「おカネの教室」を専業主婦が読んでみたら 元気が湧いてきた 役に立つあてもない?教養を身に付けるために思い切り乱読する人生を送ってみようかな~? 106/360
ごきげんよう、観世 (かんぜ) バタコです。
本日は、高井浩章「おカネの教室」の書評記事を書いてみます。
1. はじめに
■以前にコチラで「読んだその日に書いた感想速報」および
■コチラの記事にて「裏レビュー」 ←本とは直接関係ない、
販促活動への感想
■コチラ一連の記事にて「イギリス経済を読み解くにあたって、おカネの教室で取り上げられたオフショア金融と遺産相続をキーに、経済格差について考える」取り組みもしてます (連載だけどまだ未完) ゼロ → イチ → 二 → サン
も書きました。
といいつつ、本記事が、一応「一番まともに」書評に取り組んでみた例なのですが、書評と言いつつそこから発想した随想、みたいになってしまっているのはバタコのいつもながらのクセでございます・・ご容赦を・・
2. 読後感は「希望」「楽観」
バタコの「おカネの教室」の読後感を一言でまとめると
「いや、さいごはなんとかなるだろな」
「それでも、人生捨てたもんじゃないと思う」
(本書で取り上げられている、
資本主義の歪み、格差の拡大 →→→ お先真っ暗?とは思わないな)
という楽観的なキモチです。
それは本書が楽観的に終わっているかどうかに依るものではなく
多分、著者の高井さんの世界観みたいなもの。
ご著書にもにじみ出てるかもしれないのですが、より濃厚には
noteブログにて、余すところなく展開される「高井節」から伝わる
圧倒的な「前向き」「誠実」なトーン。問題解決志向みたいなもの、
そのせいだと思います。
3. 高井さんの「いろいろあるけど前向きでいい世界を作っていこうや」的・楽観と善意を感じる数々のnote記事
こじつけかもですが、高井さんの半生記を読むと
■「ヒルビリー」記事
まさに「労働者階級」「下層階級」とでもいえそうな出自から
■「いじめっ子」問題
兄弟間いじめに遭った経験と
暴力教師の下で高井少年がいじめっ子の側に回った思い出
←バタコは高井さんの5歳下昭和52年生まれですが
こういうタイプの先生って (ここまでじゃなかったけど)
あの時代の日本には、割とフツーに居たような覚えが・・
そんな時代を経つつ
激務の新聞社で燃え尽きたり身体を壊すこともなく
■高井さんおすすめの健康法!「新社会人」
肩の力を抜いて、深呼吸してやっていこう、という、新社会人への愛があふれるアドバイス。
■「ゾーン」「瞑想」に近い状態になれる趣味 (ビリヤードや読書)とサウナでリセット、ストレス解消+デジタルデトックス
こういう具体的なアドバイス、イイですよね。バタコもずっと「瞑想」状態が憧れなんですけど ←ほぼ寝落ちするから実践できなくて、代わりの何かを探している・・
■「純ドメ獣道」
こんな苦労をしながらも英語を習得したり
■「マンガで学んでね」
みんなでマンガについて語り合えるこんな素敵な家庭を築いて
■Brexit の勉強にもなるMASTERキートンのマンガ
イギリス赴任なさったときはこんな (マンガ) 教養?が生きるし?
■お嬢さんは「アカルイ前向きな脱力?」で東大に現役合格するし
←底力(そこぢから)を出すには「アタマ」だけじゃない、脱力だ、
というところが
上述の「新社会人へアドバイス」「自分を『整える』ものを持て」と
呼応しているところがありますよね。
以上、「高井さんの前向きな世界観がにじみ出てるnote記事たちの私的セレクト」でした。
バタコ自身はかなり早い段階で「読んでも楽しいだけで (!?) 役に立たないから新書とかマニュアル本だけを読んでいこう」
という風な、消極的エセ効率主義 プラス (突き詰めると「そんなもの読んで何になる」という) 悲観論で切り捨ててきた読書・読「マンガ」という教養のもたらす前向きな世界観が余すところなく発揮されている高井さんのnote、という風にバタコは読み解きました。
しかも高井さん、(若い世代に「お金の知識をもって、良い人生を送って欲しい」とゆう) 志が熱いし、「篤 (あつ) い」善意にあふれているのよね ↓↓
コレですよ、印税なんかくれてやる!(とは言ってないけれどさ)
■本は天下の回りモノ、しびれる!
