面倒くさいお片付け
母親が家に友人を招く際は、私はなるべく家から離れるようにしている。普段は私が仕事の時に友人を招いているのだが、なぜか今回は家にいる時に招いている。こういう時は必ず何かあり、巻き込まれるのは本当にめんどくさいので、関わらないように外に出る。別に外に出るのは苦痛なことではなく、私の大好きな図書館か、ワーキングスペースで何かをしていればいいだけの話なので、なんてことはないのですが、今日に限って言えば、家にいてほしいとの要望があったので、
これはなにかあるなと思ったが、断っても拒否されるだけなので、家にいることにしました。
母親の友人とはいえども、現在も現役で働いている身なので、年齢は私より若い。ましてや母親の職場は元々私が働いていたところでもあるので、昔の私の部下も当然いるわけです。なので対応するのが本当にめんどくさいので、気が進まない状態だったのですが、今回は私が全然知らない方で、20代半ばの方が3名ほど訪問に来ています。とても遊びに来ましたと言うようなテンションではなく、どちらかと言いますと、
ドヨーンとした雰囲気を醸し出している状態です。
確実にめんどくさいことに巻き込まれたと確信しましたが、そんなことを言っても来てしまっている以上はどうにもなりません。雰囲気から察するに、母親がまた余計な相談に乗ってやると声をかけたが、自分では埒が明かなくなったので、私にお鉢が回ってきたのだろうなと確信しました。予想は見事に的中しました。社会人になって5年くらい経っているそうです。まぁ5年も立つとあるあるな悩みなんでしょうね。
楽しく仕事ができていないという悩みです。
入社時は笑顔で仕事ができていたのに、段々と笑顔がなくなり仕事が惰性になっている。自分がやりたいと思ったことが出来ないし、上司にそのことを話しても理解してくれないし、ここで心機一転他のところで挑戦してもいいかなと思っているというような、まぁなんともあるあるでなんともくだらない相談でございます。もちろん当事者の方はくだらなくはなく真剣に考えているんだと思うんです。そしてその考えを受容して、背中を押してほしいと思っているんだと思うんです。背中を押してほしいんだとするならば、家の母親でもできるはずです。ではなぜそれをしないのか。答えは簡単で、
その考え方を覆してほしいから。
私のもとにこういう子を連れてくるのって初めてではありません。過去にも何回もあるんです。うちの母親というのは、これはもう長所と言っていいと思うのですが、人から相談をされやすいタイプの人です。年齢も普通に考えたら婆さんですから、年齢も離れているので相談しやすいんだろうと思います。しかし致命的な欠陥があって、元々は多くの部下を束ねてた人なので、言葉選びが下手くそで、キツイ言い方になるなら、それで仕方のないことなんですが、
言ってはいけないことまで言うので、その衝撃は凄まじいものです。
私はその息子なので、その血を継いでいるのかもしれませんが、そうです私は専門的なコミュニケーションを学んでますし、カウンセリングも出来ます。もっと大きいのは、母親が言いたいことを通訳することが出来るので、
母ちゃんが言いたいことを通訳する役目を課されたと言うことになります。
話を聞いて一瞬で悟りました。現実は甘くないって事を伝えたいんだろうなと。
悩みを一通り聴いて、私から質問します。
「誰の為に仕事をしているの」と。そして教科書通りの答えが返ってきます。「利用者の為です」と。ここで私は一度切ります。
「嘘ですね。自分の為に仕事をしてますね」と。
利用者の為に仕事をしているのなら、自分が楽しかろうが楽しくなかろうが、その主語は「利用者」になるわけですから、仕事としてやるのが筋です。ですが、「楽しくない」や「やりたいことが出来ない」というのは、主語が「自分が」になっており、自分がやりたいことが、自分が楽しいと思うことが利用者の為になると決めつけて仕事をしてる。
ようは気分で仕事をしてる訳です。
気分で仕事をしていると、様々な方が気分に左右されます。そうやって仕事を選んでるわけです。他に行ったら楽しく仕事できるなんて戯言の何事でもなくて、利用者の為に仕事をしてないから、どうやったら利用者が笑顔になるか考えてないから、
作業をこなしてるだけが、ずっと続いていて、考えなくても仕事が成り立ってしまってるんです。
惰性で仕事をしていることに気付くことも出来ない。楽しくないようにしてるのは自分自身であるということを、半ば強引にでも認めない限りは、自分の能力をどんなに上げようとしても、無駄な時間を過ごすだけですよ。もしこの話が理解できない。納得出来ないとするならば、さっさと辞めて他のところに転職して、
その転職したことを後悔すればいいだけの話ですよ。
それだけ言い放って、私は席を外れました。当然その時はポカンとしていました。
今日、母親から「やっぱりお前は流石だな」と。数日悩んでいた子達が、笑顔で仕事をしていたようです。自分たちの考え方の甘さ。仕事に対する甘えを自覚したようです。私は母親には、
「いい加減学んでくれ」と伝えましたが、「私は私だ」というつわ者の暴言を吐くという、また巻き込まれるなと覚悟した日でした。
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