまでも飛び回るジャーナリストたちについても同じことがいえる。
この者たちは決して屈することはない。彼らの物語を伝えることができて光栄に思う。
アンディ・ブラッセル
書誌情報
【全文公開】序文
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