(高井さんいわく)
「本を書いた以上は、中身を読んでもらえるのが本望。
メルカリでもブックオフでも図書館でも構わない、
読んでもらえるのがうれしい」
(この記事を読んだバタコは高井節で何度目かに泣きました)
(生まれて初めて、母校に本を寄付する方法ってあるんだろか?などと思いを巡らしました)
4. 前向きな積極性が幸せを呼ぶ例:キャサリン妃
ココから先はバタコの勝手な意見です。
先述のおカネ連載で取り上げたキャサリン妃の記事で
散々いろいろ書いたのですが、まとめると、
キャサリン妃や母キャロルさんは幸せな人たちだと思います。
人生における目標を定め、それに向かって努力する。
(あるいはもっと短期的な目標に向かって
「遊び心交えつつ」努力できてしまうスゴイ性格。
たとえば、キャロルさん・キャサリンさん・妹ピッパさんは
バカンスを前に「誰が一番先にビーチボディになれるか!」
で競い合うような仲なんだそうです。
食事制限や体幹を鍛える「プランク」のような運動なども
競争心要素と「キレイになりたい!」という
ピュアな「欲望」とが入り混じって
そりゃー効果抜群だろうな、と・・
←できないヒトの感想
努力して達成すること、たゆまないこと、それ自体が喜び。
勝手な想像ですが、もしキャロルさんが「玉の輿 (こし)」ではなく、もっと
経済レベルの低い人と結婚されていても
同じように何かの事業を起こすなりして
幸せに子供たちを育て、かいがいしく孫の世話を焼く
ハッピーなおばあちゃんになってたでしょう。
↑ 肩車でジョージ王子と動物園、なキャロルさん。
キャロルさんが幸せなのは
「娘が王子と結婚して孫は王位継承者だから」ではないのです。
また、「資産を築いた」のも結果であって
資産があるから幸せ、無ければ不幸、というレベルじゃないのです。
キャサリン妃も、言い方はえげつないですが
ウィリアム王子という標的を定めて確実に落とした!
これは意志のチカラと努力の賜物であり
※だって、ウィリアム王子と数年差で生まれた
女児の母のうち、ある程度以上の階級のヒトは
全員、一度は「もしかしたらうちの娘が・・」と
考えたことでしょうし、当の娘さんたちで
同じことを考えた人たちも何十万人もいたことでしょう。
丸腰 (まるごし) で勝ちぬける競争じゃあなかったのです。
また、「結婚がゴール」じゃなくて
これからも絶対イロイロ山あり谷ありの人生
キャサリン妃はビシッと芯を通しつつこなしていくでしょう。
「しあわせ」って別に資産額じゃないんです、きっと。
あくまでも個人の心の中にあるもの。
5. 生まれつき裕福に育つと幸せが確約されているわけではない
で、キャロルさんやキャサリンさんの子孫は
「代々資産を味方に幸せな人生を歩む」だろうかというと
そうとも限らない、とバタコは思います。
それは個人の問題です。
5.1. マークス寿子さんの元夫・ブロートン男爵マイケル氏
イギリスびいきのヒトはご存知かもしれませんが
マークス寿子(としこ) さんという著者が20年くらい前に流行りました。
「マークス」さんという苗字は、イギリスの大手総合スーパー
マークスアンドスペンサーMarks and Spencer’sの創業一家の子息と結婚 (のちに離婚) されて得たもの、(元) 旦那さんはMichael Marksマイケル・マークスさんと言います。(こちらが日本語wiki)
この方が亡くなったときのobituary死亡記事はかなりの酷評で、
「ボンボンで何も成し遂げない人生だった」
と書かれていました。
翌日に、故人を知るヒトから
「あれは言い過ぎだろう、彼はこんな善行もしたし、いい奴だったよ」という抗議の手紙があったそうです。
カンタンにいうと初婚で息子ひとり娘ふたりをもうけ
(親が「公認した」相手はこの女性だけ)
その後は離婚と再婚を繰り返し (寿子さんは3番目)
御曹司 (おんぞうし) として何不自由ない身分に生まれたけど
(見方に拠るでしょうけど)
「なんら、特筆すべき業績を挙げない人生だった」
という評価の記事だったようです。
このような言い方をして失礼ですが、マークス家は「男爵」位であり、そうなると「爵位を継ぐ息子は必ず残さねばならない」プレッシャーは明らかにあったはず。実際、「息子ひとりは成したし、あとは好きに生きるよ」的な深層心理を体現した人生航路なのかもしれません。
注:ただし死亡記事原文を読むと単に「酷評」というよりは
川柳にある「売り家 (いえ) と唐様 (からよう) で書く三代目」風に
↑創業者の苦労を知らない3代目ともなると
遊びや慢心で財産を食いつぶし遂には家を売る羽目に。
「唐様」は幼い頃から裕福で風雅に育てられた
文化人としての教養を物語る筆づかい
まぎれもない教養と「趣味の良さ」を持つヒトだったんだろうな
というのは伝わってきます。
児童文学に造詣が深かったそうで、それ、バタコ的にはよくわかる気がします。
イギリスの児童文学って、(私見) 根底に大英帝国の栄華があるから眩しいほどに恵まれた生育環境で美しいストーリーが語られるけど
(ただし、例外もありますねOliver Twistとか
ネズビットのRailway Childrenも急に没落する家庭の話だし)
でも、同時に、「オトナが書いている」だけに
身を切られるような喪失感、二度と戻れない過去への憧憬 (どうけい) 、も
通低音として漏れなくついてきて
ある意味ハマると危険な「自己完結」の世界そして「耽溺 (たんでき) への入り口」でもあると思うのです。
Michael Marksさんがハマった理由よくわかるような気がする。
「カンペキな一点の曇りもない幸せなコドモ時代
でも、いつかは終わってしまう・・」
コンプレックスや挫折感・理解してもらえない苦しみなど
を抱えた人間を誘う、危険な陶酔・甘い蜜
それにおそらく、成人する頃には身に染みていた
「大切にされあんなに楽しかった子供時代だが、そのように大切にされた理由は『立派に成長し、結婚して、家系永続のために家族持ちになれよ』という『条件付き』のものであったのだ」
というようなほろ苦い悟りもあり、失われた童心・無邪気さへの追憶に拍車がかかったのではと想像されるところです。
彼は紛れもない上品な趣味人だったのでしょう。
「何も成し遂げない人生」といういい方はやや酷・・
子孫を残しただけで十分だろう、とご本人は思っていたのかもしれませんし
社会的な何かを成し遂げるためには必要な毒気 (どっけ) を
全く身に付けられなかった (身に付ける必然性がなかった)
そんなヒトで、本人を知る一握りの人々にとっては
良き家族や良き友だったのでしょう。
※この文脈の中で見ると、寿子さんも「趣味の良い」
お嫁さんチョイスな気がします。
当時London School of Economicsに留学中の才媛ですしね・・
ヒトはいろいろ言いたくなる動物ですが、ジャッジする資格はないですよね・・
が、要するに何を言いたいかというと
おカネがあれば幸せってわけでもなかろう、と思うのです。
5.2. ハンス・クリスチャン・ラウシング氏、富豪でヤク中
また、テトラパック (牛乳やジュースのパッケージに使われる)の商標で世界レベルの富豪であるラウシング一家の一員
ハンス・クリスチャン・ラウシングさん (英語wikiこちら) は薬物中毒者で、
(一方では麻薬中毒者を更生させる目的の慈善事業に
多額の寄付をしたり更生・リハビリ施設を建てたりしていたけれど)
ロンドンの豪邸にこもってヤクをやった果てに
奥さんは過剰摂取のため自宅で亡くなり、
そのことが世間に知られたり薬物関連で罪を問われるのを恐れて
何日か通報しなかったハンスさんは (軽い) 実刑判決を
受けています。
(でも子供は4人居て、さらにほどなく再婚してる、
って言うのがさすが富豪の実力・・)
アメリカの有名なジョンソンアンドジョンソン創業者子孫は
それこそ「何もしなくても十分生きていける」だけに
本当に何もしなくて時々飲酒なんかでメディアの話題になる
そんな人生を送られているようなことも読みました。
いくら資産家に生まれても
個人の人生をどう生きるのか、どこに幸せを見出すのか、は
やっぱり個人に委ねられているのです。
金持ちがずっと金持ちでいるシステムが存在しても
その金持ちがずっと「幸せ」でいることは
本人たち以外のだれにも保証できないのだから
「とんとん」な気もします。
経済格差が広がっても、社会全体の富は増加していて
やっぱり破傷風 (はしょうふう) やコレラや黒死病 (こくしびょう=ペスト) で亡くなる率は減っているし
バタコの次男は早産でしたが、近代以前だったら
生き延びられなかった可能性も高いと思ってます。
インフラが整って昔では考えられない豊かな生活が送れて
世の中はいい方に進んでいるんじゃないか
とバタコは思っています。
※これはバタコの私見です。
「おカネの教室」において
教師役のカイシュウさんはもう少し厳しめのコメント
「私たち大人世代は、子供たち世代に、
戦争のない平等な世の中を渡せていない
責任の一端を負っている」(という趣旨の内容)
と述べています
6. 高井さんの前向きな世界観と読書に拠る教養を見て、主婦バタコも奮起しようかと思った
そうだ、高井さんにはこんな記事もありマシタ
■専業主婦で何が悪いか!
バタコは現在「専業主婦」で長い間それを引け目に感じていたのですが
世の中では専業主婦が一部の「女性に」攻撃されたり
←こういうのって圧倒的に同性からの攻撃よね
逆に「資本主義社会的」価値観では離婚慰謝料は
(少なくともイギリスでは)
だいたい、夫婦の資産を半々に分けるのが通例だったり
それっていいことなんだろうかどうなんだろうか? (制度的には、それ以外ないだろな、と思いますが)
※慰謝料については、以前こんな記事も書いてます。
そんな中、バタコは思い出せないくらい昔から
(物心ついたころから)
「効率」だとか「時給換算」みたいなことばかり考えて生きてきました。
(幼い頃は「褒められることだけをして生きていきたい」)
小学校までは純粋に児童書が大好きでしたし
時々背伸びして文庫本を読んだりもしました。
高校受験しなくて済む中高一貫校にいたんだから
アホほど小説を読んだってOKだったはずなのに
「夢中になって読み始めると勉強どころではなくなる」
から、受験生であるうちは
(って、6年間、大学受験生なの?)
「あんまり本読んでる場合でもない」って
相変わらず本は読んでいたけどどちらかというと
「背徳行為」をしているよな罪悪感もあって
どこかの時点で完全に小説は読まなくなりました
「効率主義」に反すると思ったからです。
と言いつつなぜか自分は専業主婦になり
それにもモノスゴク罪悪感を感じました。
「効率主義」に反する存在である、という自覚があったからです。
※ちなみにバタコの母は少なくとも子供たちが
中学に入るまでは専業でした。
ブログも、「専業主婦じゃない何者か」になりたくて
書き始めたようなところがあります。
高井さんのnote記事からたどれる「多読」歴、「呼ばれても気づかないほど集中し没頭できる対象」としての読書は、小学生の頃からお小遣いでジャンプを買って、後には文庫本を買って、
子持ちになってからはマンガを子供たちと揃って楽しんで、
ちなみに
お小遣いやお年玉で「背伸びした買い物」をして
失敗したりして楽しむのがオツだというコチラのアドバイスとか、さすが、「おカネの教室」の著者ならでは!
※バタコの親は「お年玉全額貯金」派でした。
当時は確 かに郵貯(ゆうちょ) の定額利率は夢のように高くて
まっとうな判断だったとは思いますが
「使う喜び、予算をやりくりする体験、死なない程度の失敗」
を得る機会は、派手に損失してましたね・・
お知り合いの女性に攻撃されたところから「専業主婦」の立場を徹底的に守る記事を投稿されてて、
本を書く目的は印税じゃないだろ!と吼 (ほ) えているnote から伝わる姿勢が
経済記者としてそして親としての立場から書かれた「おカネの教室」と
相 (あい) まって
なんだ、効率主義に完全支配されてたバタコってバカみたい~!
(その癖にお金の教養は無くてノウハウ本とかネットから得た知識しかない)
と思わせていただいたとても良い機会でした。
以上が「おカネの教室」の読後感 by 専業主婦、で
最終章で提起された「これからの課題 (経済格差の広がりをどう解決するか)」に全く応える気がないオトナ読者(しかもイイ年で2人子持ち)
というのもどうかと思いますが
富を過度に集中させることを永遠に続けられる存在なんて
多分いないんじゃないの?
どこかで何かがうまく行かなくなるんじゃない?
という超・無責任な楽観論とともに
「読んでよかったなあ」という思いです。
ゼンゼンお金稼げてない主婦の立場に
引け目を感じ続けてもあまり意味ないな~
「マンガ」に冷ややかな親に遠慮して
コドモ時代あまり手を出さないようにしてたけど
今からマンガ読んでみようかなとも思ったり。
あと20年くらいは生きてそうだから無駄だと言わず
乱読的に本を読む生活に戻ってみようかなとか
何だか今までになかった希望が湧いてきました。
よろしければアナタも浸ってみてください、高井さんのnoteとご著書↓
ではまた明日!
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■関連記事:「おカネの教室」感想速報
■関連記事:「おカネの教室」裏レビュー
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バタコと10分電話で話してみませんかっていう
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